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風は遠き地に  作者: 香月 優希
第五章 竜が啼く
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破邪の光 3

 岩場の上に立つ姿は、やはりあの頃のダリュスカインではなかった。金の髪はざんばらに乱れ、外套も服も血塗(ちまみ)れだ。そして何より、顔──青白い肌に不気味に映える真紅の瞳に光はなく、よく見ると耳の付近には、鱗のようなひびが透けている。


<話など、出来ない>

 啼義(ナギ)はようやく悟った。靂のことも、ダリュスカイン自身の本心も、もう永遠に聞く機会など来ないのだ。だが躊躇(ためら)っていたら、こちらが先にやられる。

 

「まだ生きていたか」

 啼義の後ろに立つ(しらかげ)に視線を投げ、ダリュスカインは気怠そうに目を細めた。

「悪いが、主人を護るのが、俺の最大の使命なんでな」

 ダリュスカインが微笑む。

「ならば、その使命から解放してやろう」


 驃が剣を構え直すと同時に、ダリュスカインの左手が振り上げられ、驃の足下を目掛けて炎が走った。身軽に(かわ)した驃が、背をかがめてダリュスカインに向けて駆け出す。

 ダリュスカインは右前腕を失い脇腹を剣が貫通したとは思えないほどの俊敏さで、後方へ飛び退(しさ)った。驃の脚がそれに負けじと岩場を蹴り、切っ先が外套を掠める。ダリュスカインの手元から、烈風が起こった。

 凄まじい勢いに、驃の身体が僅かに傾く。間髪入れず発生した氷の(やじり)が、驃の左上腕、肩当ての下をやや深く(えぐ)った。

「くっ!」

 飛び散る鮮血──が、次の瞬間、驃がものともしない勢いでダリュスカインの右肩に剣を振り下ろし、そのまま胸まで斜めに斬りつける。

「おのれっ!」

 噴き出る赤が、地面にも散る。ダリュスカインが必死の形相で左手を払うと、岩肌が轟音を立てて大地を揺るがした。


 ゴオオオオオオ!


 足場を揺らがされた驃が、大きくバランスを崩した。機を逃さず、ダリュスカインの掌から炎が起こる。それが繰り出されるギリギリのところで、驃が跳んだ。

 間一髪、炎は驃のマントの端だけを焼き、彼方へ掻き消える。

 足が地に着くや否や蹴り出した驃が大きく踏み込み、弧を描いた剣先がダリュスカインの右大腿に確かな一撃を食らわせた。一瞬遅れて血飛沫が上がる。

「ぁあ──っ!」

 耐え切れず膝をついたダリュスカインが、素早く外套を翻す。


 瞬間──彼の姿が消えた。


「えっ?」

 再度斬り込もうと体勢を整えた驃の目が、ダリュスカインを見失って狼狽する。

<いない?>


「驃っ! 後ろだ!」

 叫んだのは啼義だ。

 驃の背後にダリュスカインが現れ、振り返った驃は風の衝撃波をまともに受けて吹っ飛ばされた。先ほど投げられた時と同じように身体をしたたかに打ちつけ、今度こそ何箇所かの骨が軋むのを驃は感じた。


「消えてもらおう」

 それでもなんとか立ち上がった驃を、ダリュスカインが冷えた眼差しで見つめる。


 その時──


「お前の本当の相手は俺だ!」

 啼義が横から走りこんだ。腰元で構えた剣先を真っ直ぐダリュスカインに向け、勢いのままに突っ込む。

 だが、ダリュスカインの方が速かった。鮮やかに啼義を(かわ)すと、驃に向かって指先から小さな氷の(やじり)をまとめて放つ。

 避けようと素早く身を引いた驃の足先を、閃光が走り──突如、地面が崩落した。


「──あっ!」


 その光景は、ひどくゆっくりと、啼義の目に映った。

 成す術もなく、驃の身体が崖となった向こうへ落ちて行く。そこからはあっという間だった。谷間となった崖下に、わずかに驃の声が響いた気がした。

 大きな地鳴りと共に、その周りの地面も崩れ落ちていく。


「さらばだ」

 ダリュスカインが指先をふわりと閉じると、崩落は止まった。


<……え?>


 啼義は、瞬きすら忘れて驃が消えた空間を凝視する。


「しら……かげ?」


 何が起こったのか、緩やかに理解が広がるのと入れ違うように、全ての感情が抜け落ちていく。

「さあ、これで終いだ」

 ゆるりと振り返ったダリュスカインは、啼義の色を失った顔に満足げに微笑んだ。

「おや、哀しいか?」

 

 哀しい?


 その言葉に我に返った啼義の漆黒の目が、ゆっくりとダリュスカインに向く。自分の心は今にも散り散りになりそうなのに、ダリュスカインの顔には、人間らしい感情など、微塵もないように見えた。


<哀しいだと?>


 その瞬間、心の底から湧き上がったのは──

(レキ)

 始末したと聞かされた時と同じあの衝撃が、再び啼義の心を震わせる。

 あれから靂だけでなく、目の前にいる男が奪ったもの──今また、驃までも。

 

<何人()ったら、気が済むんだ>

 それも、ダリュスカインの身体を使って。


 哀しみなんかじゃない。魂を揺るがすほどの衝動の中で湧き上がるのは──とめどない怒りだ。

 これ以上の犠牲を、許すわけにいかない。俺が止めなければ、誰が止めるのか。

 身体が急速に熱を帯びる。感情の戦慄(わなな)きは剣を持つ指先まで走り、啼義の瞳は射抜くようにダリュスカインを睨め付けた。


「お前を、許さない」

 

 ダリュスカインの口元から、小さな笑い声が漏れる。

「ほう。力も使えないくくせに、気持ちだけは上等だな」


 血塗られた指先が、啼義に向けられた。その目は悦びに満ちている。ついに啼義を、蒼空(そうくう)の竜の力を封じ、再びこの地に蘇るのだと。


 しかし啼義は今、一切の恐怖も感じていなかった。

 あるのは──


<終わらせてやる>


 駆け抜けた感情の激震が胸の奥を焼くように焦がし、体内では抱えきれないほどに膨張していく。爆発しそうだ。

 

 ダリュスカインの指先が動く。


 無意識に閉じた瞼の裏に、蒼い光が満ちた。全ての音が掻き消え、心臓の音だけが大きく響く。

 目を開けたそこに、ダリュスカインの放った淵黒(えんこく)の炎が迫った。

 蒼い光に包まれた啼義の剣が、それを薙ぎ払う。降り注ぐ闇の矢が身体を(かす)めて鮮血が飛ぶのも構わず、啼義の目はただ一点を見据え、走り出した。その先に現れたダリュスカインの胸元に──

<あれだ!>

 どこまでも昏い黒──核が浮かび上がって見えた。


『狙った対象の先まで、突っ切る気持ちで一気に貫け。躊躇(ためら)うな』

 驃の教えが、まるで隣にいるように啼義の耳を打った。


「うおおおおお!」

 眩しいほどの光りを放ちながら、啼義の剣先が真っ直ぐに核を貫く。それは意志を持ったかの如く、しっかりと背中まで突き抜けた。


 グワアアアアア──!


 獣の咆哮のような地鳴りが瞬間的に足元を走り抜け──啼義を包む世界の全てが静止した。

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