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風は遠き地に  作者: 香月 優希
第五章 竜が啼く
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破邪の光 1

 イルギネスと(しらかげ)は生きていた。

 驃は鉄鎧のおかげで、あの怪力で握りしめられても(あばら)をへし折られるのは回避できた。それでも全身を打ち付けて見えざる刃を受け、あちこち打撲と切り傷だらけだ。だが、少しするとしっかり立ち上がり、「油断したぜ」とぼやいた。

「でも、ざまあねえな……すまん」悔しそうに唇を噛み締める。

 片やイルギネスは──やはり全身を打った衝撃が、身体の何箇所かに激しい損傷を与えているのは確実で、殊に捻り上げられた右腕は、どう見ても重篤だった。激しい痛みにさすがに取り繕う余裕もなく、身を横たえたイルギネスには苦悶の表情が浮かんでいる。革のバンダナを破って切りつけられた額からの出血と汗が混じり、それが沁みて彼は小さく呻いた。白に近い銀髪を染める赤の鮮やかさに、見ている啼義(ナギ)の血の気も引きそうだ。

「リナ。どこまで治癒がかけられる?」

 啼義が尋ねると、リナは唇を噛み締め、今にも涙が溢れそうなほど瞳を潤ませながらも、気丈に答えた。

「ギリギリまでやってみる」

 しかし、待ったをかけたのはイルギネスだ。

「やめとけ」

「え?」

 彼は辛そうに目を閉じて息を吐き、言った。

「さっき繰り出した魔撃で、相当の魔力を使っただろう。俺はいい。啼義のためにとっておけ」

「でも……」啼義が狼狽(うろた)える。イルギネスは痛みに顔を顰めながらも続けた。

「ダリュスカインは弱っている。追いかけて仕留めるなら今しかない」

「──」

「大丈夫だ。行ける」イルギネスが立ち上がろうとするのを──「待て」と驃が止めた。

「なんだ?」イルギネスが不服そうに問うと、驃は上半身を起こしたイルギネスの肩を支え、険しい表情で親友の顔を覗きこむ。

「イルギネス、お前はもうここにいろ」

「なんだと?」

「その右腕は使い物にならん。どうやって戦うつもりだ」

 すると、イルギネスは反論した。

「俺だって左も少しは使える。魔気の付与をすれば威力も上げられる」

「怪我は腕と額だけじゃないだろう。あんな派手に投げられて」

「まだ動ける。戦える限界まで──」イルギネスの言葉を、驃が手で遮る。「そうじゃねえよ」

「なんだって言うんだ」

 不満を露わにする親友に、驃は「分かんねえのか」と苛立ったように答えた。


「お前には、待っている相手がいるだろう──ディアが」


 驃の口から出た恋人の名に、イルギネスの瞳が揺れた。それを受け、ふと驃の目元が和らぐ。

「俺にはいない。だからこういう時は、俺が行くんだよ」彼は柔らかな声で言った。

「驃……」

「あとな」

 驃は口の端を上げる。そこに浮かぶのは、こんな状況で傷と泥に汚れていても、頼もしく凛々しい笑顔だ。

「啼義にはこれから、傍に信頼できる相棒が必要だ。お前がいなくてどうする」


 啼義は何も言えずに、二人をただ見つめた。

 驃の言うことはもっともだ。しかしイルギネスはまだ、納得できない顔で啼義を見上げる。

 

 決断しなければならない。


 確かに、あの右腕を切り離したことで、ダリュスカインの力をある程度は削いだのだろう。自分を仕留めずに逃げ出すほどに。そして、大地を震わすほどの魔術を使った今、彼の魔力もそれほど残っているとは思えない。それでも、勝算があるかと言えば──


 啼義は、イルギネス、驃、リナの順に視線を巡らせ、おもむろに告げた。


「イルギネスとリナは、一緒に残ってくれ」

「そんな……啼義」

 抗議の声をあげたリナに、啼義はあくまで落ち着いた口調で指示を下した。

「日が落ちたら動けなくなる。気温も下がるだろう。せめてさっきの山小屋なら、夜の寒さもなんとかなるし、井戸もある。あそこで結界を張って夜をやり過ごして、俺たちが戻ってこなかったら──残る魔力ありったけでイルギネスに治癒をかけて、引き返すんだ」

 リナの顔が、悲痛な思いに歪む。

「そんなこと、できるわけないじゃない。啼義たちを置いて引き返すなんて!」

 声を昂らせたリナの肩に手を乗せ、啼義はしっかりと、彼女の紫の瞳を見つめて安心させるように微笑んだ。

「大丈夫。必ず戻ってくるから」

 リナの潤んだ目から一筋こぼれ落ちた涙を、啼義の指が拭う。彼は、リナの手をしっかりと握った。


<大丈夫だ。この手の温もりがあれば、俺は行ける>


「行ってくる。イルギネスを頼む」

 啼義は立ち上がった。驃も隣に立ち、剣を引き抜くと儀式のように颯爽とひと振りして構え、「俺が一緒なんだから案ずるな」と、自信に満ちた笑みを浮かべる。

「万が一、俺に何かあっても、啼義は絶対に生きて返す。いや──必ず二人で帰ってくるさ」


 足を踏み出した啼義は、一度だけリナとイルギネスを振り返り噛み締めるように頷くと、一切の負の感情も断ち切るように身を翻し走りだした。驃がその後に続く。二人の姿は、ほどなくして、土煙の向こうへと消えた。

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