5 Ema’s diary②
5 Ema‘s diary②
上条暎万
『お店の人に断られてしまったので、お店の名前や場所はお教えできないのですが、今日はわたしが子供の頃から食べてきたパン屋さんのパンの写真をアップします。焼きそばパン、ソーセージパン、クリームパン、コロッケパン、そして、食パンです。最近は日本でも欧米風の本格的なパンを買えるお店が増えました。でも、それはそれとして、わたしはそれとは別のものとしてこの日本風のパン達を愛しています。特にこの食パンは焼き立てを買って帰るとき、その香りを嗅ぐと必ず幸せな気分にしてくれる食パンです。子供の頃からの幸せな思い出をこの香りが思い出させるからだと思う。わたしを育ててくれたパンです』
記事と写真をアップすると、コメントにわかる、わたしにもそんなパンがあると言ってパンの写真を上げてくる人や、自分とパンの思い出話のようなものを書いてくる人もいた。近所のパン屋さん。それぞれの人にそれぞれの、近所のパン屋さんがある。お母さんのおにぎり。(うちの場合はおばあちゃんなんだけど)それから、近所のパン屋さんの食パン。学校から帰ってきてカバンを放り出して冷蔵庫を開く。何もない時に焼いて食べたパン。パンもお母さんのおにぎりと同じぐらい思い出深い食べ物なんだよ。
満足してノートパソコンをパタンと閉じて、そして、時計を見た。やべ、一時を過ぎていた。明日も仕事なんだけど。
***
「暎万」
次の日会社のオフィスで座っていると、会議帰りで戻ってきた上司にいつものように書類でポカリと殴られた。
「今の何度目だ?あくび」
「数えてません」
「ばか、そこはすみませんというところだ」
「すみません」
「素直でいいが、謝ればいいってもんじゃない」
「じゃ、どうすればいいんですか?」
「かみころせ」
「へ?」
「か、み、こ、ろ、せ」
目が若干怖いです。角田さん。
「そんなゆっくり言わなくても日本人だから日本語ぐらいわかりますよ」
「堂々と会社で仕事時間中に何度もあくびをするなっ!せめてかみころせ」
あくびを噛み殺す。あくびを噛み殺す?あくびをした後に、空気中に漂ったあくびをガシッガシッて噛んで殺すのか?あくびは物怪かなんかか?どうやってやるんだ?流石にそれは、若干お笑い系のわたしとしても、馬鹿っぽ過ぎて恥ずかしいんだけど。
「今、何かくだらないこと考えてなかったか?」
「いいえ。まさか」
よくわからん。後でひろ君にでも聞いてみよう。
「そうだ。暎万ちょっと来い」
「はい」
そそと立って上司のデスクの脇に立つ。殊勝な顔をしました。わたしだって殊勝な顔ぐらいできんですよ。上司は自分のスマホを出して、何か検索している。
「これ」
「へ?」
「これ、知ってる?」
「……」
よく知ってます。よく知ってますけど、なんで?
「最近人気のブログらしい」
「へ〜」
「流石のお前も他人の食に関するブログまでは覗かないか」
「自分の仕事で精一杯ですからね。これがどうしたんですか?」
上司はしらけた顔でスマホの画面を見ながら言葉を続ける。
「いやね。今日、社長も来るような会議だったじゃない。もくもくと途中まで予定通り議題が進んで、社長ももくもくとそれを聞いてたんだけど、不意に、そんな今までと同じようなやり方じゃいかーんって怒り出してさ」
「はぁ」
「それで、急にこのブログの画面を出してきてさ。今は、素人さんでもこんなプロ顔負けの情報を出す時代なんだから、我々ももっと気合入れないとって言い出して」
「……」
「でも、それでも、我々はプロですから情報の質も切り口も違いますって言った馬鹿がいて」
「馬鹿がいて……」
「そうやって今までやってきたって自信にあぐらをかいているから、お前たちは時代に置いて行かれるんだ。硬ければいいって時代でもない、臨機応変にやり方を変えてかないと、俺たちはこういう見せ方の上手い素人に全部持ってかれるぞ」
角田氏はその時の社長の顔や言い方を真似ている。つばの飛びそうな勢いだ。上品そうな白髪の紳士の社長が唾を飛ばしている様子を想像する。見たことないな。
