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4 ふたりでいる意味












   4 ふたりでいる意味












   片瀬大生













 とある日、実家の方に葉書が届いたと言って姉から電話がかかってきた。


「同窓会だってよ。小学校の」

「ああ」

「どうする?」

「暇見つけて取りいくよ」

「そんなん、ひろ、いっつも忙しいから無理じゃない?」

「そんなことないない。次の休みに行くから」

「出席するの?それなら代わりに出席で返事出しとくよ」

「ああ……」


 姉に日程を聞いた。


「ちょっと考えてから返事するよ」


 電話を切った。


 ***


「おい、ひろお、暎万ちゃん来てるぞ」


 その日、上がる前に厨房を片付けていると、何故かオーナーの武藤さんがまだいて声をかけてくる。


「そのまま待たしといてください」

「なんだ、おい。付き合って長くなってくると余裕だな」

「いつものことですよ」


 器具を乾拭きしながら所定の位置にしまってゆく。


「なんか、出そうか」

「はい?」


 思わず手が止まった。


「暎万ちゃん、いっつもうちのケーキ、そりゃ喜んで食べてくれるじゃない。あの顔見ると、なんか幸せになるんだよな」

「いや、甘やかさないでください」

「甘やかす……」

「動物園の動物に、勝手に餌をあげたらダメですよね?」

「動物……」

「とにかく、暎万は普通の人間と違って、朝から晩までご馳走食べ歩くのが仕事なんで、仕事以外の食に関しては厳しく制限しないといけない身なんです」

「ああ、悪い、悪い、悪かったよ」

「あ……」


 そして、そこまで捲し立てた後に気が付いた。この人、この店のオーナーです。一番偉い人。


「すみません」

「いや、別に、謝らんでいい。ほら、待ってるんだからさっさとやれ」













   上条暎万













 エルミタージュの片隅のテーブルで、新作のケーキを振る舞われて至極の時を過ごしていた。生きててよかった……。それは次の季節に出すロールケーキでした。秋のフルーツ、栗が入っている。武藤さんのこの、基礎がしっかりしている人だからこそのブレない軸があって、そこからの遊び心がたまらないのです。


 これは大切に食べなければ。


 すると、ひろおの様子を見てくると奥にいっていた武藤さんが、どっちかと言えば強面の顔を引き攣らせて慌てて戻ってきた。


「暎万ちゃん、はやく平げろ」

「へ?」

「ひろおにケーキ出したのバレたら、俺が怒られる」

「は?」

「はやく食べて、口の周りも拭け」

「いや、悪いことしてるわけじゃないのに。それに、武藤さん、オーナーじゃないですか」


 ひろ君より偉い人がなぜそこまで慌てる?


「でも、動物園の話までされると……」

「動物園?」

「いや、説明している暇はない。とにかく黙々と食べろ」


 かなり不服アンド疑問でしたが、黙々と味を堪能し、紅茶を飲みました。


「暎万、お待たせ」

「お疲れ」


 ガタッと立ち上がる武藤さん。さりげに立ち上がってひろ君の目からテーブルの一角を見えないように隠してる。


「おう、ひろお、お疲れ」

「オーナー、まだいたんですか?」

「うん。久々に暎万ちゃんと話してた」

「早く奥さんと陽菜ちゃんとこ帰ったほうがいいですよ」

「ああ、うん。言われなくても帰る」


 そして話しながら、後ろ手でケーキの皿とフォークを持ち上げた。そして、背後をひろ君に見せないようにしながらひろ君をやり過ごし、ぱっと後ろにもってたの前に持ちかえると厨房に向かった。パティシエって器用だなー。手首、柔らかい?と思いながら、それを見ていた。


