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風は遠き地に  作者: 香月 優希
第二章 未知なる大地
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南へ 1

 ダリュスカインは、指先に灯した明かりで慎重に足元を照らしながら歩を進め、鬱蒼とした木々の中に、僅かな光を漏らして埋もれているように建っている小さな木造の小屋の扉を開けた。

「おや、やっと帰ってきたかい」

 中で迎えたのは、長い白髪と長い髭の、一人の老爺だ。痩身のわりにしっかりとした体躯の、宗埜(ソウヤ)と名乗ったこの老爺が、倒れていたダリュスカインを見つけ、ここで療養させてくれたのだった。

「探しものは、見つかったのかね」

「──いや」短く答え、そのまま上がろうとして、思い出したように靴を脱いで一段高い居間に上がると、窓際に腰掛けて、何気なく外の景色に目をやる。暗い闇が沈む木々の上に、沢山の星が瞬いている。窓越しでもよく見える光にぼんやり目を奪われていると、

「お前さん、業を背負っておるね」

 老爺は少し愉快そうに笑った。ダリュスカインは彼の方へ視線を向ける。かつて司祭を取り仕切る役職にいたことがあるという宗埜には、何かが見えるのだろうか。

「その業が、お前さんを喰らわんことを祈るよ」

 言葉を返そうかとも思ったが、そこまで気持ちはまとまらなかった。立ち上がり、奥の間に進む。そこでは一人の黒髪の娘が、ダリュスカインの寝所を整えていた。両耳の辺りに流した肩までの長さの、(あか)い一房の髪色が印象的だ。しかし、纏っている衣服も黒に近い色でまとめられているので、どこか影のような(くら)さを感じさせる。娘は顔を上げてダリュスカインを認めると、一瞬安堵した表情を見せたが、すぐに視線を手元に戻し、作業を続けた。

「適当でいい」

 ダリュスカインが言って、布団の横に腰を下ろすと、彼女はそっとマントに手を掛け、無言で脱ぐのを手助けした。されるまま任せる。右腕を失った彼には、こんな動作ですら困難だ。

「……」

 本当は、誰の助けもいらないと払い除けたい衝動もあるが、彼女に黙って手を添えられると、その気力も萎えた。彼女──結迦(ユイカ)は、言葉を発さない。宗埜が言うには、一年半前に盗賊に襲われて、彼とここに逃げ込んで以来、一言も口をきかないらしい。そのせいか、二十歳という年齢の女性にあるはずの華やかさも明るさも、彼女からは垣間見えない。もちろん笑顔も。

「……今夜は、星がよく見えた」

 独り言のように呟いた。娘の深緋色混じりの紅赤の瞳は微かな動きを見せたが、やはり返事はない。ただ、肘から先を失くして包帯を巻かれた彼の右腕をじっと見つめ、心配そうにそっと触れた。そんな風に触れるなと心が抵抗したが、口をついて出たのは違う言葉だった。

「大丈夫だ。もうそんなに痛みはしない」

 それは本当で、自らの治癒術で、痛みを抑えることには成功していた。だが、痛みはある程度抑えられても、目覚めるたびに、喪失感に(さいな)まれた。今の自分は、あまりに全てが不自由だ。

<それだけのことをしたのだから、仕方あるまいがな>

 自分を傍に置いてくれた(あるじ)をこの手で(しい)した罪は、消えることはない。それでもやはり、自分が追い求めてきた希望が吹き飛ぶほどの衝動を、あの時どうして飲み込めただろうか。

啼義(ナギ)さえ、いなければ──>

 それこそ、自分が手を掛ければ良かったのだ。(レキ)が躊躇するであろう予測もついたのに、どうして野放しにしてしまったのだろう。

<今度こそ、仕留めてやる>

 無意識に歯を噛み締めた表情がどうだったのか、自分では分からない。右肩に添えられた手に微かな震えを感じて思わず視線を流した先には、結迦の怯えた眼差しがあった。彼女は手を離し、俯いた。

 居心地が悪くなり、ダリュスカインは目を逸らして身を横たえた。ここでこうしているわけにはいかない。一刻も早く啼義の気配を探し当て、向かわねば。

 怨念のような感情が湧き上がってきた時、ないはずの右腕に冷たいような、違和感を感じた。


<──南だ>


 声が聞こえたわけではない。ただ、啓示のように、その思考が降りてきた。


<奴は、南にいる>


 ダリュスカインは閉じかけた瞼を開き、そのまま瞳だけで辺りを伺った。だが、薄暗い部屋の中には何の変化もない。結迦はいない。宗埜のいる居間へ去ったようだった。

「誰だ?」

 返答はない。そもそも今の思考も、言葉で聞こえたわけではない。勘のような、形にならない"気配"。

 しかし、その正体を探ろうといくら神経を研ぎ澄ましても、もう二度と"気配"は感じられなかった。

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