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隣国の皇帝は、特筆して秀でているところのない第六皇女を疎ましく思う

しばらく間が開いてしまいましたが、王妃祖国目線です。


今回珍しく登場人物多め(当社比)、多人数目線となっております。

出来るだけ目線が変わる際は*で区切りましたが、読み辛かったら申し訳ありません。


なお、一人称は、

王妃……私、王(今回出番なし)……俺、王子……僕、

皇帝(王妃父)……余、第一皇子……わたし、

第二皇子……ぼく、第四皇子……おれ、

第一皇女……わたくし、第二皇女……わらわ、

第五皇女……あたくし  です。


参考迄に……。

 余には七人の皇子と、六人の皇女がいる。正妃、三人の側妃、五人の愛妾から生まれた、余の大事な駒である。

 正妃から生まれた第三皇子をその血筋から皇太子としているが、見目麗しいが欲に溺れやすい。皇帝を務めるには些か力不足だが、だからこそ、余が長く玉座に座り続ける事が可能となる。余が儚くなるその日まで、皇太子は控え続けるのだ。

 王政を敷く周辺国は、齢五十を重ねるころには座を退くが、余が駒である子からの指図を受けるなど、例え一時であっても我慢ならぬ。

 であるから、国の中枢には皇子を配置した。

 政治学に秀でた第一皇子は宰相に、チェスの名手である第四皇子は軍作戦参謀長に、歴史学を愛する第二皇子は謀反の恐れが少ない事から財務大臣とした。

 この他の皇子もそれぞれ余の威光を余すところなく届ける為に配置した。彼奴等は所詮駒、余に逆らえるはずもない。そのように育てたのだ。


 姫である皇女たちの役割は、多くの国でそうであるように、外交、政略、策略のための駒。この駒等は、美しく蠱惑的であるほど良い。愚かで、何も出来ず、逃げられず、考えることを放棄している程良い。羨望され、望まれ、求められる、美しい人形のような駒である程使い易い。嫁ぐ事の意味など考える必要は無い。

 美を保ち、贅を尽くす事を最善と教え込んだ余の傀儡。友好の証として、または褒美であるように、届けられる姫君が、実は嫁ぎ先を破滅へと導く害悪の傀儡だとは、その麗しいかんばせからは想像もつかないだろう。

女とはそのように使う駒である。


 そうであるべきなのだ。



*****







「あなたは本当にみすぼらしい。なに、その干からびた麦のような髪は。それに化粧っ気の無い顔でよく城内を歩けたものね。ああ、そんな貧相なドレスを人に見られるなんて、わたくしでしたら気が狂ってしまいそう。」


 天上の女神と称えられる第一皇女は、第六皇女を見かけるたび、声高に嘆く。

 キラキラと輝く髪は絹糸のよう、薔薇を思わせる艶やかな唇から紡がれるその声音は天使が奏でる演奏のよう。比べて第六皇女は……。二人のやり取りを見て、王城の貴族たち、仕える侍従や侍女たちは眉を顰め、第一皇女を褒めた。

 それが暗黙の了解であるように。


 第一皇女は大国の、第二王子の妃となった。

 王太子である第一王子の妃には選ばれなかったが、大国との太い綱となる。この後を考えれば、第一皇女は最上の美しき駒であった。







「あなた、女の身の上で小賢しくも政治学など学んでいるそうね。女は美しくある事が最上なの。そして殿方からたくさんの愛、愛の証としての贈り物をどれだけ貰えるか、これが女の魅力よ。少しくらい賢くとも、殿方の邪魔になるだけ。やはり身分の低い職業女の腹から生まれた皇女では、わらわとは何から何まで違うのね。無様なこと。」


 筆頭側妃から生まれた第二皇女がそう囁く。

 烏の濡れ羽色の髪は見るものを魅了し、アメジストのように深く高貴な輝きの瞳はずっと見続けたくなる妖しさがあった。


 第二皇女は北の国の王太子妃と望まれた。

大国と比べ小さな国である事を第二皇女は憤慨していたが、皇帝は否を認めなかった。

この後を考えれば北との繋がりも必要だったのだ。

 財を望む美しき第二皇女に、北の王太子は目が眩んだ。近く、法外な欲望を突きつけられるとも知らず。








 第一皇子は隣国に嫁ぐ事の決まった第六皇女に話かける。


「お前の母君はとても優秀な政治学者で、歴史学者だった。わたしと弟は母君が家庭教師だった頃が一番幸せだった。あれ程優秀な方だったのに、なのに何故、母君はお前に生き方を教えなかったのか、不思議でならない。」