「あ、暎万、その紅茶飲んじゃって。片すから」

「ああ、うん」


 お茶を飲む。ひろ君が空いた食器を厨房に片しに行った。

 二人で店の外に出た。手を繋いで歩き出す。


「暎万、口んとこ、クリームついてる」

「え?」


 思わずぱっと片手で口を覆う。ひろ君がジトッとした目でわたしを見た。


「やっぱり」

「ん?」

「クリームなんてついてないよ」

「あ!誘導尋問?違法捜査」

「状況証拠(*1)も揃ってた」

「へ?」

「お茶のカップ下げた時、シンクにケーキ用の皿とフォークが置いてあった。お前以外のお客さんのは全部片したもの。お前しかいないだろ」

「くっ!」


 あんなに手首が柔らかい魔法を見せたのに、詰めが甘かったな、相棒よ。しかし、こうなってしまった以上は相棒の罪が幾らかでも軽くなるように尽くさねばなるまい。


「でも、ひろ君がダメだって言ってから出したんじゃないから。武藤さん」

「ん?」

「ただ、純粋に新作の味をみてってさ、出してくれたの。ほら、わたしは頼りがいのある舌をもってるじゃない。ビジネスの延長だったんだよっ」


 ってことにしておこう。


「別にそんな怒ってないよ」

「え、そうなの?」

「ただ、今日のご飯の後に食べるはずだったデザートをご飯の前に食べただけでしょ?」

「……」

「お前、外食すると必ずその店のデザートまで食べるからな」

「仕事の一環……」

「だから、その仕事は今日、うちのケーキの新作の味見をしてくれたってことで終わりだな」

「でも、常に新しい情報を入れるのが……」

「ありがとう。その貴重な機会をうちの店のために使ってくれて」


 手を繋いで歩きながらそんないつもの話をしていた。するとふいに通り過ぎ様にひろ君を呼び止めた人がいた。スーツ姿のサラリーマン。わたしたちと同年代の若い男の人。


「たいせい?」


 その呼び方に一瞬にして体が強張った。ひろ君が立ち止まって、振り向く。そして、相手の顔を見た後にそっと僅かに体を動かして、わたしを背中の後ろに隠そうとする。


「隆」


 どうしてそんなことをするのか、その名前を聞いてわかりました。男の人の声はそんなわたしたちの様子に気づくことなく、まだ早い夜の路上に明るく響いた。


「なんだよ。お前、吉祥寺で働いてるって言ってたっけ?そういえば」

「ああ、うん」

「ケーキ屋、だったよな。場所、教えてよ。今度暇見つけて行くからさ」

「うん。送るよ。後で」

「そういえばさ、今度また同窓会あるじゃん。お前、行く?」

「考え中」

「なんだ。来いよ。俺は行くからさ」


 その後、そっと隆君がわたしを覗いた。目が合いました。


「彼女さん?」

「うん」

「かわいい子だね。ごめんね。邪魔しちゃって。じゃあな。来いよ。同窓会」


 にこにこと手を振りながら離れていった。ほっとした。


「わかんなかった。わたしのこと」

「時間も経ってるしね」


 それからなんとなくお互い黙ったまま数歩歩いた。


「それに、まさか俺が一緒にいる相手が暎万だなんて、隆は思わないだろうからな」

「……」


 そして、また、しばらく黙ったまま歩いた。


「ね、ひろ君、今晩何食べる?」


 話を終わらせようと思って、それにお腹も空いたしそう聞きました。


「暎万……」

「なに?」

「同窓会、一緒に行かない?」

「……」

「やだ?」

「それ、今話さなきゃダメ?お腹すいちゃったんだけど」


 タイ料理を食べにいった。トムヤムクンと春雨のサラダがテーブルに並んだ時にひろ君はまたつまらない話を持ち出した。


「やっぱり、行かない?」

「行くわけがない」


 そういうと、ひろ君はため息をついた。そしてシンハー(*2)を飲んでいる。


「今のは何のため息?」

「大した深い意味はないため息」

「ひろ君はわたしに行って欲しいの?」

「いや、別に」

「じゃ、なんで、そんなこと聞くわけ?」

「ねぇ、暎万」


 そんなわたしの質問を無視して、そしてひろ君はいつもとはちょっと違う真面目な顔をした。


「俺、同窓会に行ったらさ、暎万と再会したこととか、付き合ってることとかみんなに言ってもいい?」

「……」


 箸で春雨をつついた。ナンプラーとコリアンダーの香りがした。


