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5 Ema’s diary①












   5 Ema‘s diary①












   上条暎万













 こうでもない。ああでもない。ライトを絞ってみる。角度を変える。撮った写真を見直して、しばらく吟味した後、台所に持って行ってまな板の上に置く。南無三。


 ずだっ


 そして、盛り付けし直す。そしてもう一度。パシャ。うん、さっきよりいいかも。


「なに、仕事?」


 振り向くと、パジャマ姿で濡れ髪の兄がいる。


「って、これ、今日抱えてたパンじゃん」

「そうだよ」

「なんでそんなん撮ってんの?」

「お兄ちゃんには関係ないでしょ」

「それ、雑誌に載るの?」

「いいえ」


 パシャパシャ、撮りまくる横で兄がタオルで髪を拭きながらまだ突っ立ってる。


「ひろ君ちのパン、街角ベーカリー特集組んで企画をあげようかと思ったけど」

「うん」

「おじさんに断られた」

「なんで?」

「なんか違うって」

「なんか違う?」


 眉を顰める兄。


「うん、なんか違う」

「はぁ、なんか違う」


 よくわかんないけど、納得したらしい。仕事で頭が疲れてるから、この人も追及する元気がないのだと思います。寄ってきて、カメラに映らないとこに座った。


「それなのになんでそんなカメラ構えて真剣に写真撮ってんの?」


 そう。スマホとかではなくて、仕事用のカメラを使ってました。


「スマホとは、映りが全然違うんだって」

「いや、でも、雑誌には載せないんだろ?」

「ブログに載せんだよ」

「ブログ?」


 少し、声が裏返ったぞ。


「お前、ブログなんてやってんの?」

「雑誌に載せられない美味しいものを救済するためにやってます」

「は?」


 しばし、黙る。その間にまた別のパンを皿に載せて写真を撮る。


「救済ってなに?」

「わたしは美味しいものを伝道するために生まれてきたの。でも、全ての美味しいものをうちの雑誌で取り上げられるわけでもないからさ。そこからあぶれるものは個人としてブログを通して世間に広めてるんです」

