表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
風は遠き地に  作者: 香月 優希
第五章 竜が啼く
76/96

対峙 1

 自分の中に蒼空(そうくう)の竜の加護があるなら、淵黒(えんこく)の竜の力もまた、存在し続けているのではないか。


 言い伝え通りならば、淵黒の竜は地中深くに骸となって封じられ、もはや原型も留めていないはずだ。

 魔物は、従来から存在する闇の気から生まれている存在ゆえ、淵黒の竜との関連性は薄いとされているが、蒼空の竜の加護を利用して境界線が設けられて以降、長らくその範囲内だけに存在し、稀に出てくるものはあれど、魔石狩りのハンター以外に、遭遇することは殆どなかった。イリユスの神殿に置かれた<蒼き石(シエド・アズール)>が、竜の加護の継承者によって、その力を安定させている間は。


 継承者がいなくなって、二十年近く。

 魔物は境界線を難なく越えるようになり、町の近くでも遭遇する確率が上昇し、刻々と人々の安全が脅かされつつある。イリユスの神殿でイルギネスと(しらかげ)も属する魔物討伐隊が結成されたのは、十数年ほど前のことだ。



 宿屋に入り、男三人とリナの部屋で別れる前に、啼義(ナギ)はリナに声をかけた。

「リナ、魔の刻石の反応がどの辺なのか、今一度、慎重に探ってみてくれないか」

 もしそれが近くなら、男が見たのはやはりダリュスカインなのかも知れない。そうでないとしても、何かしらの手を打たなければ、得体の知れない被害が広がる恐れがある。

「うん。読み解いたら、そっちのお部屋に報告しに行くわね」彼女は快諾した。


 リナの返事を待つ間、啼義は愛剣の手入れに勤しんでいるイルギネスと(しらかげ)には混じらずに、少し離れた窓辺に立ち、あらためて自分の中に感じる微かな変化を、出来るだけ冷静に状況を分析しようと試みた。

 先ほど幻覚のような光景を見てから、心臓よりもずっと深いどこかが、それとなく疼く気配がある。それが、ともすれば自分を駆り立てようと、不思議な衝動を伴って突き動かそうとしている。


<竜の加護の何かなのか?>

 それはもう、自分の意志だけではない気がした。


 突然──


「大丈夫?」

 リナが至近距離で覗きこんでいたので、啼義は心臓が飛び出そうなほど驚いた。

「わあっ」

 あまりの動転ぶりに、今度はリナが慌てる。

「ごめんなさい。驚かそうと思ったわけじゃないの」

「い、いつの間に?」

「ノックしたらちょうど扉が開いて──イルギネスたちは、外で打ち合ってくるって」

「……」

 啼義は唖然とした。二人が出て行ったことにも、リナが入ってきたことにも、全く気づいていなかった。

「反応に、変化はあったか?」

 呼吸を整えて啼義が聞くと、リナはテーブルに広げられたままの地図の上、一点を指差した。カルムに入ってから手に入れた、この周辺を細かく書き込んだ地図だ。

「波動は今、ソダナより少し東あたりに感じるわ。この先に、集落がある」

 啼義が、地名を口に出して読む。

「ルオ……」

 やはり、真っ直ぐ自分に近づいているわけではない。それどころか──啼義はリナの顔を見た。リナが頷く。

「前から動いている気配を、ざっくりだけどこっちの地図で当てはめてみたの。波動の動きは、集落の位置をなぞっている」

 その数、ルオを入れて三つ。一つがソダナだ。「これは、偶然なのか?」

 偶然にしても、その一つが消滅しているとすると、あとの二つはどうなのだろう。ルオはまだ、無事なのだろうか。

 リナは地図から視線を上げ、啼義を見つめた。

「ねえ啼義。集落を焼き払えるほどの炎なんて、淵黒の竜の伝説みたいだって、言ってたわよね」

 見つめられて、やや高鳴る鼓動を気づかれないよう、啼義は務めて冷静にリナを見返す。

「……うん」

「私、イリユスの神殿で聞いた話で、もう一つ思い出したことがあるの」

「なに?」

「淵黒の竜は、人の魂を糧にするって。助かったあの人が見た、仲間が煙になって吸い込まれた話──もしかしたらそれは、()()()()()なんじゃないかって」


 啼義の背中を、ひんやりと冷気が撫でた。


 魔の刻石の波動と情報を照らし合わせれば、()()にいるのはダリュスカインのはずだ。しかし──

 二十年近くもの間、封じられた淵黒の竜を制御している継承者が不在の今、影響は、魔物の増加だけなのか?

 最後に対峙した際の、彼の狂気めいた赤い瞳を思い出す。彼は何か、別のものに魅入られたのではないか。そして、一連の情報を集めて考えられる答えは──

<そんな大事(おおごと)になってるなんて、考えたくねえな>

 しかし、どう否定しようとしても、残念ながらその推測は核心に近づいてきているように、啼義には思えた。

「ソダナじゃなく、ルオの方へ向かうべきか?」

 冷えた指先を地図に置いたまま、啼義が独り言のように呟く。

「そうした方がいいと思う」

 リナが啼義に向けた眼差しには、迷いがなかった。それを受けた啼義の心からも、不思議と迷いが消えていく。

「イルギネスたちに話そう」

 そこにダリュスカインがいるのか、はたまた別の何かがいるのか──しかし、どちらにしろ進まなければならないのだ。それにこれは自分の使命においても放置できる内容ではないと、本能が警告していた。

<なんだか分かんねえけど、これが竜の加護の何たらだって言うなら、従ってみるしかない>

 リナが一緒に来てくれたことで、それまでどこか無理矢理に言い聞かせて成り立っていた覚悟が、いつの間にか自主的な、確固たる覚悟へと変化していた。そう、リナがいるから、前に進む勇気が湧くのだ。

「あのさ」

 突然、そんな思いを伝えたい衝動に駆られたのは、こんな時だからこそなのかも知れない。啼義は自然にリナに視線を合わせていた。リナが「なに?」と彼の黒い瞳を見返す。

 どう伝えたらいいだろう。啼義はちょっとの間、逡巡した。

<イルギネスみたいに、そのまま言えばいいんだ>

 心の内を。

「リナ、ありがとう。どうなるか分からないけど、リナのおかげで、俺は惑わずに道を選べる。だからこれからも、力を貸して欲しい」

 かえって率直すぎるほどの言葉に、リナは意表をつかれて瞬きをしたが、すぐに「もちろんよ。任せて」と、その瞳に理解を示し、微笑んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