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参謀本部

「大本営陸軍参謀に補し、第二部付を命ず」

 陸軍士官学校戦術教官の堀栄三少佐が転任辞令をうけとったのは昭和十八年九月でした。大本営陸軍部とは、帝国陸軍統帥の最高機関です。参謀本部ともいいます。そのなかで第二部は情報をあつかう部門です。

「情報」

 と聞かされても堀栄三少佐にはピンときませんでした。堀少佐の兵科は騎兵です。これまで一貫して騎兵畑を歩んできました。実戦経験もあります。初陣は満州平原のど真ん中、通遼という小都市の郊外でした。昭和十年二月、川幅五百メートル程もあるシラムレン河は凍結していました。堀栄三少尉(当時)の属する騎兵中隊が堤防上を警戒機動していると、突然、対岸から馬賊の一団が銃撃を浴びせてきました。中隊長は剛胆でした。直ちに突撃を命じます。およそ百騎の騎兵は横隊隊形で突撃しました。馬賊は一目散に逃げ散っていきます。敵を蹴散らして意気あがる中隊長は大音声で訓示しました。

「いいか、たまにしか当たらんからタマ(弾丸)というのだ」

 敵を恐れるな、という意味だったようです。満州の馬賊掃討戦はこのようなものでした。ですから「情報」と聞いて堀少佐が思い浮かべたのは、馬賊や土匪の出没情報でした。また、騎兵には斥候隊を組織して敵軍の後方に深く挺身させ、敵情を探索するという任務があります。これも一種の情報任務です。

(しかし、陸軍の中枢たる大本営の情報任務となれば、満洲の騎兵戦とはちがうはずだ)

 はたして陸軍最高統帥における情報任務とはどのようなものなのか。


 昭和十八年十月一日、あいにくの曇り空のもと、堀栄三少佐は市ヶ谷台の大本営陸軍部に登庁しました。すでに大東亜戦争が始まってから二年ちかくが経過しようとしています。堀栄三少佐は戦局を楽観していました。希望に胸を膨らませて右肩に参謀飾緒を吊りました。この参謀飾緒こそ参謀たることの証明であり、帝国陸海軍にあっては水戸黄門の印籠のように絶大な神通力を発揮します。その参謀飾緒を吊ることが嬉しくないと言えば嘘になります。堀栄三少佐は胸を張って衛兵に答礼し、参謀本部に入りました。

 参謀本部には総務部、第一部(作戦)、第二部(情報)、第三部(運輸および通信)、第四部(戦史)の各部があります。堀少佐が配属されたのは参謀本部第二部第十六課です。第十六課はドイツ課ともいい、ドイツ関係の情報を扱います。

 課内には山のように書類があふれていました。国内外の通信社の速報、外国系ラジオ放送の傍受記録、外国語新聞の翻訳などです。なかでも重要なのは電報綴りです。ドイツ、イタリア、ルーマニアなど各国の大使や公使や武官からの電報が綴じられています。

 ドイツ課は第二部の中でもとびきり小所帯です。課長は西郷従吾中佐で、課員は堀少佐ひとりだけでした。それで十分だったのです。そのわけは駐独大使大島浩中将の存在です。大島大使はドイツ政府の中枢に食い込んでおり、ヒトラー総統やリッベントロップ外相と直接に話すことができます。これにまさる確実な情報源はありません。ですからドイツ課は小規模で良いということだったようです。

 満洲の騎兵隊では堀栄三少佐の黒縁丸メガネは目立つほどに珍しがられました。騎兵は概して視力に優れており、メガネは珍しかったのです。

「あそこにいる土匪が見えますか」

 視力の優れた下士官にからかわれたこともあります。しかし、参謀本部ではむしろメガネをかけている人の方が目立ちます。初日の勤務は挨拶回りで終わりました。退庁した堀少佐は、義父に一部始終を報告しました。