 眉を顰めながら、結婚おめでとう、と小さく呟き去って行った。








「歴史から学ぶ事は多い。歴史は繰り返される、愚かな為政者の手によって。だからぼくは政治や権力には触りたくもない。君の母君から兄と二人で学んでいた頃が懐かしい。あの頃は自分を偽わるなんて、しなくて良かった。ああ、君の母君は何故歴史から学ぶべき本音と建前をお前に教えなかったのかな。」


 第二皇子が薄く笑うように第六皇女に告げ、去って行く。すれ違い様、小さなカードを渡された。ミミズが走ったような文字で、息災であれ、と書いてあった。








「貴様が嫁ぐ国は、どうせ父上がすぐに殱滅戦に持ち込むだろう。束の間の王妃生活をせいぜい楽しむがいい。まあ、お前のように大して美しくもなく秀でたところも無いと父上から言われ続けた女を与えられるような、どうでもいい国の王妃だがな。おおっと、殱滅戦で助けて貰えるなどとは思うなよ。お前は人質なんかじゃあない。ただの捨て駒なんだからな。」


 皇太子である第三皇子が第六皇女に怒鳴る。

 誰かに聞き咎められたところでどうでも良いような様子であった。恐らく皇帝である父上の言葉を真似たのだろう。どこか幼子の演劇のような言い方に威厳は無く、遠くでささやかに笑う声がした。

 しかしその笑い声を第六皇女への嘲りと取ったのか、気を良くした様子のまま、第三皇子は意気揚々と去って行った。








「あなたは最後まで自分を偽わる事も無く、器用に渡り歩く事も出来なかったわね。兄様お二人も仰っておりましたが、なんて愚かなこと。あなたはもっと隠す事を学ぶべきだったわ。」


