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風は遠き地に  作者: 香月 優希
第四章 因縁の導き
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それぞれの決意 1

 啼義(ナギ)、イルギネス、(しらかげ)の三人がアディーヌの家に帰り着いたのは、昼頃だった。

「啼義様っ!」

 玄関に現れた血だらけの啼義の姿を見て、アディーヌは一瞬顔面蒼白になったが、それが魔物の返り血と分かると、ほっと胸を撫で下ろした。

「左の腿を少し深く切ってますが、おおむね元気です」

 イルギネスが説明する。

「本当に……ご無事で良かった」

 声を震わせたアディーヌに、啼義はあらためて、ことの重大さを感じ取り、何も言えずに俯いた。

「あなたたちも、大変だったでしょう? 野宿の支度などしていなかったのですから」

 アディーヌがイルギネスと驃を気遣うと、二人は軽く首を振り、「このくらい、どうってことありませんよ」と顔を見合わせて笑った。しかし真ん中では、啼義が居心地悪そうに縮こまるばかりだ。

 その時、奥の間仕切りカーテンが揺れて、リナが顔を出した。彼女も、返り血で酷い状態の啼義を見て目を見開き、凍りついたように歩を止める。

「大丈夫だ、リナ。魔物の返り血だよ」

 イルギネスが安心させようと再度説明したが、リナは逆に、啼義に批難めいた眼差しを投げ、きゅっと口元を閉じると、踵を返してカーテンの向こうへ消えてしまった。

 啼義が、反射的にあとを追おうと足を踏み出したものの、途端に「痛っ!」と顔を(しか)めてよろめく。

「こら、急に動くな」

 イルギネスが支えたので、倒れるのは免れたが、左の太腿に走った痛みが余韻を引いて、啼義は苦しげに息をついた。「あいててて……」

 と、顔を上げた彼は目を瞬いた。リナがまた、間仕切りカーテンから顔を出している。

「……」

 言葉もなく自分を見つめる啼義を、彼女もまた黙って見返した。二人の雰囲気に、周りにも沈黙が落ちる。やがて──

「怪我、してるの?」 

 リナが、おずおずと口を開いた。

「あ、うん……ちょっとだけ」

 啼義が狼狽気味に返す。彼女は気の進まない顔で彼の前までやってくると、布を巻かれた太腿を見やり、「足?」と尋ねた。

「うん」啼義は頷く。「でも、もうだいぶ回復してるから、大丈夫」なぜか、咄嗟(とっさ)に取り繕うような言葉が口から出た。彼女の様子が、自分の帰りを歓迎している雰囲気ではないせいかも知れない。

<別に、笑顔で迎えてほしいとか、思ってたわけじゃねぇけど>

 とは言え、明らかにぎくしゃくしているこの空気は耐え難い。どうにかこの場を離れたいと思い始めたところで、アディーヌが言った。

「啼義様、とにかく一度、上のお部屋でお休みください。階段を上がるのが辛ければ、居間を整えますし」

「あ、ああ。大丈夫。階段は上がれる」

 とりあえずここからは解放されそうだと、ほっとしたのも束の間だった。

「リナ、怪我の様子を診て差し上げて」

 言われたリナは眉根を寄せ、「──はい」と渋々答える。

<ちょっと、なんか……すげえ嫌な感じだけど>

 啼義はさらに気が滅入った。この態度の矛先は明らかに自分に向いている。イルギネスや驃を巻き込んで、日を跨ぐ騒ぎになったことを思えば、それも仕方がないだろう。けれど自分だって、死にそうな目に遭って、こんな怪我をして帰ってきているのだ。

<もう少し、柔らかく迎えてくれてもいいんじゃねえのか>

 今までのリナと打って変わった様子に、無自覚にショックを受けた啼義は、心の中で悪態をついた。



「服を脱いで、ベッドに横になってちょうだい」

 二階に上がって啼義(ナギ)が椅子に腰掛けると、リナが言った。というより、言い放った。

「へっ?」

 一緒に上がってきたイルギネスと(しらかげ)も、彼女らしからぬきつい口調に目を見張る。

「アディーヌ様に言われたから診てあげるけど、私も忙しいの。早くして」

 リナの態度に気圧(けお)された啼義は、混乱した。

「え、うん。脱ぐって──全部?」

 見下ろすリナの瞳が、言外に「は?」という心の声を浮かべている。啼義はますます追い詰められた。

「足の怪我を診るだけよ」

 昨日、ここを出るまでの朗らかで優しい彼女とは、別人のようだ。啼義は途端に、ひどく辛い気持ちになった。

<雰囲気が悪すぎる>

 イルギネスたちに助けを求めようと視線を向けたが、二人は「とりあえず、水浴びしてさっぱりしたいな。ちょっと下に行ってくる」と、まるで啼義の乞うような視線など目に入っていない様子で、速やかに出て行ってしまった。

「あ、ちょっ……」

<ちょっと待ってくれ>

 間もなく残された二人の間の空気は硬く、啼義は項垂(うなだ)れた。脱げと言われても──傷の位置を考えると、女性に晒すのは躊躇(ためら)われる。

「もうほとんど治ってるから、いいよ。竜の加護のおかげか知らねえけど、怪我の回復は普通よりだいぶ早いんだ」

 気まずい状況を回避しようと、言い訳がましく説明した啼義に、リナがまた、批難的な視線を向けた。明らかな反論の意思を感じて、啼義も無意識に苛立った表情で見返す。どんどんあからさまになる彼女の不服そうな態度に、ショックを通り越して、今度は腹が立ってきた。

 大変な思いをして、やっとの思いで戻って来たのに。そんなに邪険にされる必要があるだろうか。

「なんだよ」啼義は思わず言った。

「なによ」リナも言い返す。見たことのない、彼女の生意気とも言える眼差しは、啼義の気持ちを逆撫でした。

「いいって言ってるだろ。忙しいんなら、さっさと戻れよ!」

 自分で思った以上にその語気が強くなったのを感じ、啼義はしまったと思った。が、もう遅かった。

「分かった」

 リナが一歩、進み出た。その瞳と、唇も震えている。

「なによ。みんながどれだけ心配したと思ってるの? さんざん迷惑かけておいて、そんな言い方ないじゃない!」

 言いながら彼女は、紫水晶のような綺麗な瞳から、ぽろぽろと大粒の涙をこぼし始めた。啼義は驚いて、何か言おうと口を開けたが、何をどう言ったらいいのか皆目見当がつかない。

「もう勝手にしたらいいわ」

 リナは泣きながら乱暴に扉を開けて走り去り、次の瞬間、唖然としている啼義を拒絶するように大きな音を立てて、扉が閉まった。

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