「みんなで久しぶりに顔合わせたらさ、きっと暎万の名前も出ると思うの。元気にしてるかなとかさ。その時に何も言わないのはなんか嘘ついてるみたいでやなんだけど」

「……」

「だめ?」

「それから、会いたいって話にならない?」

「なるね」

「……」

「だめか」

「会いたくないし、思い出したくない」


 小学校の頃のことはもう、無かったことにしたい。


「暎万。みんなが会いたいって言っても、会いたがってないって俺から言うし」

「なんでわざわざ会わなきゃいけない?そんなん、会いたがってる人たちだけで集まればいいじゃない。わたしのことはほっといてよ」

「会わなきゃいけないなんて言ってないだろ」

「じゃあ、なんでこんなつまらない話ばっかするの?今日」

「暎万……」


 ひろ君は今晩二度目の真面目な顔をした。


「暎万の中ではさ、みんなは小学校のままで時間が止まっているんだと思うけど、暎万に時間が流れたのと同じようにさ、みんなにも時間は流れてるんだよ」

「……」

「あの時のままじゃないの。直接会わなくてもいいけど、暎万が変わったみたいにみんなも変わったってことを知ってほしい」

「どうして?」

「その方が暎万が楽になると思うから」


 それだけ言うと、ひろ君は静かにご飯を食べ出した。遅れて来たグリーンカレーをご飯にかけて、黙々とスプーンを動かしている。その顔はいつものひろ君でした。怒ったりイライラしているわけではなかった。


 その後言葉少なに食事を済ませた。その間わたしはひろ君が言ったことを考えていました。

 わざわざ嫌なことがあった過去をほじくり返すことに何か意味なんてあるんでしょうか?

 だって、わたし、小学校の頃一緒だった子達と会えなくても、全然困らないんだけど。


 ……


 あ、忘れてた。だめだ。困る。

 そうそう。この人に会えなくなったら困ります。この人も小学校の頃一緒だった人。

 目の前にいる人のことを忘れてました。


 ま、でも、ひろ君を除けば、自分にとって今、必要でもないし興味のない人達です。その人達のことをまた自分の現在に甦らす意味ってある?

 わたしはないと思う。

 みんなはわたしに会いたいのかもしれない。でも、わたしは別に会いたいわけじゃない。だって、みんなに会ったら嫌なこと思い出すもの。


 ご飯を食べ終わって店を出る。手を繋いで歩き出そうとするとひろ君が立ち止まったまま動かない。


「今日、どうする?」

「どうするって……」

「うち来る?」


 無表情にひろ君の顔を見る。明日、一週間に一回のエルミタージュの定休日。用事がない時は定休日の前の日はいつもひろ君ちに泊まる。付き合い始めてから一年半。それはわたし達の習慣でした。何も言わないでもそうすることになってた。


「ひろ君はどうしたいの?」

「暎万はどうしたいの?」


 質問に質問で返された。


「どっちでもいい」

「じゃ、俺もどっちでもいい」


 しばらく睨めっこした。雑踏で。先にひろ君が負けた。ぷっと噴き出した。


「行こう」


 そして、わたしの手を引っ張った。


「なんでわざわざ聞くの?」

「なんでかな」


 そしてその日の夜、ひろ君ちで交代でお風呂に入ってもう寝ようってベッドに二人で横になってる時、わたしを背中から抱きしめながらひろ君が言った。


「ねぇ、暎万」

「なに?」

「今日、怒った?」

「なにに?」

「同窓会のこととか、いろいろ」

「ああ……」


 ちょっと考えた。


「怒ってはないけど、意味不明」

「意味不明?」

「ひろ君が一体全体何を言いたいのかが意味不明」


 するとひろ君はわたしをもう少しだけギュッと抱きしめた。


「隆さぁ」


 そして、よりによって隆君の名前を出した。男の人に抱きしめられながら、その名前を聞くことに妙な違和感があった。なぜかと言われてもその理由はうまく説明できないのだけれど。


「すごい変わったんだよ」

「だから?」

「暎万に謝りたいって、前言ってた」


 ほんというとそれを聞いた時、ひろ君の腕を振り解きたかった。

 本当です。

 好きな人の腕を振り解きたくなった。

 そのくらい嫌悪感のある事実でした。体が硬くなった。


「……それで?」

「暎万の中では、一番悪い隆が大人にならないまま残ってるのかもしれないけど、そんな男の子、もうどこにもいないんだよ。それを暎万が知った方が楽になるんじゃないかと思って……」