「なんてブログなの?」


 わたしは自分のブログのページを開いたスマホを兄に向けてテーブル越しにスライドさせる。


 Ema’s diary


「ネーミングセンスないな。まんまじゃん」

「文句言うならみるな」

「え、何このフォロワー数」

「そりゃ、それだけの人が食に真剣に向き合ってるって証だよ。美味しいもの教え合ってるフレンドもいるよ」


 兄が黙々と記事を読んでいる。わたしは写真の出来を確認した上で、カメラを片付ける。


「とある日にはスナック菓子の歴史を語ってるな」

「日本の経済の発展とともに多種多様化したスナック菓子。奥が深いよ」

「アイスについても延々と語ってるな」

「アイスクリームはね、2ドアの冷蔵庫の普及とともに変化したんだよ、知ってた?お兄ちゃん」

「ファミレス比較もしてるな」

「誰かが公平に彼らのしている仕事について見てあげないと」

「なんか、このコメント書いている人、明らかに外食系の仕事している専門の人じゃない?」

「ああ、なんか意見求められてさ」

「……」

「なんか、裏の世界でも食通として知られつつあるっていうか?」


 ドヤ顔したら、しかめ面された。


「お前、これ、実名に近いじゃん。会社にバレて怒られたりしないのか?」

「……別に会社に損害与えるような内容流してないし。大体、これ、副業とかじゃないし」

「お前、こんだけフォロワーついてたら、広告収入入ってんじゃないの?」

「……」


 相変わらず頭の硬いやつだ。……しかも、法律に詳しいので厄介です。


「うるさいなぁ!趣味だよ趣味!」

「趣味なの?」

「いや、伝道……」


 ふっと笑われた。


「よくもまぁ、こんなにエネルギーかけられるなぁ」

「疲れるなんて思ったこと一回もないよ」

「ふうん」

「だってさ、食は芸術なんだよ。それを作り出す人も偉いけどさ、ちゃんと正しくそれを伝えなきゃ。伝えるのにも技術が必要なんだよ」

「お前は、子供の頃からブレないなぁ。一生そうやって生きてくの?」

「当たり前じゃん。わたしが今制覇できてるのは世界のまだ片隅だよ?」

「これから、世界も制覇するの?」

「本場の味は本場にしかないからね」

「結婚とかしないでか」


 急にそんなこと言いだしたので、黙って兄の顔を見た。


「なんで急にそんな非常に現実的な話題になるかなぁ」

「だめか」

「まだいいっしょ」


 兄が頬杖ついてじっとわたしの顔を見る。


「お前も変わったな」

「どこが?」

「いや、別に」

「なんか気になる。はっきり言いなよ」

「世界を制覇するときはひろ君も連れてくの?」

「……」


 その時、世界中を食べ歩きするひろ君とわたしの映像が頭に浮かんだ。


 自分が何歳であるかということを忘れて、世界の裏側まで歩いてゆきたい。明日や来月や来年や10年後、そういうことを全部忘れて、どこまでも歩いて行ってそして美味しいものを食べまくりたい。


 兄が言いたいのはきっと、昔のわたしならその理想の赴くままに本当に家を飛び出していったということなのだと思います。そのくらいわたしと常識というのは反りが合わない。ちょっと前のわたしならできた。刹那的に生きてたんです。でも……。


 ひろ君を失いかけた時にわたし、食欲を失ったからなぁ。


「ひろ君は自由に休みを取れる仕事、してないし」

「じゃ、お留守番か」

「……」

「ていうか、お前さ、いずれはパン屋になるの?」

「パン屋……」

「だって、ひろ君はパン屋になるんだろ?」

「また、そんな、非常に現実的な話……」


 兄が濡れ髪のままごくごく真面目な顔をしてわたしを見ている。この人、いつもはただの意地悪な人。でも、結局はわたしのことをそれなりに気にかけているんです。


「そんなんまだわかんないよ」

「先のことだ先のことだと思ってると、ある日、にっちもさっちもいかなくなるよ」

「……」


 子供の頃からお世話になっている片瀬ベーカリーもあそこのパンもおじさんもおばさんも好きです。ずっと続いていってほしい。だけれど、そこに立つひろ君とわたしをうまく想像することはできなかった。パン屋が嫌いなのではなくて、一つのところに留まって同じことをすること、それはわたしのしたいことではない気がしていた。


 でも、ひろ君にとって大切なのは片瀬ベーカリーなんです。


 自由に飛び回って自分の食べたいものを食べそれを皆に伝えるという生き方と、ひろ君をいつか天秤にかけなければならない日が来るのだろうか?


「そういうお兄ちゃんはどうなの?」

「んー?」

「静香さんとお兄ちゃんの方が順番としては先でしょ?」

「あー、そだね」


 不意に脱力し、兄は食卓にペタリと寝そべった。


「静香さんのお父さん、すごい人だしな。結婚したいって言ったらなんて言われるかなぁ」

「え、そうなの?」

「ああ、お前、まだ知らないんだよな」

「社長さんかなんかとか?」


 兄と静香さんのマンションの部屋の豪華さを思い出す。静香さんのお父さんの持ち物だったはず。


「当たらずとも遠からずだ」


 また、誤魔化した。いっつも秘密主義なんだから。


「仕事はどうなの?楽しい?弁護士の仕事」

「楽しい……、仕事が楽しい……」


 ぶつくさ言いながらじーっとわたしを見ている。タオルを頭からかぶって、なんか雪ん子(*1)みたいというかちょっと挙動不審なんだけど。


「やりがいはある?」


 ちょっと言葉をかえてみた。


「やりがい……」

「そこは、若者らしくビシッとあるね!とか言いなよ」

「うざっ。そういう爽やかなの、俺、嫌い」

「また、外ではサラッとそういうこと言ってんじゃないの?」

「バーカ」

「ばかぁ?」


 小学生の子供みたいに人のこと馬鹿呼ばわりしてるし。兄は不意にムクっと起き上がる。


「そんな、やりがいあります、毎日充実してますとでも言ってみろ」

「何よ」

「海千山千の大人はな、あっちゅうまにペラペラの嘘は見抜くんだよ。本当はかったりーとか思ってんのに、表だけでやりがいありますとか言ってみろ」

「どうなんの?」

「ボコボコになぶられる」

「え?」


 兄の職場って一体……。


「お兄ちゃんさぁ、表面上はへいこらするのできんだけどさ。そんなん、社会じゃ通用しないんだよ。本気のへいこらをしなかったために、事務所の上の方の偉い人に嫌われちゃったの」