「その後にさ」
デスクに座ったまま、わたしを立たせて下からジーッと見つめてくる上司。こめかみに手を当てている。若干機嫌が悪い。
「その後に?」
上司の機嫌の悪いのなんて慣れてるわたしは、まだ殊勝な顔をしれっと続けて続きの言葉を待つ。
「こいつを見つけ出してコラボしろと俺に向かって言い出した。社長」
「こ……」
あの年齢でそんな横文字使うなよ。
「コラボ」
「素人と?」
「素人に記事書かせて原稿料払う」
「つまり、このEma‘s Diaryのブロガーを探し出して、うちの雑誌に記事書かせる?」
「それを、素人っぽくブログでも宣伝してもらう」
「……」
「わたし、こんなんしちゃいました〜みたいなノリでな」
おっさんが不意に女子高校生みたいな口調を真似する。はっきり言って引きました。寒いです。編集長。
「いや、そんなノリじゃないですよ。この人」
「見たことあるの?このブログ」
「……」
つい素で答えてしまったではないか。やばいやばい。
「とにかく、連絡とってこの本人と」
「え?」
「ほら、メール送れるでしょ?ここ」
角田氏がスマホの画面の片隅を指さす。その封筒マークをしばし二人で無言で見つめました。
「断られたら、どうします?」
「簡単にあきらめるな」
「え?」
「簡単にあきらめるな。あ、き、ら、め、る、な!」
今日は、この一言ずつ区切りながら話すのがお気に入りらしい。
「どうにかしろ。以上」
出たよ。勝手に一方的に話を終わらせる上司技。
どうしよ……。流石のわたしも冷や汗です。のらりくらりと逃げられないかな?
そこで、わたしは姉さんに相談することにした。
***
「なんか久しぶりだねー。二人で飲むの。で、なあに?」
「実は……」
わたしはスマホを取り出して、自分のブログの画面を開いて見せた。
「これが、何?あ、なんか美味しそ。てゆうか、この人、写真撮るのプロ?ちょっと写メレベルじゃないな。なんか、これ携帯とかで撮った写真じゃないんじゃない?」
この人もファッション誌の編集長。プロだから目が違う。
「わたし」
「ん?」
「これ、わたしのブログなんです」
「え?暎万?」
えりさんは画面をスクロールして色々見ている。
「ウッソ、仕事しながらこんなんも書いてんの?ていうか、更新の頻度も結構高いじゃん。それに、このフォロワー。ま、でも、ここまで綺麗な写真撮ってたらな。それにこのうんちく、素人レベルじゃないもんね」
は〜とため息が出た。
「で、なんで、ため息をつく?」
「今日、会議の席上で社長がこのブログをみんなに見せて。今時素人でもここまでやる。我々玄人がおされてる。それでいいのかと怒ったんですって」
「へー」
「それで、編集長にこのブログの作者捕まえて記事書かせろって話になったんです」
「あ、探す手間省けてよかったじゃん」
焼酎のお湯割りの中に入った梅干しを箸突っ込んでほぐしながら、呑気な顔でこっち見てくる美人。
「や、でも、でもですね」
「うん、何?」
「仕事の傍こんなことにエネルギー使って、しかも、プロのくせにタダで情報を渡して、大きな意味ではわたし、Kuuの敵といえませんか?」
Kuuは我が雑誌の名前。隔月発行のグルメ誌です。
「そうか?よくわかんなーい」
えりさんは明るくそういうと、焼酎を飲んで、焼き鳥のねぎまのネギに七味振りかけて食べてる。
「どうしよう」
俯いてため息をつく。
「あ、角田?」
その声を聞いてムクッと顔を上げる。えりさんがスマホ片手に、焼酎をもう片方の手に電話してる。
「今、どこ?……うん。ね、今から来られない?……場所?いつもんとこ」
「ちょっ、えりさん?」
「どうもこうもないじゃん。探す必要ないよー!わたしがこのEma‘s Diaryの暎万でーすって言っちゃえ」
ドクタースランプあられちゃん(*2)のようなノリだな。おい。
「そんなん、怒られるじゃないですかっ」
「でも、うだうだ悩んでも結果は同じだよ」
唖然としてパクパクとした。
「金魚が酸欠状態みたいな顔して」