「ひろ君は」

「うん」

「ひろ君にはわかんない。ひろ君はだって、わたしじゃないもん」

「うん」


 その後何も言わない。なんだか気になってしまって体の向きをごそごそとかえた。すると、いつものひろ君の顔がありました。やっぱり怒ってもないし、困ってもないし……。


「なんでそんな普通の顔してるの?」

「なんでってなんで?どんな顔してればいいの?」

「しまったって顔」


 するとひろ君は笑った。


「言っちゃいけないこと言っちゃったって顔」

「言っちゃいけなかったって思ってないし」

「でも、余計なことだよ」

「余計なことじゃない」


 はっきりと否定されてしまった。


「俺は誰にでも余計なことする人間じゃない」

「でも、ひろ君が何を言ったってわたしは変わらないから」

「それでいいの」

「ええ?」

「変わりたくないなら、変わらないでいい。でも、俺が思ってることはそれでも伝えるから」

「そんなことに意味がある?」

「それこそが二人でいることの意味だと思うけど。俺は」

「意味不明」

「俺にお前の気持ちなんてわからないって暎万が胸の中で一人で思うより、言葉に出して俺にぶつけられる方が楽でしょ?」


 どうしてなんだろう?


 この時、何かが変わった。わたしの中でずっと続いてきた世界がふいにいろどりを変えたように思えるほど、何かが変わった。そしてわたしは泣きそうになりました。泣かなかったけど、泣きそうになった。


 二人でいる意味

 人が一人ではなくて二人でいる意味


 ひろ君は薄暗い中でそっと笑ってそしてわたしの髪を撫でた。


「ね、暎万、今日どうする?」

「どうするって?」

「このまま寝ちゃう?」

「……」


 ひろ君がお休みの前の日は、何も用事がなければ二人で一緒にいてひろ君ちに泊まる。そして、だめな理由がなければ、すごい疲れてるとか、わたしが生理だとか、わたしたちはいつも体を重ねてきた。それもまた、わざわざ言葉にしなくても自然にできたわたしたちのルール。


「ひろ君はどうしたいの?」

「暎万はどうしたいの?」

「どっちでもいい」

「じゃあ、俺も、いたっ、やめろって」

「もうっ」


 半分本気で怒ってました。ひろ君は笑ってたけど。


「どうして今日こんな意地悪するの?」

「意地悪って?」

「もういい」


 背中を向けた。ひろ君がまた後ろからわたしを抱きしめる。


「たまには暎万に言わせたい」

「何を?」

「俺と一緒にいたいとか、俺が欲しいとか」

「……」

「だめ?」

「そんなん言ったらわたしじゃなくなる」


 そう言うとウケてた。わたしを抱きしめたままで笑ってた。ひろ君の笑う振動がわたしもふるわした。


「じゃあ、そのものズバリじゃなくてもいいからさ。たまにはなんか言ってよ」

「ギュッとして」

「それは、してってこと?」

「……」

「それすら言えないの?もう付き合って結構経ったじゃん」

「……」


 これではだめなんだろうか?このままではわたしだめなんだろうか?

 結構真剣に悩んでました。一瞬だったけど。ひろ君の腕の中で。

 で、結局、ひろ君が耳元で囁いた。


「暎万、愛してる」


 それは、確かに伝わっていたのだと思います。彼がそう言葉にする前から。好きから始まったひろ君の気持ちがいつの間にか、形を変えた。もともとは子供だったひろ君がいつの間にか、そういうことを言っても浮かないようになった。

 時間が流れたのだと思う。

 ひろ君の言う通り、わたしたちには時間が流れた。もう前のままのわたしたちじゃない。


 愛してる


 自分がいつの間にかそういう言葉を贈られるような大人の女の人になっていたのだなと思った。わたしも愛してるとそれでもわたしは言えませんでした。言葉にすることができなかった。ただ、迷いはなかった。言われた時にすぐに感じた。わたしもひろ君を愛していることを。ひろ君がわたしを愛してくれるくらい、わたしもひろ君を愛してました。













   片瀬大生














 同窓会には懐かしい顔ぶれがいっぱい来ていました。誰が誰だかすぐにはわからなくて、でも、じっと顔を見て声とか話し方とか素振りを見ていると、そこに昔の面影が浮かび上がってくる。お互いにお互いを認識し直して肩を叩き合う。久しぶりにはしゃぎました。