「これから情報をやることになりました」

「情報?」

 義父の堀丈夫は予備役の陸軍中将です。騎兵少尉として日露戦争に従軍し、騎兵少佐にまで進みましたが、大正八年に航空科へ転じ、陸軍航空を育成し、陸軍航空本部長を務めました。昭和十年には第一師団長に親補されましたが、翌年、不幸なことに第一師団内の部隊が二二六事件に関与したため、その責任をとらされて予備役に編入されたという人物です。陸軍内には今でも堀丈夫中将を慕う現役将校が少なくありません。その老将は、「情報」と聞いて思うところを述べてくれました。

「俺も四十年奉職したが、情報だけはやったことがない」

 生涯を軍務に捧げてきた将軍は首をかしげましたが、長い軍隊生活から会得した知恵のようなものを語ってくれました。

「情報とは、敵が何を考えているかを探る仕事だ。当り前だが、敵は心の中を隠し、簡単には見せてくれない。それでも、心があれば仕草を見せる。その仕草にも本物と偽物とがある。それを集めたり、点検したりして、これが相手の意中だと判断を下す。おそらくそういう仕事だろう」

 栄三はこの義父を尊敬しています。長年にわたって蓄積してきた知識と経験とを圧縮して知恵の原液のような警句を与えてくれるからです。

(出世の競争場裡では軽薄才子に出し抜かれたかも知れないが、物事の本質を見極めているのはこの種の人物だ)

 そのように栄三は信じています。そんな堀栄三少佐にとって参謀本部の空気は馴染みにくいものでした。職掌柄とはいえ書類と言葉が氾濫しています。激しい議論が盛んであり、互いに論争に勝とうとし、まったく譲りません。まるで出世争いをしているようです。それをボヤボヤ聞いていると、「キサマはどう思うか」といきなり意見を求められます。返答に窮していると、「バカモノ!」とどやしつけられます。これでは落ち着いて考えたり、本質を見極めたりする暇などありません。油断なく気を配り、常に機転を利かさねばならない職場です。正直なところ好きになれませんでした。

 堀少佐に与えられた任務は、ドイツとイタリアの情勢研究です。すでに独ソ戦線ではドイツ軍の攻勢が止まり、ソ連軍の反撃が始まっています。昭和十八年一月にはスターリングラードでソ連軍が大勝し、七月のクルスク会戦でもソ連軍が優勢を維持しました。ソ連軍はさらにスモレンスク、キエフへと進んでいます。一方、イタリアは九月に連合国に降伏しました。ムッソリーニは幽閉されたのですが、隙を見て脱出し、北イタリアにサロ政権を樹立して抵抗を続けています。

 堀少佐は研究を開始しました。既存の情報を整理しつつ、新情報を加味し、頭脳の中にドイツとイタリアの戦況を構築しようとしました。しかし、文字情報だけを頼りに、見たこともない遠国の戦況を把握するのは難しいものでした。実感が湧かないのです。不運なことに堀少佐には欧州駐在の経験がありませんでした。

 不慣れな情報任務に初めて実感を持ち得たのは、駐日ドイツ武官クレッチメル少将と会見したときです。ドイツ課長の西郷中佐が意見交換のため料亭に一席をもうけたのです。堀少佐は実物のドイツ軍将校を初めて間近に見ました。それだけでも文字情報に血の通うような思いがしました。

 クレッチメル少将はカイゼル髭をたくわえた堂々たる風貌の持ち主です。その髭をときに指でひねりつつ独ソ戦の展望について語ります。西郷従道を祖父に持つ西郷従吾中佐も堂々たる貫禄を示しつつ、アメリカ軍の対日反攻作戦について述べました。両者とも強気であり、悲観論は微塵もありません。ひととおり意見交換が終わると、クレッチメル少将は話題を変えました。

