2 街角の美味しいもの
2 街角の美味しいもの
上条暎万
「おばちゃん、お会計して」
「あら、いいよ。暎万ちゃんは」
「え、いや、そんなわけにはいかないよ」
「家族みたいなもんなんだからさ」
お財布をちゃんと出してるんだけど、おばちゃんは笑いながらそういうと、慣れた手つきでパンを袋に入れていく。
「そんな、じゃあ、こんな買わないよ」
そう言ってトレイに載せてたのを下げようとする。
「ま、そんなこと言わずに」
レジの前で攻防をする。
「ね、もう、貰っちゃいなさいよ」
レジの列に並んでいる次のお客さんに言われてしまった。
「でも、これじゃあ、お店に迷惑になる」
「レジを詰まらせてんのも迷惑よ」
「だけど」
「ああ、もう、頑固ね。じゃ、こうしなさい。ひろ君につけとけばいいじゃない」
わたしはもう一度トレイの上を見た。
「一度にこのくらい買ったのがバレると怒られる」
「はい?」
結局すったもんだの上で、数を減らしてひろ君のつけで買うことにした。ま、ほんとにおばちゃんが息子からパン代を取るのかと言えば、取らないだろうと思うけど。
「じゃ、お礼に片瀬ベーカリーの宣伝するよ」
「あら、すごいすごい」
おばちゃんとお客さんたちと盛り上がってると、裏から焼き上がったパンを持ってきたおじちゃんに言われた。
「暎万ちゃんとこが出してるような雑誌に載るような高級店じゃないよ。うちは」
そう言って笑ってる。
「そんなことないですよ。街角ベーカリー特集、企画通します」
わたしがパンのお礼と言っちゃなんだけど、熱弁を振るうと、おじちゃんはまたやんわりと笑った。
「暎万ちゃん」
「はい」
「買ってくれて食べてくれて、気に入ってくれてまた来てくれる」
「はい」
「おじちゃんはさ、そういう自然な流れがあってるんだ。古い人間なのかもしれないけどさ。雑誌に載るとかいうのはちょっと。そういうのはひろが継いでからにしてくれよ」
やんわりと断られてしまいました。
モグモグと買ったパンを食べ歩きして家に帰りながら思う。
街角の美味しいものを宣伝してはダメなのかなぁと。
うちの雑誌は確かに高級路線です。だけどね、読んでくれる人が喜んでくれるものなら、基本なんだってありなんだよ。寧ろいつも同じような高級な目線でのみグルメを語っていいのだろうか。
わたしにとって美味しいというのは絶対なんです。
美味しいという価値観は全てを超えていく。常識とか先入観とか、そういうもの全部。
だから、お金とか見た目ではないと思うの。高いから美味しいとか、本物とか、そうではない。美味しいというのは人を幸せにできる力なんです。
それは特別な日に口にする料理の中にもあるけれど、それと等しく毎日口にするものの中にもあって然るべきなんです。
そして、はたと気づいた。
食べ歩きなんて申し訳ありません。食べ物に対する冒涜だわ。味がよくわからないではないか。そう思って、食べかけのパンをビニール袋に戻した。そして、続きを考える。だから、いいではないか。街角ベーカリー特集。それに、パンの歴史を振り返ってもいいな。イーストミーツウェスト(*1)で、日本で花開いた日本にしかないパンという目線からの、街角ベーカーリーの逸品。そこには、懐かしさというテイストがさらに加わる。
懐かしくて美味しい。なんとも幸せではないか。良い記事になるぞ。
しかし、しかしだな。
おじさん、嫌がってたな。
じゃ、片瀬ベーカリーは取材候補に入れられないじゃん。
うーん
「何やってんだ?お前」
「あれ?お兄ちゃん。何やってんの?こんなとこで」
「お前こそ、こんな道端で立ち止まって何考え込んでんだ?」
「お兄ちゃんの家、もっとあっちでしょ?」
「なんだ、そのビニール袋」
そして中を覗かれた。兄は眉を顰めた。
「その大量のパンはなんだ?」
「これは別に大量じゃない」
だって減らしたもの。
「それは普通の人間の一人前ではないぞ。暎万」
「別に一回で食べないし」
「そんなこと言いながら、お前がついついと次から次へと目の前のものを平らげていくのをお兄ちゃんは今までに数え切れないほど見てきた」
ああ、うるさいな。くそ。
「なんで、こんなとこいんの?」
「仕事がちょっと落ち着いたから、たまにはおばあちゃんに顔見せようかと思って」
「別に静香さんとこ、まっすぐ帰ったら」
「なんで、俺を邪魔にすんだよ」
「ふん」
パンを抱えて歩き出す。兄がついてくる。
「お前の家じゃないのに、なんでふんなんて言われなきゃいけないんだ?」
「久しぶりに会っても、小言しか言わないからだよ」
「……」
*1 イーストミーツウェスト(East meets west)
東洋が西洋に出会う