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風は遠き地に  作者: 香月 優希
第一章 遥かな記憶
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亀裂 4

 その日、(レキ)の前に啼義(ナギ)は現れなかった。夕方、本人が顔を出さず、見張りの人間から(やしろ)に戻ったという報告だけを受けて、靂はどこか安堵していた。

 ダリュスカインの話は、まさかとは思うが、看過するのも危険な──思い当たる節が、ないとは言えなかった。

 啼義を拾った時、彼の身内に関する情報がないか、配下の者を使ってひと通りは調べた。しかし当時は噴火の混乱もあり、何の手掛かりも得られず、結局は靂が自ら啼義にその名を与え、この社で育てた。

 もとより、本物の親のように接してはいない。住み込みで雑用を担っていた女性に、啼義の世話はほとんど任せた。女性は未亡人で、啼義より一歳年上の男児の母親でもあったので、その男児と啼義は、よく一緒に遊んでいた。啼義が十歳になる頃、故郷の両親の面倒を見たいと言って、親子でここを去ってしまうまでは。

 その男児が、ある日言ったのだ。あれは七歳頃だったか。

『木に引っかかった凧を、啼義が風を起こして取ってくれたんだ』

 最初は偶然かと思った。何せ本人も、どうしたのか分からないと言っていたから。

『竜の神様に、風を吹かせてってお願いしてみるって、啼義が言ったんだよ』

 そんなことがあってから、"竜の神様にお願い"は、啼義の中でしばしば発動されたが、不発なことも多く、社が信仰している淵黒(えんこく)の竜を(なぞら)えて言っているのが、たまたま願い通りになっているだけだろうと、靂もさほど気にはしていなかった。やがて啼義も成長すると、そんな子供じみたことも言わなくなり、時は流れた。

 だが二年ほど前、乾燥による山火事が起こった際、()()は起こった。火の勢いが増し、場所が場所だけにこのままでは社にも被害が及ぶかも知れないと、皆が案じ始めた頃──

『雨を呼ぶには、どうしたらいい?』靂と共にいた魔術師ダリュスカインに、啼義は尋ねた。

『水の気は移ろいやすいものです。多少の水は思い通りに出来ても、雨にするには相当量の気の同期が図れないと』

 その頃の啼義は、剣術も魔術もある程度仕込まれていたが、正直、魔術に関してはまるで身になっていなかった。ダリュスカインが教える魔術の仕組みは理解できるのに、いざ実戦となると上手くいかない。身体が魔術を拒んでいるようにも思えるほど、魔術のやり方が反応しないのだ。

 だから、そんな話をしたところでどうにもなるまいと、そばで聞いていた靂も思っていた。

 啼義は庭に面した軒の下に立つと、目を閉じ、考え込むように押し黙った。そのまま、何かに集中しているような姿に、二人が何ごとかと見守っていると、その場の空気がふいに、重く沈んだように感じた。


 ──と。


 水の粒が、落ちてきた。一滴、また一滴。落ちる間隔はだんだん短くなって、程なくして雨になった。そしてあっという間に豪雨となり、辺り一面に激しく降り注いだ。

『これは……何を──』ダリュスカインが驚きを隠せずに問うと、啼義は自分の仕業なのか判断しかねた表情で答えた。

『なんかわかんねえけど、願ってみたら届かねえかなって思って』そこで初めて、照れたように頭を掻いて『この雨で、火が消えればいいけどな』とだけ言った。

 雨は一昼夜降り続き、山火事は収まった。


 それから、その力を手探りで鍛錬する日々が始まった。魔術のやり方では通じない。おそらくこの力は、啼義自身の内なる何処かにあるのだ。いろいろなやり方を試し検証を重ねて、やっと何かが掴めた気がする、と本人が言えるところまで漕ぎ着けた。

 なのに。

 今さら──幼い日の啼義が言っていた"竜の神様"は、果たして"淵黒の竜"だったのだろうか。

<もし違ったなら……どうする?>

 全く疑ってもいなかったことが、今回の事件で急に浮き彫りになって、靂は彼らしくもなく狼狽(うろた)えた。

<切り捨てればいい>

 もう一人の自分の声が聞こえた。

 そうだ。かつて淵黒の竜を信仰の柱にすると決めた際、異を唱えた者を始末した時のように。

 ここに万が一、蒼空(そうくう)の竜の力など紛れ込めば、姫沙夜(キサヤ)の魂の復活は永久に叶えられなくなるだろう。ダリュスカインや、他にも集まってきた、呼び戻したい魂を待つ者たちの願いも。

 だがまだ、そうとは決まったわけではない。まずははっきりさせる必要がある。その上で、(かしら)としての自分の務めを遂行せねば。今までずっと、そうしてきたのだ。

 しかし気持ちは、自身の心と義務との狭間で彷徨った。こんなことは初めてだ。そうして眠れぬうちに、気づけば白々と夜が明け始めていた。

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