「日本海軍の暗号が盗まれているのではないか。マキン島におけるアメリカ軍の行動、あれはいかにも怪しい」

 昭和十七年八月、アメリカ海兵隊二百名が二隻の潜水艦に分乗してマキン島に接近し、ゴムボートに乗り換えて奇襲上陸しました。たった四十名の日本軍守備隊は簡単に撃退されました。アメリカ軍は、そのままマキン島を占領してもおかしくなかったにもかかわらず、二日後、早々に撤退しました。

「この動きが奇妙だ」

 とクレッチメル少将は言います。

「アメリカ軍はときに不可解な行動をする。敵中に深く進入したかと思えば、あっさり引き返す。欧州戦線の経験では、これはアメリカ軍の暗号書奪取作戦らしい」

 クレッチメル少将の観察眼は鋭く、日本軍の機密にまでズカズカと踏み込んできます。

「山本長官機が撃墜されたのも暗号が盗まれていたからではありませんか」

 連合艦隊司令長官山本五十六大将の搭乗する一式陸上攻撃機が撃墜されたのは去る四月です。その状況は明らかに待ち伏せであり、待ち伏せができるということは暗号解読によって山本長官の予定が敵に知られていたと考えねばなりません。さらにクレッチメル少将の推論はつづきます。

「ミッドウェイ海戦で日本海軍は空母四隻を失ったが、これも事前に暗号が洩れていた可能性がある。そうでなければ、あれほど見事な待ち伏せ作戦は成立しない」

 堀少佐は驚愕しました。迂闊なことですが、ミッドウェイで連合艦隊が大敗したことを堀少佐は知りませんでした。大本営海軍部の発表どおり、「敵空母一隻撃沈、味方空母一隻喪失」と信じていたのです。堀少佐は驚きを隠すために表情を消し、黙り込みました。

(大本営の発表さえ信用できないということか)

 情報というものの不可解さに茫然たらざるを得ませんでした。しかも、他国の将軍から真相を知らされているのです。恥辱のようなものさえ感じました。帰路、堀少佐は西郷中佐に尋ねました。

「西郷中佐、ミッドウェイで空母四隻が沈められたというのは本当ですか」

「本当だ。ただし、他言は無用」

「はい」

「ところで堀少佐、インフォマツィオネンとインテリゲンツの違いがわかるか」

「はい、どちらも情報の意味でありますが」

「それはそうだが、厳密には生情報と解析情報の違いだ。マキン島に上陸したアメリカ軍が二日後に撤退した。この事実がインフォマツィオネンだ。このアメリカ軍の動きの意味を検討し、欧州戦線におけるアメリカ軍の行動と照合させると、アメリカ軍のマキン島上陸は暗号書奪取作戦だったと推定できる。これがインテリゲンツだ」

「はい」

「そこまでやれてはじめて情報参謀だ」


 堀少佐がドイツ課の勤務をはじめて二週間後、ドイツ課は突如として廃止されました。西郷従吾中佐は第六課(欧米)に移ってドイツ班長となり、堀栄三少佐は第五課に移りました。第五課はソ連課です。ソ連課はドイツ課と違って総勢百名にも達しようかという大所帯です。そのため課員の顔と名前を覚えるのが大変です。なんといってもソ連極東軍こそ帝国陸軍の仮想敵です。そのためソ連課には豊富な人員が配置されています。

 ソ連の防諜態勢はきわめて厳格であり、ソ連駐在の大使や公使や武官でさえほとんど諜報活動ができませんでした。そのためソ連課では主に公開情報を収集し、それを蓄積し、分析しています。砂粒のような情報の破片をつまみあげ、そこに内在する微妙な変化を読み取ってソ連軍の動向をさぐろうとしています。当然、多数の人員が必要になります。収集した情報を類型分類し、その定型を把握しておきます。そうした蓄積情報に新情報を照合させて何らかの変化を探し出します。新聞に掲載された人事情報、政府要人の声明などに見られる微妙な言い回しの変化、鉄道や道路における軍用車両の通行頻度、運河を行き来する貨物船の往来頻度、飛行場の離発着機数、港湾における出入港船舶の動向など、一見すれば無関係と思われるような諸情報の相関からなにがしかの因果を読みとっていくのです。