 後で暎万に見せてやりたくて、俺はできるだけみんなの写真を撮った。見せた時に暎万がなんて言うだろうと想像しながら。そして、絵里を見つけました。暎万が小学校の頃、一番仲良かった子。


「久しぶり」

「あ、たいせい君?懐かしい」


 一通りお互いの近況を伝え合った後に僕は絵里に言った。


「暎万のこと、覚えてる?」

「もちろん覚えてるよ」

「連絡取ったり会ったりしてないよね?」

「なんか、中学入ってからなんとなく疎遠になっちゃって」

「俺、会った」

「え、うそ?どこで?」


 僕は自分のスマホを出して、休みを合わせて車で行った奥多摩湖(*3)の前で2人で撮った写真を見せました。


「え、これ、暎万?2人で出かけたの?」


 僕とスマホを交互に見比べながら、絵里はぽかんとした。


「俺たちさ、今、付き合ってるんだよ」

「ええっ」


 絵里は僕のスマホを落としそうになった。


「あ、あぶな」


 慌てて取り上げた。


「嘘?」

「ほんとです」

「いつから?」

「もう一年半くらいかな」

「どこで会ったの?」

「暎万ね、今、フードライターみたいな仕事してんの。それで、俺の働いている店に取材に来たんだよ」

「なんか運命の再会ってやつ?すごーい!それで?」


 女の子は根掘り葉掘り聞きたがる。


「ま、何回か会ってるうちにそういうことになって」


 かなりはしょりました。


「ね、他に写真ないの?」

「あ」


 僕の手のスマホをひったくり、止める間もなく勝手に画面をスクロールする絵里。酔っ払ってる。僕の日常がスマホから溢れ出してくる。そこにはいろいろな暎万がいた。


「ダメダメ。変な写真あるから」

「何?エッチな写真?」

「そんなわけないでしょ。もう」


 自分のスマホを酔っ払いから再度取り上げました。一時暎万の変顔撮るのにハマってて、結構バカな写真があるのだ。他人に見せるわけにいかない。見せたくない写真を一旦削除フォルダに入れた後で、自分がスクロールして写真を見せる。絵里は僕の傍で嬉しそうに暎万の写真を見ていた。


「暎万、可愛くなったなぁ」

「うん」

「やだ、惚気?」


 こづかれた。


「幸せそう」

 

 微笑みながらじっと写真を見た後に絵里はそっと付け足した。


「暎万の初恋は、かなり時間がかかったけど叶ったんだね」


 それを聞いて、ちょっと照れました。


「会いたいなぁ。ね、連絡先教えて」

「あー」

「え、だめ?」

「あのね」


 曲がって伝わらないように言葉を選びながらぽつりぽつりと話した。


「本当は今日、俺、暎万と一緒に来たかったの」

「うん」

「でもさ、本人に行くわけないって言われて、その、暎万って、ほら小学校の最後の方、隆とかにいじめられていろいろあったじゃない。覚えてるでしょ?短い間だけど学校来られなくなったりとかさ」

「うん、覚えてる」


 絵里はつまらなさそうな顔でそう言った。


「俺や絵里にとってはさ、そんなことすらもう思い出の一部なんだけど、暎万にとってはさ、ある意味まだ過去じゃないんだと思う」

「……」

「過去にして欲しいから、絵里にも会ってほしいし、今日みたいな場にだって出てほしいんだけどさ。無理強いできないんだよ、ごめん」

「たいせい君が謝ることじゃないじゃない」

「あ、そっか」


 つまらなそうに僕を見た後に、でも絵里はそっと微笑んだ。


「わたしも自分がいじめたわけじゃないけどさ、近くで見てたからずっと心のどこかで引っかかってたんだ。暎万のこと。後ろめたさっていうのかなぁ」

「後ろめたさ?」

「自分は何もできなかったし。暎万はあれからちょっと別人みたくなっちゃったし、それに、学校がかわったらなんとなく距離ができて、それでも自分から一生懸命連絡しようと思えばできたのにさ。結局、自分が何もできなかったっていう事実を忘れたかったんだろうな。会えなくなってほっとした自分もいるんだよ」

