エピローグ
昭和三十三年、夏のある日、自衛官となっていた堀栄三は虎ノ門共済会館地下の食堂に向かいました。陸軍士官学校の旧友に呼び出されたのです。行ってみると、そこに瀬島龍三が待っていました。瀬島は、かつて参謀本部の作戦参謀として権勢をふるった男です。関東軍参謀として終戦を満洲でむかえた瀬島は、不幸にもソ連軍によってシベリアへ抑留され、近頃ようやく帰国し、総合商社に勤務しはじめていました。
会話はありません。三人は沈黙したままカレーライスを食べました。元軍人の彼らは一分もかからずに食べ終えてしまい、あとは黙ってコーヒーを飲みました。沈黙を破ったのは瀬島龍三です。
「実は、シベリア抑留中、ずっと悩んでいたことがある。台湾沖航空戦の大戦果に日本中が歓喜していたとき、その戦果が誤りだと気づいた人がいた。それは、あなただ。あのとき、あなたの電報を握りつぶしたのは私だ」
堀栄三の長年の疑問が氷解しました。だからこそ参謀本部はルソン決戦からレイテ決戦へと戦略を転換し、杉田一次大佐までがレイテ決戦に同意したのです。瀬島龍三は話し続けます。
「捷一号作戦を根本的に誤らせたのは私だ。その結果、多くの将兵を戦死させ、いや犬死にさせてしまった。日本に帰ったら、真っ先にあなたに会おうと思っていた」
堀栄三は無表情なままで聞いています。瀬島の嘘を見抜いていました。瀬島は二年前には帰国していたのです。
「あなたの電報を握りつぶしたことは後悔している」
瀬島の告白に堀は無言で報いました。結局、堀は一言も発せぬまま気まずい会見を打ち切りました。瀬島はビジネスのために防衛庁内の情報を欲しているのです。しかし、堀には瀬島に協力してやる義理などありません。ただ、堀は少しだけ瀬島を見直しました。
(許しがたい奴だが、情報の何たるかを知っている。おそらく反省から学んだのだろう)
瀬島龍三には豊富な旧陸軍の人脈があるはずです。すでに独自の情報網を防衛庁内に構築し終えているに違いありません。その人脈に満足せず、あえて不面目な告白までして堀栄三を情報網に加えようとしたようです。情報網構築のために自己の感情を殺し、不面目な告白までしたわけです。とはいえ許すつもりはありません。杉田一次大佐に矢立を投げつけ罵倒した、あのときの傲慢な作戦参謀の専横を許す気にはなれないのです。
(許すことはできない。しかし、瀬島を責めてもしかたがない)
堀栄三は歩きながら思いました。もし、運命のイタズラで士官学校の席次が入れかわり、自分が作戦課に配属されていたらどうだったであろうか、と考えます。
(俺ならばどうしただろう)
アメリカ軍に関する情報はほとんどなく、敵の戦法も戦力も不明です。戦場となる南洋の地誌もわからず、机上には海岸線だけの地図があります。そこには等高線もなく、河川も描かれていません。熱帯雨林の植生や疫病の猖獗についても情報がありません。
「作戦を立案しろ」
上官から厳命されます。
「できません」
などと言えば罵倒され、参謀飾緒を引き千切られ、左遷されるでしょう。作戦参謀は無理を承知で作戦を立案せざるを得ません。自分が経験した満州の戦闘、支那事変の作戦、南方作戦、作戦要務令などを参考にして作戦を立案し、上官に提出します。その作戦案が決裁され、発令されます。やがて、はるか数千キロを隔てた南海の孤島で戦闘が生起し、惨憺たる敗戦の報が参謀本部に伝わってきます。
「すべては私の責任であります」
果たしてそう言えたでしょうか。そんなことを言えば上官にも責任が及んでしまいます。沈黙させられてしまうに決まっています。結局、開き直って責任転嫁するしかない。
「現地軍は腰抜けだ」
良心は苦しみます。自分の立てた作戦によって何千、何万という将兵が死んでいく。深海の水圧のようなその罪悪感に耐えられる神経など誰も持ちあわせていません。自我は、死に物狂いの防衛機制を発動して自己の記憶を抑圧し、合理化し、逃避します。
(逃避か)
あの当時、「奥の院」と化していた参謀本部作戦課室を堀は思い出しました。
(あの「奥の院」は、誇り高き作戦参謀たちが傷ついた自我を癒すための隠れ家だったのかも知れん。情報部に配属された俺は幸運だった)