 第六皇女が嫁ぐ前日、第五皇女がお忍びで部屋を訪れ溜息をついた。

 愚かだと呆れながら、第六皇女の細い指先にその白魚のような手を合わせる。

 カサリ、小さな何かが第六皇女の指先を掠めた。


「兄様お二人とあたくしから。」


 そう言うと、第五皇女はそっと帰って行った。

 第六皇女の手には、白金で出来た小さな百合を象ったブローチが残っていた。





*****






 女のくせに小賢しく学ぶ第六皇女は、束の間の平和条約を結ぶ隣国へと追いやった。

 あそこは、平和条約で油断を誘い豊かな国土を奪うつもりであったから、丁度いい。特段美しくも無く、駒としては役立たずな皇女。あれこれと考えるなど、烏滸がましい。

ただ駒として嫁げば良い。嫁ぎ先に繁栄をもたらす為の才など無駄以外の何でもない。

余を脅かす可能性のある才など、芽を摘むに限る。あの厄介な青二才ごと殱滅してくれる。





*****




 束の間の平和条約から四年、そろそろ油断している頃であろう。第二皇女が嫁いだ北の国と、兼ねてからの密約を実行する頃合いだ。

 王太子は皇女に籠絡され、思うがまま。密輸に散財を重ね、余の言う事に逆らわない。戦には莫大な金が必要だ。金策の為にも先ずはこの傀儡と化した北から、絞り取れるだけ

資金を絞り、隣国との戦に備える。

 なあに、皇女は余の望むまま我儘に振る舞い、慌てた王太子は皇女の機嫌を取る。つまり北の国庫は余の思うがままよ。余の思惑が余りに叶い過ぎて笑いが止まらない。



 しかし、このまま秘密裏に隣国を陥す手筈を整える、そんな段階になって北は事もあろうに貿易協定の締結を要求してきた。

チンケで小さな北の国が、余と対等なつもりか、北も滅ぼしてやろうか。

 思っていた矢先に天災が起こらなければ、今頃火の海だったのは北であったと覚えておくがいい。


 予想を上回る天災に、宰相とした第一皇子から貿易協定を結ぶよう進言があった。

曰く、このままでは国の大半が飢え、戦どころでは無い、と。

 そんな筈はない。北からの密輸であんなにも潤っていたのでは無かったのか。


 貿易協定を締結し、関税を払う事になった。余の金が、税などと言う下らないものを払う羽目になるなど……。天災さえ無ければ。


 宰相は日に日に目の下を黒くしていった。何が政治学に秀でている第一皇子だ、この程度で。民が飢えるなど、隣国を陥せば問題無かろう。そう勅命を下そうとした矢先、隣国から支援が届けられた。

 平和条約に天災支援の項目があったようだ。お荷物の第六皇女も少しは役に立ちおったか。

 しかしまあ、あの青二才は、この支援で自分の国が攻められるとも知らず、愚かなことだ。



 支援から半年、宰相は反対したが、侵略を開始した。

 本来ならば北が侵略を開始する手筈だったが、戦火を開くのはやはり強国な我が国である方が脅威が増すとのこと。

 余は一理あるなと思い直し侵略を開始したのだった。


 軍作戦参謀長となった第四皇子の策は、間怠っこしい愚策で、侵略は遅々として進まない。いかなチェスの名手であろうと、実戦であればこんなものか。期待した余が愚かだったか。こんな事なら余が自ら采配すべきであったか。


 侵略が半年経過した頃、兵たちの脱走が続発する。脱走は死罪である。直ちに追跡隊を追わせたが、追跡隊そのものが帰って来ない。兵の離反は連鎖し続けた。

 宰相にその科を問えば、食糧難が原因だと言う。現地徴用すれば良いだけなのに、愚かな。


 脱走した兵は、どうやら隣国へと寝返ったようであった。現地徴用が叶わない理由は、密やかに現地で隣国から食糧支援があったとか。そのまま亡命する兵が大半となる事態となった。

 なんと姑息な手段か。宰相は何をしていたのだ。


 結局、対した侵略が出来ぬまま宰相から停戦の進言があった。この案は宰相のみならず中枢の大部分の総意だと、語気が珍しく荒い。

 決して勢いに慄いた訳ではないが、偶には臣下の言を聴いてやるのも皇帝かと思い直した。


 停戦の使者には第六皇女が訪れた。

これならば余の思うままであろうとほくそ笑んだ。隣国の青二才は余が皇女に甘いとでも思っているのだろう。片腹痛いが、これは僥倖であろう。


「本日私は使者として、王妃としてこの国に赴きました。努努お忘れ無きよう。」


 響き渡る第六皇女の声に余は耳を疑った。

何も出来ず考えない事を美德として教えてきた女が何を……と目を見開いたが、そう言えば第六皇女はあの小賢しい皇女であったと思い出した。


「私の首を取りたければ取るが良いでしょう。その代わり、ご要求の食糧は届きません。皇帝陛下におかれましては、自国の食糧自給率をご存知でしょうか。我が国からの食糧輸入量はご存知の事と存じますが、それを踏まえた上での行為なのでしょうね。」


 第六皇女の分際で皇帝である余に意見すとは何事かと激昂する。


「私は使者で、王妃です。生憎ですが、私はもう皇帝陛下の使えない駒では無いのです。私の言葉は王の言葉、私の立場は皇帝陛下と対等なのです。今停戦を望んでいるのは、我が国では無い。食糧難も、兵の離反も、我が国の話ではありません。それを踏まえて、その御言葉として、宜しいのですね。」


「使者殿におかれましては、御怒りご尤もの事と存じます。宰相として謝罪いたします。

北の国との貿易協定から、貴国におかれましては誠に憂慮なされた事でしょう。多大なる食糧の支援に対してのこの始末、宰相として力が足らず誠に申し訳ございません。」


 余が怒りに唇を震わせている間に宰相である第一皇子が発言した。それは余の権威を失墜させるに値する言葉であった。強国である余の国が謝罪だと。


「いいえ。宰相殿の采配で、侵略が最低限であった事、存じております。両国最低限の被害となるよう、兵の離反を黙認なさっていた事も。北側の国の王太子、王太子妃が近々廃嫡となり、その賠償を負う最中、見事な采配であったと王より言付かっております。」


