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風は遠き地に  作者: 香月 優希
第四章 因縁の導き
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それぞれの決意 2

「ったく。何やってんだ」

 啼義(ナギ)の傷を診ながら、一連の流れを聞いたイルギネスは呆れ顔になった。

 二階の部屋で啼義が放心していると、しばらくしてイルギネスが現れ、ひとまず身体を洗って着替えるのを手伝ってくれた。そのあとだ。

 怪我を負った直後はかなり出血しており、いくら啼義の回復速度が早くとも、どうなるかと案じていたが、もうほとんど瘡蓋になっている。数日のうちに全快するだろう。

「びっくりしたよ。リナがあんなふうに感情をぶちまけることは、珍しいから」

 居間へ現れたリナは、「私には無理です!」と泣きながら宣言して、理由を聞く隙すら与えずに自室へこもってしまったらしい。

「リナのことはイリユスにいる頃から知っているが、見たことない怒りっぷりだったな」

 イルギネスが感心したように呟く前で、啼義は項垂(うなだ)れた。

「うん……すげえ怒ってた」

 リナの剣幕を思い出し、身震いする。と同時に、ぽろぽろと涙をこぼしていた泣き顔も浮かんできて、啼義は途方に暮れた。

「どうすりゃ良かったんだよ」

 情けなく天井を見上げる。イルギネスが、消毒を終えた道具箱を片付けながら言った。

「それだけ、お前のことを心配してたんだろう」

「え?」啼義はきょとんとした。「心配? 怒ってたぜ」

「女ってのは、心配しすぎると、怒り出すことはよくある」

 啼義の顔に、さらに困惑の色が浮かんだ。

「……意味が分かんねえんだけど」

 イルギネスが苦笑する。

「まあ、女に限らず──俺だって、お前が海に落っこちた時、怒鳴っただろう」

「あ……」

 啼義の脳裏に、桟橋から落ちた時の記憶が蘇った。穏やかなイルギネスが、初めて声を荒げた衝撃は、忘れようがない。あの時の彼の、軋むような顔も脳裏に焼き付いている。啼義はまた胸の奥が疼いた。

「うん……そっか」

「リナもアディーヌ様も、ほとんど寝てなかったそうだし、リナも疲れて感情が溢れたんだろう」

 そう言われれば、申し訳ないでは済まない気持ちになってくる。ほとんど寝ていなかったのは、言わずもがな自分のせいだ。思えば自分はまだ、彼女らに謝罪の言葉を述べていなかった。

「俺も……なんかこう、疲れて混乱していたのかも知れない。けど、アディーヌやリナにも、謝らないとな」

 ついカチンと来て、短絡的な態度をとってしまった。落ち着いてきたら、自己嫌悪しかない。しょげてしまった啼義の肩を、イルギネスが慰めるよう軽く叩いた。

「そうだな。まぁ、みんなちょっと疲れてたんだよ。あとでちゃんと話せばいいさ」



 その機会は、意外と早く訪れた。

 いつの間にか眠りに落ちていたようだ。軽食を差し入れてくれたアディーヌにきちんと謝罪の言葉を伝え、空腹が満たされたことで、人心地がついたのだろう。

 啼義が身を起こすと、隣のベッドではイルギネスが背を向けて横になっていた。立ち上がり、そっと覗き込んでみる。彼もまた、疲れているのだろう。しっかりと瞼を閉じ、かなり深く眠っているようだ。

<こんなに熟睡してるの、初めて見た>

 イルギネスはいつでも朗らかで明るいが、火の番をしていた昨夜の様子を思い出しても、やはり消耗していたに違いない。

 重ねて罪悪感に駆られながら、起こさないように注意して、落ちかけていた薄がけ布団をそっと直してやる。日が傾き始めた柔らかな光に導かれるように、なんとなく窓の方へ向かった。

「あ」

 眼下に見える中庭に、リナがいる。背を向けているので、顔は見えない。

 思わず窓を開けようとして、思い留まった。彼女にまた不機嫌な顔を向けられたら、そして否定的な言葉を投げられたら──恐怖が身体を支配した。

 今となっては、朗らかなリナの笑顔が懐かしい。初めて会った夜、旅に疲れた自分の様子を気遣って見上げていた、綺麗な紫の瞳。沈みかけた心を癒してくれた、優しい歌声。屈託なく自分に寄ってきた、無邪気な笑顔。

<もう、笑ってくれないのかな>

 最後に彼女の笑顔を見たのは、右肩の施術のあとだ。たった一日前のことなのに、ずいぶんと昔のことのように感じる。

<こっち向けよ>

 呼びかける勇気もないまま、密かに念じた。しかし、花壇のそばでこちらに背を向けたまま(かが)んだリナに、振り向く気配はない。彼女が気づいているわけもないのに、自分を拒否されている気がして、途端に寂しさがこみ上げてきた。

<リナ>

 心で呼んだところで、届くはずもない。それに──啼義は自分に問うた。リナが振り向いたとして、何を期待しているのだろうか。窓越しに自分を見つけた彼女が、どうするのを?

<どうって……>

 そこまで考えて、啼義は気づいた。

 自分は、リナの笑顔が見たいのだ。

 急に行き着いた答えに、胸の奥がふわりと熱を帯びた。いつかの食卓で、イリユスの学校での話をしたリナが顔を曇らせた時も、どうして自分が苛立ったのか。あの時だって、笑ってほしかったのだ。

<そうだよ。このままじゃ嫌なんだ>

 自分の状況を考えたら、ここにいられる時間はそんなに長くはないだろう。謝ったとて、快く許してもらえるかも分からない。が、このままここを発てば後悔する。

<直接、顔見て話さねえと>

 啼義は心を決めると、一度深く息を吸い込み、扉へと向かった。

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