「絵里がそこまで責任感じることじゃないでしょ?」


 ちょっと驚いた。するとはははと絵里は笑った。


「あー、なんか今日来てよかったな」

「え?」

「こんな話、こんな心の隅っこに埃かぶって何年も放置されてた自分の気持ち、今まで誰にも一回も言ったことなかったし。でもさ、あのくらいの頃ってすごい純粋じゃない。まだ子供だからさ。自分が一番仲良かった子が思い切り傷つくのを横で見ていて、何もできなくてわたしも辛かった。でも、もう気にしなくていいって言ってもらえる日が来るなんて思わなかったよ」

「……」

「ずっとあの暗い顔した暎万がわたしの記憶の中に残ってた。それが今はあんなに可愛い顔で笑ってるんだね」

「うん」

「たいせい君のおかげだ」

「え?」

「暎万がまた笑えるようになったの」

「いやいや、違う違う。それは」


 僕は慌てて両手を振った。


「そうなの?」

「再会した時はもう明るく笑ってたって」

「そうなんだ」

「そうそう」


 じっと俺を横目で見た後に絵里はつぶやいた。


「そこは、俺が暎万の笑顔を取り戻したみたく言えば盛り上がるのにね」

「……」


 絵里、酔いが醒めてきたな。


「何二人でさっきから話し込んじゃってさ」


 後ろから突然他の女の子が寄って来て、絵里の肩にもたれかかった。


「たいせい君、久しぶり〜」

 

 絵里の肩越しにチョイッと手を挙げる。僕も手をあげて返した。


「久しぶり」

「お邪魔しない方がいい?」

「そんなんじゃないってば。今、たいせい君の彼女の話で盛り上がってたんだから」

「え、彼女?なになに?」


 その子が目を輝かす。絵里と僕はそっと見つめあった。


「さ、飲み直そ。たいせい君、またね。彼女によろしく」


 絵里はその子の腕を捕まえるとそう言って笑って向こうへと離れていった。たいせい君の彼女の話を聞きたかったのにとぶつくさいう女の子の声が聞こえた。


 過去になったなんて絵里に言ったけど、本当は絵里の中でも過去ではなかったのかもしれない。苦い思い出として残ってたんだなと思った。そして、自分のことを思い出す。楽しい毎日の中で、暎万はいつも手を伸ばせばそこにいたし、自分の中からいつの間にか苦味というものが薄れてたんだな。でも、暎万と再会する前の自分の中には確かにその苦味があった。それをいつの間にか忘れてた。


 その自分の中にあった苦味を思い出して、そして、もう一人、話したかったやつを会場で探した。


「隆」


 みんなに囲まれて輪の中にいる男に声をかける。


「あ、たいせい、結局来たんだ」

「うん」


 隆の周りには、同じようなスーツ姿の男たちや大人っぽく変わったかつての同級生の女の子たちがいる。誰が誰だかぱっと見にはわからない。俺が隆に話しかけるとみんなも無表情にこちらを見た。


「あ、あの、今、忙しいよね?」

「ん?」

「久しぶりに会ったし、二次会とか、行くよね?」

「ああ……」


 隆がその時周りを囲んでいる奴らを見渡す。


「ちょっと話したいことあったんだけど、今日はまぁ、いいや」


 そう言って背中を向けた。後ろの方で、たいせい君と隆って仲よかったっけと聞いている女の子の声が聞こえた。


 隆は、結構勉強のできるやつで、いい大学に入って有名な会社に入った。僕らの中ではいわゆる勝ち組とでもいうのかな?同じように隆ほどまで行かなくても大学進学して企業に入ったやつらの中心にいるやつなんです。俺とはちょっとというか結構違う方に進んでる。隆の周りの奴らから見たら、俺と隆という組み合わせには違和感があったんだろう。


 それからしばらく一通り会場を回った後でそろそろ帰ろうかなと思っていると、肩を叩く奴がいた。隆だった。


「どっかいこ」

「え、いいの?」

「仕事で急用が出たって嘘ついた。さ、行くぞ」


 強引に連れ出された。賑やかな会場を後にして静かな夜の街に出る。


「みんなと盛り上がってたんじゃないの?」

「うーん」


 隆はあまり酔ってなかった。


「なんか会社の奴らと話してるのと大差なかった。仕事と関係のある話ばっかりしてさ。みんな。お互いが会社でどれだけ活躍してるかの、探り合い?そんな話がしたくて来たんじゃないのにな。がっかりだよ」


