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風は遠き地に  作者: 香月 優希
第四章 因縁の導き
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それぞれの決意 4

 リナはしばらくの間、啼義(ナギ)が立ち去った扉を唖然と見つめていた。そこにふわりと、彼の背中の残像が浮かぶ。彼は、もう大丈夫とは言ったが、まだそれとなく足を引き摺っていた。完治には、もう少し時間がかかるだろう。

<もうちょっと、話したかったな>

 せっかく、元のように話せる雰囲気が戻ったのに。

<でも、ずっとはいられないんだ>

 啼義はあまり表情豊かな青年ではないが、だからこそ、彼が笑うと自分も嬉しかった。

 アディーヌが魔の刻石からダリュスカインの居場所を割り出せたら、啼義たちはそこへ向かうのだろうか。戦いを回避できる可能性は?

 ダリュスカインが、どんな人物なのかは知らない。しかし、イルギネスが啼義を発見した時の様子からしても、穏便には済まないだろう。

<戦うことになった時、魔術の仕組みを理解している誰かがいないと、太刀打ちできないかも知れない>

 アディーヌも同行するのなら、それが一番心強い。だが、それが難しいことをリナは知っていた。彼女は、魔物の襲撃で受けた傷が原因で第一線で戦えなくなり、神殿を離れ、故郷の街に引き上げてきた身なのだ。

 あるいは──ダリュスカインは果たして、啼義の居場所をもう察知しているだろうか。もし気づかれていても、追いつかれる前に神殿へ逃げ込めれば、多勢に無勢で啼義を守れるのでは?



「それは、一理あるわね」

 アディーヌは、自室を訪れたリナの考えに頷いた。

「けれど、陸路では山を越えなければならないし、海路は月に一往復。先日出航したばかりで当分出ないわ」

 残念な答えに、リナは落胆した。この辺りも、朝晩はもう秋の気配が混じっている。ミルファからイリユスの方面へ延びる山々はある程度の標高があり、おそらく冬の気候に近いだろう。場所によっては降雪があるかも知れない。

「それに──」

 アディーヌは、机の上に置かれた魔の刻石に、軽く手をかざした。

「ダリュスカインの波動を、捉えたわ」

「え?」

「彼はまだ、ドラガーナ山脈(竜の背)の北側にいます」

 一瞬気持ちが張り詰めたものの、北にいると聞いて、リナはほっと息をついた。

「だったら、何かしら手を打つ時間もあるかも知れない」

 しかし、リナに向けられたアディーヌの左右色違いの瞳には、懸念の色が浮かんでいる。

「そうね。ただ、少し気になることが……私の記憶が正しければ、あの辺りには(いにしえ)の祠があったはず」

 慈源(じげん)の祠──山脈を抜けた南、(しらかげ)が訪れていたカルムより、さらに奥深い場所に建てられている慈禊(じけい)の祠と繋がると言われる、目に見えぬ道。

「あの祠は、もう何十年も、無事に抜けた者はいないと言われています。だけど──」

 聞いているリナにも、アディーヌの不穏な予感が読み取れた。最悪の事態を想定するべき、とアディーヌはいつもリナに言っている。とするとこの場合──

「もし……祠の存在を知り、うまく抜けられた場合、何日くらいでここまで来れるのですか?」

 リナの質問に、アディーヌは少し思案し、答えた。

「普通なら、六、七日ほどかしら。でも、彼が祠を抜けられるほど上位の魔術師なら、短距離の瞬間移動を会得している可能性が高い。それなら、もっと短いでしょう」

 ほとんどあり得ないだろう。だが、ないとも言い切れない。

「どうであれ、ダリュスカインが生きている以上、何らかの決着をつけないことには、啼義様のお気持ちも収まらないでしょう。だとしたら、私たちは、全力で支援し、お守りするのみです」

「はい──」

 厳しい現実に気落ちしたリナの視界にふと、魔の刻石が映った。啼義の肩に巣食っていた怨念の塊は、今、アディーヌの机の上にしんと静かに佇んでいる。

<啼義>

 熱を出し、何かを夢見てうなされていた彼を思い出して、リナは胸が痛んだ。ダリュスカインの事が乗り越えられない限り、彼はずっと苦しむだろう。あんな姿を見るのは辛い。彼にはもっと、笑っていて欲しい。たとえ、もうすぐ別れの時が来ても。


<お別れ?>

 それは突然、リナの頭の中に啓示のように降ってきた。

<自分が見送る側だなんて、誰が決めたの?>

 思えば昨日、啼義がいなくなった時だって、あんなにも心配で腹が立ったのは、自分が置いていかれたからだ。出会ってたった数日だが、どこかで心が通じたような気すらしていたのに、まるで蚊帳の外のように振り切られたことが寂しく、手の届かないどこかで、彼に何かあったらと思うと不安でたまらなかった。

<あんな思いは、もうしたくない>

 ここへ来て約半年。アディーヌを手伝いながら魔術の手解きを受け、鍛錬を積んできた。相変わらず攻撃術はさっぱりだが、薬草の知識も併せて、治癒術は比較にならないほど腕を上げた。

 自分の治癒力を誉めてくれた啼義の言葉が、リナの耳の奥に響く。


 ──俺はさっき、(すげ)えなって思ったよ。

 

 それだけではない。イリユスでの話をした時、彼はまるで自分のことのように怒っていた。そんなふうに怒ってくれたことも、間違いなくリナの心を救ったのだ。


<私も、啼義を救いたい>

 

 リナは、胸の奥が熱を持つのを感じた。それは傲慢な考えかも知れない。でも今、口にしなければ後悔する。

「アディーヌ様」

 リナは、アディーヌに視線を戻す。心を決めると、その熱は勇気を後押しする炎となって灯った。

「私も、イルギネスたちと一緒に、行かせてください」

 アディーヌは、目を伏せた。それはまるで、予定されていたかのようにしっくりと来る言葉だった。

<ああ──>

 昨日は、リナにしては珍しく頑固に、自分も啼義を探しに行くと言って譲ろうとせず、諦めさせるのに苦労をした。自分も神殿の人間であるという自覚と共に、リナの中に芽生えている想いを、アディーヌは見た気がしたのだ。だからと言って、すんなり承諾するわけにもいかない。これは、非常に危険な任務だ。

 アディーヌは、深く息をついた。

「気持ちは分かります。でもリナ、これはすぐ承諾できる申し出ではないわ」

 そうは言っても、おそらく愛弟子は引き下がらないだろう。今彼女を包む空気は、にわかに(たゆ)まぬ意志を感じさせる。

<これだけの強い意志があるならば、不可能を可能へと変えられるのではないか>

 ふと、アディーヌの脳裏に、一縷の希望が横切った。

 それはほんの少しの時間であったが、あらゆることを頭の中で考えた末──アディーヌは厳かな口調で言った。

「リナ。この数日のうちに、あなたにあらためて稽古をつけます。それで判断しましょう」

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