 ソ連課に移った堀栄三少佐は、参謀本部に異動してまだ日が浅く、ソ連課という大所帯内では目立たないこともあり、新参者ゆえのお客さん気分がなかなか抜けませんでした。情報への接近方法がドイツ課とソ連課では全く異なっていることが興味深く、感心しながら周囲の仕事ぶりを傍観していました。

 ソ連課では、ある情報群からひとつの判断を導き出すと、その確度を検証するため別系統の情報群から同一の結論を導き出せるかどうかを確認していました。そして、第三の情報群からも裏づけしてみます。いわば三線交叉をもって結論としていました。その念の入れ方と推論の展開方法に堀少佐は感心しきりでした。


 堀少佐が参謀飾緒を吊るようになって四週間が経過した日、ちょっとした事件が起こりました。それは、午前八時から開かれる定例の戦況説明会でのことでした。

 戦況説明会とはソ連課、支那課、欧米課の各課担当官が最新の情報を報告し、互いの情報を共有するために開かれる会議です。総務課の大会議室中央に置かれた大テーブルに幾枚もの大地図が広げられ、周囲に参謀たちが集まります。説明に立つ参謀は長い指し棒で地図上を叩きつつ、戦況を報告します。建前上は陸軍大臣や参謀総長に報告するための会議ですが、そういう大物はめったに出席しません。それでも陸軍次官や参謀次長が出席するので、会議室は触れれば感電死しそうな緊迫感に包まれます。堀少佐は戦況報告を熱心に聞いてはいましたが、まだどこか他人事のようなところがありました。そんな堀少佐の心中を見透かしたのかどうか、第二部長の有末精三少将が会議の最後に命令しました。

「堀参謀は、明日からソ連戦況の説明をやれ」

 いきなりの指名です。堀少佐は当惑しました。ソ連国内の主要な地名さえまだ頭に入っていません。あわてた堀少佐はバカ正直なことを言ってしまいます。

「有末部長、せっかくのご指名でありますが、私は参謀本部へ来てまだ日が浅く、ソ連については詳しい地名さえ頭に入っておりません。したがいまして、もう少し暇をいただきたいのであります」

 堀少佐は、新参者ゆえの甘えをまる出しにしてしまいました。とっさのことで素の正直な性格が出たともいえます。

「馬鹿者!そんなことを言うヤツに参謀の資格はない」

 有末少将は堀少佐を怒鳴りつけ、飛びかかって参謀飾緒を引き千切ろうとしました。参謀飾緒は千切れず、無様に堀少佐の肩にぶら下がりました。衆人環視の中で叱責された堀少佐は赤い顔をして立ちつくすしかありません。大会議室は空っぽになりました。うなだれている堀少佐の肩を西郷従吾中佐が叩き、目顔で激励してくれました。

 堀少佐とて陸軍士官学校と陸軍大学校を優秀な成績で卒業した秀才です。ですが、秀才中の秀才たちが集まる参謀本部では常人でしかありません。参謀本部ではバカ正直は許されないようでした。常に精神を張りつめ、いつ、どこで、だれに、何を訊かれても反射的に説得的な応答ができるように緊張していなければならないようです。この場合も「承知しました」と即答し、あとは猛烈な一夜漬けでやり抜くことが求められていたのです。それが参謀本部の勤務心得なのだと思い知らされました。

(そういうことなのか。俺が甘かった)

 そう思いましたが、しかし、反発心も湧いてきます。

(一夜漬けのやっつけ仕事で本当の情報分析ができるのか。それで戦争に勝てるとでもいうのか)