 そういうとさっぱりとした顔で笑った。


「同窓会でまでどいつが自分より上でどいつが下か、評価して回って自分より下のやつの方が多いの見てほっとしてやがんの。どうして俺たち、いつのまにかこんなつまんない大人になってんだろうな」

「そんなことしてた?みんな」

「お前はそういうのと無関係だな。昔っから今でも。全然変わんねえな。たいせいは」


 どこへ入ろうと言われて、明日仕事の僕はコーヒーが飲みたいと言ったのだけど、バカかお前はせっかく時間空けてやったのにと強引に酒が飲める店に連れ込まれる。そして、オーダーまで勝手にされてしまった。ウイスキーのソーダ割り。こんなに勝手に決めるのなら、どこに行くかと最初に聞くなよと思う。


「で、何?話って」

「ああ、俺、暎万にさ」

「うん」

「再会した」

「え、嘘?まじで?どこいんの?暎万」

「ええっと、東京……」


 この食いつき方を見ていると、これから先の話が……、若干しづらいな。


「仕事してんの?」

「フードライターみたいなことしてる」

「どこで会ったの?」

「うちに取材に来たんだよ」

「ケーキ屋に?へー、すげえ偶然だな。な、可愛くなってた?」

「……」


 さっき絵里に見せた写真を表示させてスマホをそっと隆の前におく。


「ん?」


 しばらく無言で写真を見てる。


「ここ、どこ?」

「奥多摩湖」

「奥多摩湖で取材受けたの?」

「いや、そんなわけないでしょ。俺の店、吉祥寺にあるし」

「どういうこと?」

「俺たち、その、再会して」

「再会して?」

「今、付き合ってんだよ」

「ええっ!」

「どうもすみません」


 なぜか勢いで謝ってしまった。


「いや、ありえないから」

「うん。まー、普通はそうなんだけどさ」

「ありえ……」


 そう言いながらもう一度スマホの画面を凝視しながら眉間に皺を寄せてる。


「あ……」

「ん?」

「これ、この子、あれじゃん。この前、お前とばったり偶然あったときに一緒にいた」

「うん、そう」

「え、あれ、暎万だったの?」

「はい」


 ごん……


「隆、おい、大丈夫か?」


 額をお店のテーブルに打ちつけた。それから頭を上げない。


「確かに、よく見れば面影が」

「うん。本人」

「なんだー」


 それから、ゆっくり顔を上げるともう一度写真を見た。


「笑ってるな」

「笑ってるね」


 それから、体を起こすと座り直した後に胸ポケットからタバコを出した。


「吸っていい?」

「どうぞ」

「お前はやらないの?」

「舌を鈍らせちゃうからさ」

「そういうもんか」


 カチリとライターで火をつけた。それから片手で頭を抱える。


「やんなるなぁ」

「何が?」


 ふっと苦笑いする。


「お前の彼女見た時にさ、ぶっちゃけ、むっちゃ好みだったの。なんだよ、羨ましいなって思ったんだよ」

「え?」

「俺、小学生の頃から進歩してねえんだな」


 ふふふふふと低く笑ってる隆のやつ。


「お前、でも、はっきり好きだったとか言ってなかったじゃん。子供の頃も大きくなってからだって」

「ああ、すみません」


 もう一度謝った。両手をテーブルについて軽く頭を下げる。


「ああ、もう。お前に勝てる気は子供の頃からしてなかったけどさ。どうせ取るならさっさと取れよ。人が忘れたような頃に持ってくなんてな」

「……」

「ま、でも、よかった」

「ん?」

「なんか嬉しいな。暎万が今は笑ってるってのが。しかもその相手がお前だってのがさ」

「……うん」

 

 二人で黙ってちょっとしみじみした。隆がタバコを深く吸い込むとまた天井に向けてフーッと吐き出す。


「結婚式には呼べよ」

「はぁ?そんな話出てないって」


 すると、煙の出るタバコを持ったまま隆はじっと俺を見た。


「お前が手放す気になったその時には俺にすぐ電話を……」

「あ、いや、呼びます」

「ほんとか?」

「暎万のこと説き伏せて絶対呼ぶ」

「じゃあ、あれだ。昔の罰というか、罪滅ぼし?裸踊りでもなんでもやってやる」


 唐突にそんなこと言い出した。笑った。


「やめて」

「なんだよ。俺、普段は絶対裸踊りなんかしないぞ。これでも昼はそこそのエリートサラリーマンだぞ」

「いや、でもさ……」


 裸踊りの似合わない隆の裸踊りを思い浮かべて笑いが止まらない。きっと俺ら同窓生の間では、涙の出るほど笑い転げる場面だろうけど、他の参列者の皆さんからは大いにひんしゅくを買う場面にしかならないのは必然で……。


