手繰る真実 4
空が四角いな──啼義は思った。吹き抜けの庭の壁にもたれて夜空を見上げていると、四方が取り囲まれて、額に収まった絵のようだ。
<星が、ちょっと少ないや>
少しばかりの街明かりがあるので、旅で野宿した時ほどの満天の星ではない。そのせいか、逆に夜空は暗いような気がした。
昔、社にいた庭師から聞いた、『この大地での役割を終えた魂は空へ昇り、あの星のひとつになるのだ』という話を思い出す。
<だったらみんな、あそこにいるのかな>
本当の両親も、靂も。
望まれて生を受けたことが分かり、名前も授かっていたと知って、こんなにも嬉しいのに、寂しい。
<死んじまってたら、お礼、言えねえじゃん>
幼い頃、朝矢が母親に甘えるのを見るたび、密かに胸が痛んだ。自分には、あんなふうに抱き締めてくれる母親がいない。朝矢の母も、時には啼義を抱き締めてくれるが、自分にとってはやはり、これは違うのだと認識していた。両親はなぜ、自分を手放したのだろうか──要らなかったのだろうかと考えて、悲しみに暮れたこともある。そんな時は、歯を食いしばって一人で耐えた。
淵黒の竜の像を破壊した後、噴火の時と思しき記憶がぼんやり蘇ってからも、その疑問は晴れなかった。でも、ディアードたちは、間違いなく自分を生かしたかったのだと、今は確信できた。
「なんだよ」
啼義は呟き、空に抗議の眼差しを投げた。
<みんな、さっさと行っちまってさ>
だけど──今ここに、自分の周りには、気にかけてくれる仲間がいる。それこそ、自分がいなくなったら、イルギネスなど、どうなるか分からない。溺れた自分を助けた時の彼の怒号と、あまりに悲痛な顔がよぎった。
<仕方ねえから、やれるだけやってやるよ>
ダリュスカイン相手に、勝てる自信があるとは言えない。できたらもう忘れて、このままイルギネスたちと平穏に過ごしていたい。だけど、ここを切り抜けなければ、それも出来ない。たとえ、ダリュスカインに葬り去られる運命が待ち受けていようとも。
<せめて精一杯抗ってからじゃねえと、あっち行っても追い返されそうだしな>
どっちへ行っても、自分を大切に思ってくれる人はいる。だったらどっちでもいい。自分がいるべき場所へ、自ずと導きがあるだろう。自分にできることは、この現実、逆境に全力で立ち向かうだけ──その結果に従おう。
啼義はしばらく、自分の思いを彼らに届けるように、星が瞬く夜空を眺め続けていた。
居間には誰もいなくなっていたので、そのまま階段を上がって部屋に戻ると、イルギネスがちょうど、文を書き上げたところだった。彼は封筒に丁寧にそれを入れ、閉じる部分に折り目をつけている。ランプが灯す光が、暖かく部屋を照らしていた。その封書に向ける、見たこともないほど柔らかな横顔に、声をかけるのを躊躇していると、イルギネスが気づいた。
「おかえり」
いつもと変わらない穏やかな眼差しを、啼義に向ける。
「ただいま」自然と微笑んで答えた。彼の青い瞳は、啼義を安堵させる。
「急に出ていったりして、ごめん」
「大丈夫さ。いろんな情報が一気にもたらされたからな。──落ち着いたか?」
いつかと同じように、温もりのある声で尋ねられ、啼義は頷いた。
「うん」
「今日は色々ありすぎたな。ゆっくり休め」
額に、少しの熱を感じる。夜になって、また熱が上がってきているのかも知れない。今日はこのまま寝たほうがいいだろう。
「啼義」
ベッドに腰掛けると、イルギネスがこちらに座り直して呼びかけた。啼義は顔を上げる。灯りに照らされた海色の瞳を優しく細め、イルギネスは口を開いた。
「俺はもう、覚悟を決めているから、心配するな」
覚悟、と聞いて啼義の瞳が揺れた。「イルギネス……」どう答えたものか迷っていると、
「どうすればいいか、まだ見当もつかないが──全部カタをつけて、イリユスへ帰ろう」口元を静かに上げた笑顔は凛々しく、頼もしい。彼は続けた。
「みんなで、な」
その時、自分はどんな顔をしていたのだろう──とにかく、啼義が身体に熱を感じたのは間違いなかった。この男は、自分のために全てを賭ける覚悟が決まっているのだ。たった少し前に出会ったばかりの、この俺に。
「うん」
そこでふと、イルギネスの手元の封筒が目についた。恐らく中身は、彼が恋人に宛てているという文だ。
<できない>
この男を、死の道連れにはできない。神殿での立場もあるのかも知れない。亡くなった弟と自分の歳が同じなことも、大きな理由だろう。だが──その文の送り先の相手を残して、彼をあちらへ連れて行くことだけは、絶対に避けなければならない。それに、これ以上誰かを亡くすのは、自分が耐えられない。
急に湧き上がった思いの強さに、息が詰まりそうになった。自分を落ち着かせようと、黙々と着替えてベッドに横になる。
毛布をかぶってから大きく息をつくと、彼はイルギネスに聞こえるようにしっかりと、こう返した。
「覚悟なんかいらねえよ。もう誰も、死なさねえから」