 なんと。余の預かり知らぬところで廃嫡と賠償とは。北が関税と言ってきたのは、それに由来するのか。王太子は籠絡出来ても、王を陥せなんだとは、何たる不始末。第二皇女は使えぬ駒であったか。


「戦の采配は軍作戦参謀長の手腕です。わたしは戦火の遅滞を命じただけのこと。作戦参謀長の功を王陛下にはお伝えください。また、使者殿はご存知の通り、我が国の食糧自給率は二割を切り、貴国からの食糧輸入は七割に上ります。今、我が国は未曾有の食糧難にあえいでおります。どうか停戦をお願いいたします。」


 深く深く頭を下げる宰相。

なんて事だ、あの使えない駒である第六皇女如きに、余の国が頭を下げるなど。


「皇帝陛下、宰相殿はこのように仰ってますが、いかがなさいますか。我が国としても、無駄な血を流す必要は無いと考えております。ええ、皇帝陛下が頷いてくださらないなら、今この場が血に染まる可能性もございますが、いかがでしょう。」


 ヒタリ、底冷えのする声が謁見の間に響く。

 血に染まるとはお前の血のことかと、周囲を見渡し、あの不忠な皇女の首を落とせと命じようとしたのだが、誰も動かない。

 何故だ、余の言葉が聞こえぬのか、余の言葉は絶対であるぞ。


「皆、理解したであろう。この僥倖とも言える停戦を受け入れ無い愚な皇帝の姿を。皆気付いていた筈だ、もうずっと皇帝陛下にはその力は無く、害悪なだけだと。


 わたしは密やかに財務大臣を担う弟、第二皇子とこの機会の為に備えていた。愚かにも皇帝は、歴史から謀略を学んだ第二皇子に財務を任せた。歴史にしか興味が無く権力とは一線を引く表の顔にすっかり騙されたようだな。一番資金を握らせてはならない謀略に長けた第二皇子になど、笑える話だ。


 軍作戦参謀長は兼ねてから皇帝に否を唱えていた第四皇子に。豊かで屈強な隣国との戦など愚策、いかなチェスの名手も歩兵のみで隣国を陥せる算段もつかないと早くから進言があった第四皇子にだ。戦が進む訳が無い。戦場で密やかに手を結んだ時は、流石の策と膝を叩いたさ。


 そしてわたしたちの後ろ盾は、皇帝陛下が何の疑問も持たずに第五皇女を嫁がせた侯爵だ。表面上目立った功績や名声の無い侯爵との婚姻を打診した時、まさか全く疑わず嫁がせるとは思わなかった。何か策を授けられたのかと皇女に問えば、豪華に着飾れと言われたと言うばかり。第五皇女も陛下をどう欺こうかと画策していたのに肩透かし、との事だ。


 第三皇子は実に良い働きをしてくれた。ああ、わたしたちにとってと言う意味で。事ある毎に皇帝陛下の言を真似てわたしに伝えてくる。その場にいなかったわたしに、密約であろう愚策と計略をわざわざ伝えに。もしやあれは間諜のつもりだったのか。ならば悪い事をしたな、褒美を取らせよう。


 と言う訳で皇帝陛下におかれましては、やっと完成したその玉座に伸びる傀儡の糸、お分かりでしょうか。侵略の戦火が開かれた時から、ゆっくりと垂らされた太い糸に気付かない愚かな皇帝陛下。その糸を今すぐ切っても良いのですよ。」


 なんて事だ、謀反を画策するなどと。

 忌々しい第六皇女のみならず、民の飢餓にしか気をかけない愚策を進言する無策な宰相が謀反だと。財を握る第二皇子が謀反だと。無害だと思っていた侯爵と何でも言う事を聞いていた第五皇女が謀反だと。


