闇の誘い 2
混沌とする意識の底辺に横たわる自我が、どこまでもつだろうかとダリュスカインは考えた。
魂を喰らうことを殺戮に替えたとて、渇きが増すばかりで、結局は救いなど何処にもない。それに、啼義の有する蒼空の力を消し去るには、この力を溜めなければ敵わないのだ。
自分の肉体は、どうやら人間のそれとはもう、全く異なる何かになってしまったようだった。人としての食物は必要を感じないが、魂を欲する。水で喉を潤すことすら、何の満足ももたらさない。
<苦しい──>
目的を果たせる道をやっと見出したはずなのに、その先にあったのは夜よりも昏い闇だった。どうしてこんなことになってしまったのだろう。日が落ちまた昇るのを見ても、自身の夜明けは永遠に来ないかのように思えた。
<この酩酊に身を任せれば、楽になれるのだろうか>
己が引き摺り込まれ嵌っていく精神の苦衷は、限界を迎えようとしていた。
<結迦>
脳裏に、声をなくした彼女の姿がよぎる。
<結迦>
もう二度と会うことは叶わないであろう、母と似た色をした瞳の彼女の、最後の言葉が耳の奥で響いた。
『……お帰りを──お待ちしています』
啼義を葬れば、元の肉体に戻れるのだろうか。そうすれば、この延々と続く闇を抜け出せるのだろうか。
<早く──>
終わらせてしまいたい。進めば進むほど深くなる惨苦の道から抜け出せるのなら、何をするのも厭わぬ。それほど、ダリュスカインの心は枯渇していた。
<どこにいる>
あの黒髪の青年の、自身が持っているものを何ひとつ自覚することなく、全てを手にしていることに対する、自分ではどうしようもない嫉妬の念を早く打ち消し、今度こそ、自身に向けて拓かれた人生を歩むのだ。それを手に出来るなら──
ダリュスカインは空を見上げた。澄んだ青がどこまでも広がり、自分以外に人の気配はない。
<綺麗だ>
そう感じる心は、確かにここにあるのに。
また──
脳の奥から、侵食が始まるのを感じる。自分ではあって、自分ではないものに支配されていく。遠ざかる正気。
<そうだ。お前は私の力を譲り受けたのだから>
しかし、これは本当に、己が望んだ姿なのだろうか。
靂に対しての思いは、彼を弑したことで晴れたのか。窮地にいた自分に手を差し伸べてくれた主を、手に掛けた罪だけが積もってはいないか。それは──啼義をこの牙に掛ければ、消えるのではなく、より積もるだけではないのか。
いや。
我が身の置かれたこの状況こそが、罪の結果か。
<今さら>
ダリュスカインは急に可笑しくなった。何を自問自答しているのだ。迷いを嗅ぎつけられれば、またあの耐え難い激痛が脳幹を震わすかもしれないのに。
もう、分かっている。
抗うことなど、許されないのだ。
そして、これが罪の結果なら、逃れる術などあるはずもない。
「俺を、待つな……」
届くはずもない思いを、ダリュスカインはどこへ向かうともなく口にした。
──待つな結迦。俺は、もう帰れぬ。
諦めにも似た焦燥感のままに、己の意識を手放すダリュスカインを、昏い波動が再び包み込む。
<それでいい。我に全てを任せよ>
それはいつものような苦痛を伴う感触ではなく、不思議と柔らかな、それでいて冷んやりとした、闇そのものの抱擁のようだった。




