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風は遠き地に  作者: 香月 優希
第五章 竜が啼く
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風の導き 5

 収穫祭の日がやって来た。

啼義(ナギ)の生誕日は、今日だったな」

 イルギネスが、昼も過ぎて屋台が賑わい始めた中、運ばれてきた銅製の大きなマグをテーブルに並べながら啼義に笑顔を向けると、当の本人は肩をすくめた。

「いまいちピンと来ねえや。今までずっと、拾われた日に歳を重ねてたし」

「まあ、どうであれ、これで合法的に酒が飲めるのは間違いない」(しらかげ)が、マグを啼義の前に差し出す。「ひとまず、今日で十八ってことにしとけ」

 受け取ったマグにはなみなみと酒が注がれている。啼義は、何とも言えない顔で年長者二人を見つめた。いつもは真面目な驃まで、こんな適当な認識になるなんて。この二人、酒が目の前にあると、かなりいい加減になるのかも知れない。

「でも、驃が前に話を聞いた人、いなくなっちゃってて残念だったわね」

 リナが、少し寂しそうに呟いた。状況が落ち着いたこともあり、以前、驃が調査に来た際に啼義の出自に関する情報を提供してくれた人物を探したのだが、彼は南へ向かって旅立ってしまっていたのだ。

 イルギネスが、添木はなくなったもののまだあまり自由の利かない右腕をさすりながら、啼義に穏やかに微笑んだ。

「方向的に、ミルファあたりで会えるかもしれん。また探してみたらいいさ」

「うん」

 啼義は頷いた。確かに、自分が生まれた時の両親を知っている人物に会いたい気持ちはあったが、今は正直、これ以上の情報を受け入れる余裕がないような気もしている。本当の生誕日と名前が知れただけでも、思いもかけない出来事だったのだから。その時が来れば、きっとまた巡り会えるだろう。

「よし、乾杯しよう」

 イルギネスが左手にマグを持ち意気揚々と告げると、驃も「収穫祭と、啼義の十八歳の祝いに」と嬉々として続いた。

「乾杯っ!」

 啼義が自分のマグを手にするや否や、二人がほぼ同時にマグをぶつけてきた。「啼義、おめでとう!」「これで堂々と酒が飲めるな!」

「あ、ありがとう」

 若干、勢いに押されながら、啼義は慌てて返す。

<また、俺より盛り上がってるぜ>

 俺のことなのに、自分のことみたいに喜んで。啼義は少々呆れ顔になりながらも、やっぱり嬉しくなるのを否定できない。彼らのこういうところが自分を惹きつけていることを、啼義はもう充分認識していた。

 隣を向くと、リナもにこにこしている。彼女は啼義の視線に気づくと可憐な笑顔を浮かべ、「おめでとう」と果物を絞った飲料を入れたグラスを差し出してきた。啼義が、自分のマグをコツンと当てる。

「ありがとう」

 リナの瞳の紫は、いつも以上に綺麗に輝いて見える。啼義はその目を、まっすぐに見つめて言った。

「あのさ。あとでちょっと、二人で歩かないか」



 イルギネスと驃が、予想より早く近隣のテーブルの者たちとも盛り上がり始め、啼義とリナはそんなに気に掛けられることもなく、二人で抜け出すことに成功した。

 賑わう大通りを抜けると人通りは少しずつ減り、昨日、啼義が一人で訪れた大樹のある丘の麓まで来ると、喧騒はだいぶ遠ざかった。空はまだ明るいが、少しずつ日が傾いて来て、西から色が変わり始めている。

「もう少し先、あの上まで行くと、見晴らしがいいんだ」

 ふと立ち止まったところで、二人の視線が何となく重なった。リナの息が、心なしか上がっている。啼義は、自分が少し速く歩きすぎたことに気づいた。「ごめん。歩くの速かったな」

 リナが首を振る。「ううん、大丈夫」 

 けれど、ここからは少し上り坂だ。また自分が行きすぎないためには一緒に歩けばいいんだと思い立ち、啼義はリナの手を取った。

「行こう」

 するとリナも、その手をキュッと握り返してきた。握り返されるとは思っていなかった啼義は、動悸がするのを悟られないよう、黙々と丘の上まで進んだ。結局、また少し速足になりながら。


 丘の上から見るカルムは、ミルファよりはだいぶ小さいが、収穫祭のために飾られた照明がだんだんと灯されてきて、町全体がふんわりと優しい明るさを保っていた。

「本当だ。いい眺め!」

 リナが、少し息を切らしながら感嘆の声を上げる。

「啼義は、こんな素敵な日に生まれたのね」

 振り返ったリナの笑顔が、殊更(ことさら)キラキラと啼義の目に映った。こんなふうに二人でいられる時間は、ミルファにいた時以来だ。けれどあの時はまだ、とても気持ちを告げられる状況ではなかった。

「あの通りが、さっき私たちがいたところね」

 啼義は、眼下の景色に夢中なリナを見つめながら、こうしていられるひと時の幸せを、心から噛み締めた。こんな時間をこれからも、何度でも迎えたい。


「ねえ、啼義」

 振り向いたリナが、啼義の視線に気づいた。その熱のこもった眼差しに、リナは思わず口を閉じ、(いぶか)しげに啼義を見上げる。

 啼義は身体ごとリナに向かうと、さっきとよりもしっかりと彼女の手を取り、出来るだけ優しく自分の方へ向かせた。

「リナ」 

 啼義の黒い瞳を見返したリナの瞳も、心なしか、ほのかな熱を宿している。

<今しかない>

 啼義は背筋を伸ばし、今度はリナの手を両手で包んだ。

 

「俺は、リナとずっと一緒にいたい」


 啼義の声は、穏やかながらも揺るがない決意に満ちている。

「ミルファから先も──イリユスまで、俺と一緒に来てくれないか」

 リナの瞳が、驚いて一瞬惑う。それから啼義を真っ直ぐに捉え──断られるのかと不安になりかけた啼義の耳に。

「はい」と、彼女の答えが届いた。



 西日が照らして赤くなり始めた空を、木の幹に背を預けたイルギネスが仰ぐ。

「まあ、ここなら宿のすぐ裏だし、心配ないだろう」

 隣では驃が、何となく目のやり場に困った様子で小さく息をついた。

「そうだな。これ以上俺らが見てるのも野暮だ」

「主人のプライバシーも、大事だからな」

 少し酒が入ってニヤニヤしながら言ったイルギネスを「そんな顔で言うな」と驃が(いさ)めたが、その顔はやっぱり笑っている。

「護衛どころか、すっかりアテられちまったな。飲みに戻ろうぜ」

「本当にな。羨ましい限りだ」

 振り返った向こう、一つになった影をそっと振り返ると、二人は静かに踵を返した。

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