 ……待てよ、糸を切っても良いと言ったか。まだ謀反を諫める事が出来ると言う事か。


「宰相、皇帝陛下は『糸を切る』の意味を理解していらっしゃいません。裸の王様ならぬ裸の皇帝陛下に、今一度分かりやすくお話しされてはいかがかと。」


 不敬にも余が言葉を発する前に財務大臣である第二皇子が口を挟んだ。


「これはこれは。申し訳無い事をした。婉曲に言って、皇帝陛下が御理解頂けないとは配慮が足らずお手数を。玉座に垂れる糸を切る、とは。皇帝陛下がその座に座り続ける意味は無い、そういう事です。隣国の使者である王妃は早々に御理解頂けたと言うのに、嘆かわしい事です。」


「な、なんだと、余を、余を……!誰か、この不敬者を討て!今すぐだ!今なら思うままの褒美を取らすぞ!」


 余が顔を青くして命じているというのに誰もピタリとも動かない。


「思うままの褒美など、どこにあると言うのです。」


 財務大臣が厳かに言う。食糧のみならず、国庫も逼迫しているなど、知らなかった。


「進言のみならず、書面とし何度も奏上しておりました。」


 そんな馬鹿な。北からの密輸などで、余の国は潤っていたではないか。


「あの程度の密輸で、我が国の財政難が解消されるなどとお思いか。せいぜい皇帝陛下と、中枢に僅かに残る第三皇子を主とした肥太った残滓が潤う程度。それすらすぐに底をついたようですがね。」


 財務大臣はせせら笑う。


「いかがします、皇帝陛下。今その首を落とし玉座を血に染めるか。ひとときの玉座を温めるか。二つに一つです。」


 第一皇子である宰相が問う。この場では覆す事の出来ない圧に、初めて肝が冷えた。


 余が、命令される?

 余が命を落とす?

 誇り高き余が?

 皇帝である余が、宰相如きに?


 顔色は青を超えて黒くなっているだろう。初めての事に頭が追いつかない。


「いかがなさいますか。私は我が国に平穏がもたらされるならば、どちらでも構いません。ただ、無用な血が流れるのは避けられた方が禍根無く進むかと存じます。」


 使者である隣国の王妃の言に、ゆるく頭を上げる。そうだ、この娘がいなければ、余は……!


「隣国の王妃はまだまだ清くいらっしゃるようだ。政治学で何を学んだ。清濁併呑して初めて為政者よ。歴史に何を学んだ。愚は繰り返される、小賢しい事に根絶やしにするまでだ。チェスで何を学んだ。机上の空論では兵は動かん。あの兵糧を燃やす策はお前の王の策だろう、施しだけでは兵は動けんのだと理解せよ。今血を流さずいつ流す。時は今ではないのか、お前は眼前で流れる血を見たくないだけでは無いのか。」


 宰相は兄として隣国の王妃を叱責しているようだった。


「いいえ。少なからず残る残滓が禍根を残します。小さな綻びが大きな亀裂となる前に、今一度、臣下の言をお確かめになる必要があるかと。

 歴史は伝えます、革命者が玉座に座り続ける事の難しさを。

 確かに今が好機なのかもしれません。しかし今血を流せば、歴史は宰相による簒奪と記されるのではないですか。そこに綻びは無いと断言できますか。兄上が座るその椅子は、長く座り続けるものでは無いのですか。」