 そうも思います。とはいえ、命じられてしまったことはやるしかありません。堀少佐は徹夜でソ連情報を頭に詰め込み、独ソ戦線の最新情勢を記憶しようとしました。

 翌朝の戦況説明会において堀少佐は独ソ戦の戦況を報告しましたが、さんざんにいじめられました。先輩参謀からの鋭い質問と叱責が雨あられのように浴びせられたのです。

「地名が間違っておるぞ」

「ソ連軍司令官の官職姓名を言ってみろ」

「ソ連軍の進行速度はどの程度か」

「なぜ、そう言えるのか。その根拠を示せ」

 追及されるたびに堀少佐は応答できず、沈黙しました。すると罵倒され、冷やかされ、さんざんに恥をかかされました。実に手荒い洗礼でした。戦況説明会が終わると、みな忙しげに会議室を出ていきます。すっかり自信を失った堀少佐は大会議室を出ることができずにいました。そんな堀少佐に声をかけてくれたのは西郷従吾中佐です。

「今夜つきあえ」


 酒が入ると堀少佐の口から弱音やら泣き言やら不満やらがあふれ出ます。西郷従吾中佐は、明治の元勲西郷従道侯爵の孫です。それが血筋なのかどうか、人を包み込むような温かみを持っています。

「自分は向いておりません」

 そういう堀少佐に西郷中佐は温顔を向けます。

「そんなことはない。ただ、不慣れなだけだ」

「はあ」

「なぜ参謀本部があんなにピリピリしているのか、わかるか」

「さあ、わかりません。あんな雰囲気では落ち着いてものを考えることなどできません。細かい情報の誤りにいちいち目くじらを立てていたら、ことの本質にたどり着けない、そうじゃありませんか」

 堀少佐の本音が出ました。情報任務を果たすには、それにふさわしい環境というものがあるだろうに、現実の参謀本部はいつも気ぜわしく、せわしなく、落ち着かないのです。それが堀少佐の不満でした。

「確かに一理あるな。しかし、落ち着いてばかりもいられないのが戦争の現実だ。銃砲弾の飛び交う最前線の司令部で君は落ち着いていられるのか。それにだ、ほんのちいさな間違いが戦場では深刻な結果を招く。ちがうか」

「それは」

「東京の参謀本部だって戦場と同じことだ。たしかに過度の緊張は判断を誤らせるかもしれない。だが、緊張感のないところに正確な判断は生まれない。むつかしいのだ。たとえば、君は独ソ戦争がはじまったとき、どこにいた」

「わたくしは陸軍大学校の学生でした」

「そうか。俺は独ソ開戦の直前までドイツにいた。その後は参謀本部に配属された。だから知っているわけだが、あの頃の参謀本部の緊張ぶりは大変なものだった。ドイツ課はドイツが勝つと主張し、対ソ参戦を主張した。ソ連課はこれに反論した。冬季を待ってソ連軍が反抗に転ずると主張した。だから対ソ参戦には反対だった。支那課も反対だ。支那事変をやっているのに、対ソ参戦などとんでもないというわけだ。あのときは連日の激論だった。俺はドイツ課だったから、ドイツの勝利を主張した。だが、ソ連課も支那課も納得しなかった。まるで口喧嘩だった。毎日毎日、まいったよ」

「そうでしたか」

「今日の有末部長などやさしいくらいだ。くらべものにならん。あの頃はまだ大東亜戦争開戦の前だったから、対ソ参戦の可能性は充分にあった。だから激論がつづいた。しかし、いまとなってみれば、ソ連課と支那課の主張が正しかったのかもしれん。君はどう思うかね」

「はあ、それは、なんとも」

「わからんか。実は俺にもわからん。もし、日本があの時点で対ソ参戦を決断していたら、ソ連軍は戦力を欧州と極東に二分せねばならなかった。しかも、日本海軍が沿海州を海上封鎖するから、アメリカからの対ソ支援物資を極東に揚陸できない。さらに関東軍がシベリア鉄道を遮断する。ソビエト極東軍はヨーロッパへ援軍を送ることができないし、孤立する。そうなればドイツ軍がモスクワを陥落させ得たかもしれない」

