プロローグ
参謀とは軍司令部の構成員です。軍司令官の任務を補佐するために、敵情や地誌などの情報を集め、兵站を計画し、通信設備を整え、関係機関との調整を図り、作戦を立案します。参謀に決定権はありません。しかし、軍司令官の意志決定に大きく参画します。そして、ひとたび軍司令官の決断が下された場合には、指揮下の各部隊に出向いて軍司令官の命令を伝達します。参謀は軍司令官の頭脳であり、神経であり、手足であり、代弁者なのです。
そんな役割を担う参謀の軍服には際立った特徴があります。右肩に参謀飾緒を吊っているのです。参謀肩章ともいいます。帝国陸海軍の参謀もこれを吊っていました。
以下は、その参謀飾緒にまつわる実話です。支那事変初期の昭和十二年十一月、杭州湾に敵前上陸した第十軍の三個師団は上海に向けて北上していました。上海を包囲しつつある蒋介石軍の背後を衝くためでした。
ところが、蒋介石軍は形勢の不利をいちはやく察知し、早々に南京に向けて敗走を始めました。このため第十軍は進路を北から西に変え、南京を目指しました。その行軍が太湖の南で大渋滞しました。なにしろ第十軍は十万の大軍です。その各部隊が先陣の功を競い、先を争って隘路に殺到したからたまりません。大湖周辺は水田地帯です。クリークや水路が張り巡らされており、しかも橋という橋は破壊されていました。数少ない道路に多くの部隊が集中し、はやる気持ちとは裏腹に行軍は進捗しませんでした。
「現地に赴き、交通整理せよ。行軍を促進するのだ」
第十軍司令部からひとりの参謀が渋滞現場に派遣されました。その参謀はサイドカーに乗って大渋滞の現場に向かいます。しかし、渋滞の列に呑み込まれてなかなか進めません。長い行軍の列は、はるか地平線まで続いていました。やっとの思いで渋滞の現場に到達すると、参謀はサイドカーの上に立ち、交通整理するために警笛を吹き、大声を張り上げ始めました。が、友軍将兵はだれも相手にしてくれません。チラと見るだけで、すぐに視線を前方に向け、先を急ぎます。
(何をほざいていやがる)
皆がそんな表情をしています。将兵のだれひとりとして参謀の指示に従おうとはしないのです。
(しまった)
このときはじめて参謀は、参謀飾緒を吊っていないことに気づきました。支那の最前線では司令官や将校が便衣兵に狙撃される事件が相次いでいました。そのため第十軍司令部では司令官も参謀も全員が兵服を身につけ、階級章や参謀飾緒を外すことに決められていたのです。この参謀は、その兵服姿のまま司令部を飛び出してしまったのです。
(まいったな。この格好では兵が言うことを聞かない)
司令部に戻って出直そうかと思いましたが、それでは時間を浪費してしまいます。とはいえ、いくら叫んでも喚いても将兵が言うことを聞いてくれず、交通整理などできる状態ではありません。進退きわまった参謀はやむなく司令部へもどろうとしました。
そこへ偶然、前線視察中の大本営参謀が近づいてきました。「くろがね四起」という軍用車の車中に立ち、行軍の様子をながめています。その肩には参謀飾緒が吊られていました。第十軍の参謀は驚喜しました。
(これぞ天佑神助)
その大本営参謀とは旧知の仲でした。
「おーい」
第十軍参謀は「くろがね四起」に駆け寄ると事情を説明しました。
「承知した」
委細を知った大本営参謀は傲然と胸を張り、「くろがね四起」のボンネット上に立ってくれました。その脇で兵服姿の第十軍参謀が大声を張り上げ、警笛を鳴らし、交通整理をはじめました。
「あれは参謀殿じゃないか」
行軍中の将兵たちは、大本営参謀の肩にある参謀職緒を目に留めると、交通整理の号令に素直に従うようになりました。