「え?」

「だからさ、上の方のチームはもっと大企業の労務法務見ててスケールのでかい仕事してんの横目にしながら中規模の会社の仕事してんの」

「ふうん」


 兄は天井を見上げながら淡々と話す。兄が自分からいろいろ仕事の話をするのは珍しかった。


「いろんな会社があるんだよ。ずっと小さい会社だったのがヒット商品とかが出て急成長して、今までは法務に力入れてなかったのが今後は必要だってもっと小さい事務所から鞍替えしてきたりさ。かと思えば創業まもなく伸びに伸びてるやり手の1代目の経営者とかさ」

「うん」

「みんな、しっかりしてんだよな。高い顧問料出してんだからそれだけのことをして見せろってさ。ズバズバ言われるし」

「へぇー」

「面と向かって、顔がいいからって調子に乗るなって言われたの、生まれて初めてだよ」

「へ?」

 

 ぽかんとすると、兄は何故か嬉しそうに笑った。


「心で思ってても口に出す人なんて普通いないのにさ、本当に言葉に出すんだもの。びっくりした」

「……」

「全然モテねんだよ。社会人なってからさ」

「なんで嬉しそうなの?」

「なんでだろ?」


 兄はちょっと笑いを引っ込める。


「静香さんに、春樹君は要領が良さそうなのに、その外見を活かせば楽に生きていけるだろうに、活かせてないねと言われた」


 黙ってその言葉の裏を考える。多分、静香さんは悪い意味でそういうことを言ったのではないのだと思います。


「お兄ちゃんって意外とさ」

「なに?」

「ヘルメットが似合うよね」

「どういう意味?」

「額に汗してみたいな、工事現場のヘルメット」

「そうか?そんなこと言われたこと全然ないけど」

「だから、隠れヘルメット族なんだよ」

「なんだそりゃ」

「お兄ちゃんの周りの一部の人しか知らないんだよ。お兄ちゃんに実はヘルメットが似合うってこと」

「はぁ」


 半信半疑で聞いている。


「そういう隠れたいいところみたいなのがさ、その仕事を続けてたら表に出てきてみんなもそのうち、春樹君、君はヘルメットが似合うな、みたく言うようになるんじゃない?」

「その頃にはもうちょっと楽に仕事してるかなぁ」


 不意にどっと疲れでも出たのかテーブルにうつぶす。


 その頭のつむじを見ながら思う。お兄ちゃんはやっぱりこれで良かったんだと。みんなはお兄ちゃんのことをもっと、ドラマに出てくるようなああいう、なんていうのかな?スマートな人だと思ってるのだと思うけど、でも、わたしはいろいろなおじさんに顔ばっかりとどやされて、小突き回されながら少しずつそういう外見とか印象ではなくて、中身で勝負するために四苦八苦しててる今が……。本当はお兄ちゃんはそう言うものを必要としてたんだと思います。


 中身を求められることが必要だったんだと思う。


 本当のお兄ちゃんはやっぱりもっと、ヘルメットが似合うような人なんです。みんながそういうお兄ちゃんを見てくれなかったから、奥の方に隠れてた。


「きっと静香さんはずっと昔からお兄ちゃんに実はヘルメットが似合うって知ってたよね?」

「まだ続くの?その話」


 兄は不意に体を起こして欠伸をした。じっとその様子を見る。なんだか変なのです。妙な違和感が……。


「お兄ちゃん、それさ」

「うん」

「おじいちゃんのパジャマ?」

「そうだよ」

「だからか」

「なに?」

「なんかいつもより老けて見えた」

「だめか」

「せめてお父さんの借りなよ」

「いや、本人いないしさ」


 父は海外出張で今週いないのだ。


「別に親子なんだし、パジャマくらい勝手に借りたって文句言うわけないじゃん」

「別に何着たっていいじゃん。誰に見せるわけでもなし」

「なんかいつもおじいちゃんが着てるのをお兄ちゃんが着てると妙な違和感が……」

「はいはい」


 適当に返事をして立ち上がる。


「おやすみ。お前もほどほどにして早く寝ろよ」


 そう言って居間を出ていった。久々に家に兄がいるのを見た気がする。本当はパジャマだけじゃなくていること自体に少し違和感があったのかもしれない。


*1 雪ん子

子供の姿の雪の精。雪童子ゆきわらし

日本の妖怪・雪女の子供。(Wikipedia参照)


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