 第六皇女は、政治学を学んでいると言う。第一皇子にそのレベルを聞けば「稚児の遊戯程度」と答えていた。

 第六皇女は、歴史を好むと言う。

第二皇子に問えば「彼女の興味はオレには遠く及びません」と戯けていた。

 第六皇女は、チェスを嗜むと言う。

第四皇子は「動きが分かり易い」と馬鹿にしていた。

 どれも取るに足らない、女ならではの、特筆して長所の無い、お荷物な皇女では無かったのか。


 「稚児の遊戯」とは、正義感が強過ぎて、子供のように清い策しか出さないせいだった。

 「興味は遠く及ばない」のは、歴史が語る恥部や暗部に顔を顰めたからだった。

 「動きが分かり易い」のは、手が正統派なキレイな手で、罠を張ったりが得意では無いからだった。

 余に奏上される言に偽りは無かったが、それだけが真実では無かった。余は、まさか逆らうとは思わず、臣下の言を鵜呑みにし続けていたのだった。


 これでは誰が傀儡か。操られる素養は、長く培われていたのだった。


 ガクリと肩を落とした皇帝を余所に、使者と宰相は停戦協定を結んでいったのだった。



*****




 使者が謁見の間を辞すると、開いた扉の先に今は侯爵夫人となった第五皇女がいた。


「隠しごとを忌避するあなたの性格が、内政に疲弊した隣国の王を癒すのは分かっていたわ。だけど要心なさい。王妃として、これからはそれだけでは渡り合えないわよ。」


 肩をすくめて悪戯が成功した少女のようにくすりと笑った今は侯爵夫人の第五皇女。

 使者の胸にはあの日のブローチ。

 別れたあの日に贈った百合のブローチは、第六皇女の使者としての誇りを支えた様子だった。


「姉様の御言葉、胸に刻みます。」




*****






 第六皇女の才を誰よりも早く気付いたのは彼女であった。


 彼女は信頼できる兄たちに進言する。『このままでは第六皇女が殺されてしまう』と。

 それ程までに第六皇女はまっすぐ過ぎた。


 政治学と歴史学をこよなく愛した第六皇女の母君は、娘である皇女に、学びに対して誠実である事を願っていた。その教えが性格にまで影響したのだ。

 彼女の母君は、第一皇子が宰相となる前の宰相に、その秀でた才能を嫉妬され殺された。身分は高くない下位貴族出身な彼女の死は謀殺されたのだった。

 幸い見向きもされていなかった第六皇女が、亡き母を思い政治学や歴史学を学びたいと願う事は容易だった。


 ふとした時、第五皇女が目にした第六皇女が学んでいるという政治学のノート。たまたま開かれていたノートに書き込まれた内容は、尊敬する兄第一皇子に劣らない内容であった。

 父である皇帝が小賢しいといつも罵る第六皇女を疑問に思い、歴史学のノートも開いてみた。そこには、第二皇子が半年程前にやっと理解したと言う歴史とその背景が鮮やかに描かれていた。


 第六皇女が学び始めたのは兄たちに比べずっと日が浅い。今は兄たちに及ばないこの妹は、末恐ろしい程の才を秘めている、第五皇女は確信した。

 誠実な妹は、問われれば素直に自分の才を明らかにするだろう。疎まれ続けた彼女は、まさか自分程度の知識に周囲が右往左往するとは思わないに違いない。問われた事に、馬鹿正直に答えるだけ。自覚なく才をひけらかしてしまう。

 第五皇女は、嘘の無いこの妹を好ましく思っていた。美容と宝飾品、人を嘲るだけで誠の無い姉たちに比べ、妹の隣は息を抜ける。尊敬する兄たちは何やら画策があるようでそばに寄る事は容易くない。


 妹がいなくなる事を是としない、第五皇女はそう決めた。

 兄たちには第六皇女について問われたら、『嘘の無いように伝えて欲しい、けれど真実でもないように、彼女の才を隠すように』と願い出た。

 第一皇子第二皇子はすぐに応じてくれたが、チェスの名手の第四皇子は『何もそこまで』と一蹴しようとした。チェスを始めたばかりの妹は、まだこの兄に勝てた事が無かったからだ。『手が読み易いのは確かだからな、その通りに言っておくさ』軽口を叩いていた。


 隣国へは、当初あたくしが嫁ぐ筈であった。

 その頃、兄たちの画策は少しずつ実を結び始めた頃だった。兄たちにも少しばかりの余裕が出てきた。

 隠す事の難しくなった第六皇女の才は、チラホラと囁かれ初めた頃で。あたくしは伝手で知った隣国の若き王に、妹を託す事にしたのだった。


「お前はそれで良いのか、若き王ならまだしも、もう一つの政略結婚は二十も離れた侯爵だぞ」


 宰相の任に就いた第一皇子の兄にとって、このどちらも必要な婚姻を、あたくしと妹、どう采配しようか迷っていた。

 失敗すればただの人質となり命の危険のある隣国の若き王。今後を見据え、不可欠な繋がりを求めての二十離れた侯爵。兄は随分と迷っていた。


「画策ばかりのあたくしでは、陰謀渦巻く戦場を制圧し内政を黙らせた隣国の若き王は、罠と考えるでしょう。あたくしが是と言っても否と、否と言っても是と捉えてしまう程、疲弊している様子です。ここは、真心ある第六皇女に若き王を任せましょう。