「いつもは……」
「いつもは?」
話しつつ、もつ煮をつつくえりさん。
「ガサツそうに見えつつ、その実」
「その実?」
「仕事では、いろんな技を持ってて駆使してるのに。カーブとか消える魔球とかっ」
「ふむ」
もずく酢をすする。
「なんでわたしには使ってくれないんですか?ど直球投げるんですか?そんなん打たれておしまいですよ!」
「あ、角田。こっち、こっち〜」
えりさんが店の入り口に向かって手をひらひらと振る。
「なんだ暎万も一緒か」
「はやっ!さっき、電話で話してただけなのに」
上司がえりさんの横に座る。店員がおしぼりを持ってきて、それで手を拭いている。
「ちょうど近く通りかかってたの」
「何飲むー?」
「とりあえず、ビール」
「おやっさん、とりあえずビール」
「あいよっ」
「ね、角田見て、これ」
えりさんが早速スマホを取り出して上司に見せる。
「あーーーーー」
「なんだ。暎万、うるさいな」
泣きそうな顔でえりさんを見る。
「そんなん、引っ張って隠したってさ。結果はもっと悪くなるだけだよ」
「なに?隠し事?」
お父さんとお母さんの前で、正座して怒られているような錯覚が一瞬した。いやいやいや、現実に戻ってきた。なんか時々この二人、夫婦っぽく見える時があるんだよな。
「早く言え。酒がまずくなる」
「……」
「暎万が思ってるほどたいしたことじゃないって」
「……」
「ああ、じゃあ、もうわたしが」
「言います」
「ん?」
「言いますから……」
やだなーと思いながらそろそろと自分のスマホを出し、自分のブログのページを開く。
「これ」
「ああ、これが?」
「その……」
「なに?」
テーブルの上の食べかけの冷奴と、塩辛と、枝豆の殻の緑と、ホッケの脂の乗った部分をじっと見る。じっと見る。見てもしょうがないんだけど。上司の視線が俯いている自分のおでこのあたりに刺さってるように感じる。
「まさか……」
「へ?」
顔を上げた。生ビールのジョッキ片手にじとーっとこっちを見てくる見慣れた編集長の顔がある。
「Ema‘s diary。社長に見せられた瞬間にすぐお前のことが頭に浮かんだ。当たり前だよな。だって、暎万だからな。でも、それだけに、次の瞬間には不思議な偶然もあるもんだと思ったんだよ」
「……」
ここでぐいっと綺麗に白い泡がたった生ビールを一口飲む。
「だって、どこのバカが、自分の実名使ってブログを書く?」
「いや、でも、英語だし」
「お前のパスポートの表記じゃねえか」
ちーん、確かに。言われるまで気づかなかった。
「会議終わって、さっきもう一度開いて色々読んでみたら、どーも、この口調というかなんというか、やっぱりお前みたいだなって思ってたんだよ」
「すみません」
「認めんのか?」
「こうなった暁にはもう認めるしかないでしょう」
「ま、でも、手間が省けたな」
あっさりそう言った。なんですと?
「そうだよねー!わたしもさっきそう言ってたんだよー。ね、みんなで乾杯しよ。かんぱーい」
「え、いや、でも、怒られないんですか?」
「なんで怒るの?」
「素人がタダでこんなことする世の中になっちゃったから、少なからず出版も打撃を……」
角田氏はじっとわたしのブログを見る。
「大人はね、儲かるんならなんでもいいの」
「へ?」
「社長が言ってたのは正しいよ。自分たちはプロだからなんてあぐらかいてたら未来はない」
「はぁ」
「だから、暎万、お前、Emaとして記事書け」
音だけで聞いてると言いたいことがさっぱりわかりません。
「だから、あれだ。イーエムエーの暎万として、記事書け」
それだけさっさというと、編集長はお店のメニューを取り出して、あさりの酒蒸しとかなかったっけと言っている。Ema‘s Diary の話はその後一切出なかった。
*2 ドクタースランプあられちゃん
漫画『Dr.スランプ』を原作とした1981年4月8日から1986年2月19日まで放送されたテレビアニメ。鳥山明原作。ギャグアニメ。ドラゴンボールと交代するかたちで放送を終了した。(Wikipedia参照)