「なるほど、参謀本部は対ソ参戦を本気で考えていたのですね」

「実際、独ソ開戦後、アメリカは膨大な対ソ支援物資をドシドシ沿海州の港湾に陸揚げさせ、シベリア鉄道を通じて欧州戦線へと輸送した。関東軍の国境監視哨から毎日のように報告が届いていた。あの莫大な支援物資がなかったら、はたしてソ連軍はドイツ軍をはね返し得たかどうか。あくまでも可能性だが、この可能性の有無をめぐって参謀本部内では激烈な議論の応酬が続いた。あげく大本営は熟柿論に落ち着いたのだ。ドイツ軍の勝利が確定的になったら対ソ参戦するという一種の日和見だ。これをどう思う」

「それは、現在の戦況からいえば対ソ参戦しなくてよかったと言えます。しかし、日本の対ソ参戦によってドイツ軍が勝利を得たはずだと考えるなら、好機を逸したと言えます」

「そうだ。いろいろな可能性が考えられる。しかしなあ、結局のところ、よくわからぬ。あのとき、どうすれば一番よかったのか。いまになって考え直してみてもわからぬ。わかったとしても、いまさらでは遅いのだ。いいか、堀少佐、我々は、わからぬ状況のなかで決断せねばならない。それがインテリゲンツだ。情報が不足して事態を把握できず、今後の推移を予断できない状況であっても、その瞬間に、情報参謀はインテリゲンツを司令官に提供しなければならない。それができなければ情報参謀とはいえない。インテリゲンツは決断だ。適時性を伴う決断だ。インテリゲンツは瞬時の判断なのだ。そうでなければ学問研究みたいなものだ。学者ならば、落ち着いた環境でじっくりと何十年もかけて学問研究をすればよい。だが、そんな研究は後付けの結果論に過ぎない。俺たちは情報参謀だ。学者ではない。突発的な状況下で瞬発的な判断をくだすのが任務だ。だからこそ参謀本部は常日頃からあんなふうにピリピリしているのだ」

「しかし、中佐、そうなるとインテリゲンツは完璧を期すことはできませんね」

「インテリゲンツには不確実性が含まれる。賭博性も呑み込まねばならぬ。手遅れでは役に立たないし、結果論には意味が無いからな。ときには腹を斬る覚悟で決断をせねばならない。だから、どうしても緊張しておらねばならない」

「はあ」

「少佐、わかるだろう。今日のことは、まあ、忘れろ。だれでもはじめは戸惑う。有末部長に悪意はないのだ」

「はい」


 翌日、堀栄三少佐が出勤すると、第六課への異動を命じられました。第六課は欧米を担当しています。情報部ではソ連課と支那課が幅を利かせていましたから、欧米課への異動は左遷と言えなくもありません。とはいえ、ソ連課に残っていても気まずいし、欧米課には西郷中佐がいます。太平洋方面の主敵たる米英の情報をあつかう欧米課は、心機一転したい堀少佐にとって望むところの異動でした。

 この時期、欧米課の人員は十二名という小所帯に過ぎませんでした。それでも、堀少佐はとくに疑問を感じませんでした。ガダルカナル島をめぐる攻防で多大な損害を出し、ソロモン諸島やニューギニア方面の戦局がとみに悪化しつつあるこの時期、第六課の米国班には参謀が二名しかいませんでした。

 この迂闊を後世の視点から責めることは容易です。ですが、陸軍の主敵はあくまでもソビエト極東軍だったし、支那事変が進行中でもありました。さらにいえば、アメリカ軍との戦いは海軍の分担だという意識がありました。そのため、陸軍参謀本部は対米戦の研究に本腰を入れていませんでした。そして、対米戦研究という重要任務を堀栄三少佐が担うことになります。


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