 それにあたくし、侯爵様の事は嫌いになれないので、丁度良いですわ。」


 あたくしの言葉は、嘘では無かった。

 けれど真実でも無い。


 隣国の若き王が、第六皇女を気にいるかは賭けだった。しかし、今をおいて彼女を国外へ逃す機会は無い。

 また、含むところが多分にあるが、優しさも見え隠れする歳の離れた侯爵に好意があるのは本当だった。それが恋愛的では無いにしろ。


 偽りの無いあたくしの言葉に後押しされ、第六皇女の嫁ぎ先は決まったのだった。


 チェシャ猫のように笑う第五皇女に、兄たちは、『一番皇帝に向いているのはお前だな』と口を揃えていた。


 とんでもない。あんな面倒な職業ったら無いわ。あたくしは、好き勝手にあたくしの好ましく思う人を助けるだけよ。






*****






 北の国と大国が接触したらしいとの報せに、驚きは無かった。

 今は国を取り仕切る宰相が、隣国と停戦協定を結ぶ頃に言っていたからだ。


「恐らく皇帝陛下の画策は隠れ蓑だったのでしょう。」


 事もなげに言っていた宰相の言葉は、こうして真実となった。北に嫁いだ第二皇女と大国に嫁いだ第一皇女を通じて繋がった様子だった。

 北にとって、元王太子妃である第二皇女の最期の使い道のようだ。


 余の国も北と大国の同盟に加わるべきだ、そう叫ぶも、最早余の言葉に耳を傾ける忠臣はいないようだった。

 それどころか、あの忌々しい第六皇女が王妃の隣国の避難先となるなど……。


「大局を見分けられない、だから皇帝陛下はわたしなんぞに操られるのです。」


 嘲笑う宰相に、言葉が出なかった。





*****





「相変わらず読み易い手だ。」


 避難してきた第六皇女もとい隣国の王妃は、軍作戦参謀長こと第四皇子であるおれと向かい合ってチェスをしている。久々の対局に、期待していたが、このままでは昔と変わらない。

 なんだ、兄上方や第五皇女があんなにも期待する隣国の王妃はこんなものか。


「私も、色々と考えてはいるのですが……。」


 トン、と塔を意味するルークと、キングの位置が一気に入れ替わる。

 キャスリングと言われるチェスの特殊ルールだ。

 キングとルークが一度も動いていない、間に駒が無いなどいくつかの縛りはあるが、本来なら駒は一つずつしか動かないチェスにおいて、二つの駒を同時に動かし最強の防御陣へ一手で作る事も可能な防御に長けた手である。


「盤面ではルークとキングの位置が変わりましたが、現実では、立場が変わりそうですね。」


 戦局は一気に彼女の方へ優位に傾いた。

と同時に、『皇帝陛下が退位し東の塔へ幽閉される案が出ている』事を彼女が知っている事を示唆していた。


 もっと早く決着をつけられたと言うことか?盤面を支配し、この事実を突きつける為に?自らの力を示す為に?


 ああ、兄上方や第五皇女が示唆していたのは、この事か。


 以降、おれが第六皇女から勝利をもぎ取る事は叶わなかった。

 前まではおれに気を使っていたのか、と怒りをぶつけたところ、彼女は瞬き一つした後に、


「あの時も今も、いつも本気で全力ですわ。私の持てる力でやっとのことですもの。

 ……けれどそうですわね、手が変わったと言うならば、私の王の影響でしょうか。」


と、未だ行方不明の隣国の若き王を思ったようだった。



 あれから三日、何度もチェスを楽しんでいるが、今は彼女の息子と戦っている。


「私の持てる全力を、お見せして参りますわ。」


 その言葉を残し、彼女は、世界平和規定を基にこの度の戦火の必要性と大国と北の国の非道なる行為を説き、世界平和規定連合からの支援、大国・北両国への圧力を勝ち取ってきた。