「あ、そういえばさ、あのお兄さんってどうしてんの?あのむっちゃイケメンの」

「春樹さん?」

「春樹さんっていうんだ」

「隆、春樹さんのこと知ってんの?」

「小学校の時、会ったことがあんの。暎万のことで注意されたんだよ」

「へー」


 そう言えばそんなことを絵里が言ってたかも。隆が顔を引き攣らせながら続ける。


「スッゲー怖かった」

「……」


 細かく説明されなくても、想像がつく。


「弁護士なったよ」

「うわー」

 

 隆は低い声で唸り、両手で顔を覆った。


「何その反応」

「あの頃からそう言われると弁護士っぽかった」

「そう?」

「敵に回してはいけないタイプだ」


 確かにな。うん、でも……


「すっげえ、怖いけど、でも、優しい一面もあるんだよ。実は」

「お前、気に入られてんの?」

「……」


 お兄さんとの間で起きた様々な出来事が走馬灯(*4)のように駆け去った。酔いが覚めた。


「何か聞いてはいけないこと、聞いちゃった?俺?」

「……いや、別に」


 適当なところで帰ろうとしても明日休みの隆に絡まれて結構遅くまで飲んだ。別れて一人帰る帰り道、僕は僕と暎万の結婚式の場面を想像しました。そして、隆があの時はごめんと面と向かって暎万に言う場面を想像した。

 それは現実になるだろうか?

 そして、ごめんの後に隆は本当に罪滅ぼしのために公衆の面前で服を脱ぐ?

 それを見て涙が出るほどに笑い転げている人たちの真ん中に暎万がいる絵を思い浮かべてみた。ウェディングドレスを着て笑ってる暎万の絵を。


 深刻であったはずの出来事をそんなくだらない馬鹿げたものがオブラートのように包んでしまって、そして、全てを飲み込んで連れ去ってしまう。大きな鯨のようなものが僕たちのつまらない深刻な過去を飲み込んで、空の向こうまで泳ぎ去ってしまう。


「ねえ、ひろ君。本当はそんな大したことじゃなかったんだね」


 空の向こうまで泳ぎ去っていってしまった鯨の背中を見送ってから君がこちらを振り返って綺麗な笑顔でそんなふうに言ってくれたら、どんなにいいだろう?


*1 状況証拠

刑事訴訟では犯罪事実の存在を間接に証明する証拠のうち、供述証拠でないものをいい、民事訴訟では完成つに主要事実の証明に役立つ証拠を言う。(コトバンク参照)


*2 シンハー

シンハービール(Singha beer)

タイ王室に認められた唯一のビール 1933年にタイで生まれ、王室にも認められた由緒あるプレミアムビールです。一番搾りから醸造され、独特で豊かな味わいが加わったビールは、アジアンスタイルならではのバランスの取れたスパイシーな味わいを持ち、時には華やいだ気分をさらに盛り上げるアイテムとして、愛され続けています。ラベルに刻まれた古代神話に登場する伝統的なタイの獅子をシンボルとし、今では世界50ヵ国のさまざまなシーンで楽しまれ、‘世界の一流ビール500‘にも選ばれてます。(https://www.singha-beer.jp/参照)


*3 奥多摩湖

東京都西多摩郡奥多摩町の西端、多摩川の上流にある人造湖。1938年着工、1957年完成。ニジマス、ヤマメ、ハヤ釣りの名所。JR青梅線奥多摩駅からバス20分(コトバンク参照)


*4 走馬灯そうまとうのように

あたかも走馬灯(回り燈籠)に映る影のように、様々なビジョンが脳裏に現れては過ぎ去っていく様を形容する表現。死を覚悟した瞬間に去来すると言われるめくるめく過去の記憶について言う。(コトバンク参照)


作中では、皮肉をこめた強調として使用しており、死を覚悟した場面ではもちろんございません。


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