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風は遠き地に  作者: 香月 優希
第二章 未知なる大地
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旅の始まり 3

 どれだけの時間、泣いていただろう。啼義(ナギ)は自分の記憶のある限り、こんなに泣いたことはなかった。涙は拭っても拭っても枯れることなく、頬を伝って流れてくる。

 それでもやがて、少しずつ、涙も気持ちも収まってきていた──あるいは、本当に枯れてきたのかも知れない。

 気づけば西の空の向こうは、夕暮れに染まり始めていた。倒した魔物の姿は、いつの間にか消えている。彼らは、その身体の核となる魔石を失うと、有形を保てなくなるのだ。

「イルギネス?」

 姿の見えない銀髪の相棒を思い出して名を呼ぶと、果たして、木を挟んだ向こう側から返事が返ってきた。

「……泣き止んだか?」

 乱暴な言葉を投げつけたうえに、ずいぶん待たせているだろうに、怒った風でもなく、温もりのある声だった。

「まだ……ちょっと」涙を拭いながら、啼義は答えた。

「そうか。まあ、気が済むまで泣け」

 優しげな声が、胸に沁みた。また頬を伝った涙を、もう大丈夫だと言い聞かせて今一度拭い、啼義は立ち上がる。少し様子を伺ってから、木の向こう側に回った。

「──大丈夫か?」

 イルギネスは幹にもたれて片膝を立てて座り、おそらく魔物から回収した魔石を、手のひらの上で投げては受けて(もてあそ)んでいる。先ほど解けた髪は、元通り(ゆわ)えてあり、見上げる顔にはさすがに、どことなく心配そうな表情が浮かんでいた。啼義は自分が、泣き腫らして酷い顔をしているに違いないと思ったが、構わなかった。

「話したいことが、あるんだ」

 言うと啼義は、イルギネスの前に胡座を組み、真っ直ぐに視線を合わせた。


 いつの間にか、空は美しいグラデーションを描きながら、夜の色へと移ろうとしている。

 イルギネスは、啼義が話す間、大して言葉は挟まずに、相槌だけ打ちながらじっと聞いていた。

 (レキ)に拾われて、羅沙(ラージャ)(やしろ)で育ったこと。像を破壊してから自分に起こった変化と、その後の出来事、靂との別れ、ダリュスカインの追撃──そして目覚めたのが、ダムスの街だったこと。

 話しているうちに、啼義は自分の心が、再び均衡を取り戻してくるのを感じた。

「俺をどうするかは、あんたが決めてくれていい。巻き込むつもりはない」

 ひと通り話が終わると、そう告げた。イルギネスは「そうか」と納得したように頷いて、啼義を見つめた。青い瞳は、話す前と変わらず穏やかな光を湛えている。ふと、空気が和んだ。

「いや、似てると思ったんだ」

「え?」

「俺は、その竜の加護の継承者を知ってるし、神殿には今も、肖像画が飾ってあるんだよ」

「肖像画……」

「最初見た時から、どこかで会ったような気がするって、思ってたのさ。その……眼差しというか、雰囲気がな」

「……似てるのか?」

「ああ。似てるよ」何のてらいもなく、イルギネスは言った。

 啼義は驚いた。親と自分が似ているのかなど、考えたこともなかった。世話係の女性には実の子がいたので、その様子を見て羨ましかったことはある。でも最初からいない存在に、自分という人間がどう繋がるかを、想像することもなかったのだ。

「いや、まさかな。こんなことがあろうとは、さすがに思ってなかった」

 イルギネスは、耳の下に手をやり、首を掻きながら笑った。

「笑いごとじゃねえだろ。巻き込むかも知れないのに」

 啼義は呆れた。思えば最初からこの男は、こういう調子だ。だが、気持ちは軽くなった。

「巻き込み上等さ」イルギネスは、先ほど魔物と対峙した時に見せたのと同じ、不敵な笑みを浮かべた。

「お前は、俺たちが探していた"竜の加護"の継承者なんだからな」

「──」

 それは希望のような、と同時に、ひどく重い言葉だった。

「だけど俺は……淵黒(えんこく)の竜の信仰の元にいたんだぜ」

 啼義は少しうなだれる。

「そんな簡単に、受け入れてもらえるはずがない」それどころか、糾弾されかねないのではないか──考えてみれば、不安しかない。

「そうだな。そうかも知れんが──」

 イルギネスは言葉を切り、腰を上げると、啼義に近づいた。そして、まるで子供に接するように身をかがめる。

「じゃあ、俺もひとつ、打ち明け話をしよう」

「え?」啼義は、さっきより近い場所にいるイルギネスの顔を、怪訝な表情で見返した。イルギネスは一瞬、空へ目をやり、また戻すと、おもむろに口を開く。

「俺には、お前と同い年の弟がいる──いや、いたんだ。生きていたら十七歳の弟が、な」

 彼の表情が、少し曇った……かに見えた。

「もう三年になる。元々、身体が弱かったんだ。……あの時俺は、何もしてやれなかった」

 その声には寂しさと──微かな悔しさも滲んでいた。啼義は、この男が初めて見せる苦い表情に言葉を探したが、見つからなかった。どうしたらいいのか分からず沈黙していると、イルギネスは一度視線を足下に落とし、小さくため息をついて、顔を上げた。そこにはもう、先ほど見せた憂いの色はない。彼は続けた。

「俺は、運命とか、そういうのは信じていない。そんなものに、決められてたまるか。だが、お前があいつと同じ歳なのは、何かの縁かも知れん」

 啼義は黙ったまま、イルギネスの視線を受ける。

「だから今度は──お前が生きて、ここに辿り着いたからには……」澄んだ青い瞳に、優しく、しかし揺るぎのない光を灯し、彼は言った。

「俺がちゃんと、守ってやるよ」

 そうして少し笑って、きょとんとしている啼義の左肩に右手を乗せると、「よく、頑張ったな」と軽く叩いた。

 その途端──

 啼義はまた、涙腺が緩むのを感じて慌てた。散々泣いて、もう涙は枯れたと油断していたせいで、繕う暇もなかった。止める間もなく涙が一筋流れ落ちると、その後はもう、どうしようもなかった。

「なに言ってんだよ。馬鹿野郎」情けなく鼻を啜りながら、やっとそれだけ言った。どれだけ泣いたら、止まるのだろう。

「そんな口がきけるなら、大丈夫だ」

 言うとイルギネスは膝をつき、啼義を抱き込んだ。突然のことに抵抗しようとしたものの、意識とは裏腹に、啼義の身体はそのまま、イルギネスの腕の中に収まった。

「だから今は、しっかり泣け」

 背中に回された腕が、自分を支えてくれるような気がした。疲弊した心が、息を吹き返してくる。

<これで、最後だ>

 啼義は全てを絞り出すように、イルギネスの胸で再び泣いた。

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