 正論の中に巧みに織り交ぜられた旨味をチラつかせた手腕は、馬鹿正直だった第六皇女では無く、隣国の若き王を支える王妃の姿であった。


 逐一報告される彼女の弁舌に舌を巻きつつ、彼女の幼い息子とチェスを打つ。

 素直な手の中に、偶に見える拙い策。彼女とかの王を彷彿とさせた。


「まだまだおれの敵じゃないな。」


 まだ少しチェスの名手の座を奪われた悔しさから、そんな当たり前の軽口を叩いてしまう。


「僕はてきじゃないもの。」


 まだ四歳、チェスは先日覚えたばかり。駒を持つ手も覚束ない。けれどその目は揺るがない。


 敵とは、チェスのか、それとも……。


 つい穿った目で見てしまうのは、策謀に長けた兄上方のせいか、謀略の限りを尽くす為のカードを常に持ち続ける第五皇女のせいか、はたまた、ついに正攻法以外を覚えた第六皇女のせいか。


「幼いお前に、なんとも大人気ないな。謝罪しよう、好敵手。チェスの名手の名にかけて、これより一切の手加減は無しだ。」


「ずる!ズルですよそれは!僕まだこどもですよ、さんぼーちょうは大人なのに!もう!父上みたいに大人気ない!」


 この幼子が、チェスで世界に名を馳せるおれの、最期のチェスを打つ相手になるのは、ずっとずっと先の話。





*****




 余は何を間違えたのだろう。


 あの小賢しい第六皇女が隣国へ戻る頃、余は東の塔へ幽閉された。表向きは療養、第三皇子は廃嫡の上、宰相を務める第一皇子が新たな皇帝となった。

 正妃、側妃、愛妾は、余の力が及んだもの程悲惨な事となったそうだ。残った側妃は、皇后等の位は固辞し、小さな領地を与えられ隠居を決め込んだようであった。


 第一皇子、第三皇子以外の皇子皇女は。

第二皇子が宰相に、第四皇子が軍務尚書に、第五皇子、第六皇子は廃嫡、第七皇子は近衛騎士団団長となった。

 大国に嫁いだ第一皇女は幽閉、北に嫁いだ第二皇女は死罪、第三皇女、第四皇女は嫁ぎ先にて軟禁、第五皇女は筆頭侯爵夫人として社交界を牛耳っているそうだ。


 全て新皇帝と宰相が決めた事なので、余のあずかり知らぬところではあるが。


 余に逆らわぬよう育てたつもりであった。余の他は皆駒であった筈なのに。


「見る気が無いから見えぬのです。」


 第一皇子の家庭教師であった第六皇女の母親が、いつだか余に進言した。

 あの時は、その言葉を面白く思い戯れに抱いてやったが……、その後産後の肥立ちが悪く世を儚む寸前、再度同じ事を進言した時はあと数日の命だろうと許せず全身を殴打したのだった。思えばあれが決定打だったのかもしれん。


 あれは呪いだったのか、進言だったのか。


 皇子皇女をもっと見れば良かったのか。周辺国を見渡せば良かったのか。甘言を囁くあの公爵のせいか、賄賂を持参した北の商人が悪かったのか……、余にはもう判断つかぬ。


 しかしあの小賢しい第六皇女は、家庭教師の女の言葉を面白く思わなければ生まれなかったのだ。

 何故余を否定しかねないあの言葉が心に響いたのか。


 あの時余は、何を間違えたのか。

今はこの寂しいばかりの東の塔で、そればかり問うている。


 第六皇女の、何を見ようとせず、何が見えなかったのか。隣国の青二才には見えているのだろうかと、余は重くなった目蓋の裏で考えながら永遠の眠りに誘われたのだった。


誤字脱字のご指摘ありがとうございます。

今回特に多く…、校正の甘さに反省しきりです。まだありそうなので、引き続き皆様のご協力お願いします。


目線多人数が難しく、まとめるのが遅くなりました。

少なくともあと一話書く予定です(主人公国宰相目線)

もう少しお付き合い頂けたら幸いです。


感想いつもありがとうございます、生きる糧です。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 今回も面白かったです! いろんな視点から話がわかると深みが出ていいですね! 出来れば作者様のお気に入り登録をしたいのですが、できないのでしょうか?
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