おかゆはプロローグと相性がいい
出汁を入れて柔らかく煮た米に溶き卵、おまけに細かく刻んだ細葱を振りかける。ふたり分には少し多いくらいの量が、土鍋の中で湯気を立てていた。
立てていた。
十分前までは。
「お腹をね」
俺のシャツを着て、俺の作ったおかゆの最後のひと匙をしっかりと食べ終えてから、先輩は満面の笑みを浮かべた。
「お腹を空かせて行き倒れたらね、面白そうな人が拾ってくれるかもーって思ったの」
「叩き出しますよ」
「だから1週間断食してみたんだ」
「馬鹿なんですか?」
先輩は雑誌を開いたら真ん中にいそうな、つまり細くて胸が大きくて顔が綺麗な女性だ。雑誌なんて少年漫画しか読まないような俺でもわかるくらい、それはそれは整ったお顔をお持ちである。
しかし独り身、所属サークルも部員が俺だけという見事な男日照りっぷり。それはなぜか。
馬鹿だからである。
とりあえず、こんな状態になった経緯を振り返ってみようと思う。そして先輩の意味不明っぷりを感じて欲しい。
彼女は付き合いたくはないけど見ていたいタイプの馬鹿だ。次元を隔てるとかして。遠くから。
3時間ほど前のことだ。大学の帰り、土砂降りの雨の中、俺は倒れている人を見つけた。
倒れているというか、公園の植え込みの中に頭を突っ込んでいた。壁尻とかいうジャンルがあるが、多分それと似たようなものだったと思う。植え込みから人間が生えている様子は正直言って不気味だった。壁尻を愛好しているオタクがいたらやめた方がいい。実際怖い。マジでヤバイ。
死にかけの酔っ払いか死体か、どちらにせよ救急車を呼んだほうが、といらぬ親切心を掻き立てられ、俺はまんまと近づいてしまった。
あと数歩というところまで近づいたとき、ヤツは動いた。
「おなかへった〜……」
んだよ、がついていればアウトだった。
背中に目でもついているんだろう。ノールックで俺の足首を掴み、気の抜けた声を出した先輩は、そこでなんと、気絶をされたのであった。
流石にそこまで近寄れば、雨のなかとはいえ知り合いの馬鹿であることはわかる。しかも本人曰く空腹で倒れているだけ。となれば救急車を呼んで人に迷惑をかけるのも、と海よりも思慮深い俺は考えた。それでもって何か食わせればいいのだろうと先輩を担いで家に帰ってきた、というわけである。
「回想終わった?」
「はい」
食後のお茶ならぬ水を飲みながら、彼女は満足そうにお腹をさすった。
「おいしかったー、ごちそうさまでした。ごめんね、迷惑かけちゃった」
「いいですけど、最近見ないと思ったらそんなことしてたんですね」
「うん。失敗したけど……」
首にかけたタオルをひっぱりながら、小さくため息をつく。
「やっぱ知ってる人がいると心配かけちゃうね。うん、次はちゃんと見えないところでやるね!」
「いややらないでくださいね?」
彼女は俺からほんのりと目をそらして、にっこりと笑った。絶対またやるつもりだ。バレなければいいと思っている顔だ。
「なんでそんなに拾われたいんですか……」
「だって物語ってこう、落ちてる美少女を拾うところから始まったりするでしょう?だから落ちてれば主人公っぽい人に拾ってもらえるかなって思ったの」
「それでどうするんですか?ヒロインになりたいとか?」
物語のヒロインはまず自主的に落ちにいかないし、落ちている原因も何かから逃げているとか、あくまでも不可抗力である。拾われたいからでは多分ない。ていうかナチュラルに自分を美少女と言うな。
拾われたら組織から逃げているとでも自称するつもりだったのだろうか。そういえばさっき洗濯するときに彼女の服のポケットを見たら、千切れた縄のようなものが入っていた気がする。
見なかったことに、したいな。
「それもいいかも?」
ぽやんとした彼女の答えに、とりあえずこめかみを抑える。頭が痛い。
「それでインスピレーション!が湧いて、最高の原稿を夏号に出す予定だったんだぁ」
「体張りすぎじゃないですか!?」
先輩は一瞬ぽかんと俺を見て、少し考えて、舌を出してウインクした。
「だって面白いやつ書きたいじゃん!」
これは、俺と先輩二人だけのサークルである物語研究部が、何某かの成果を上げるまでの日常の記録である。