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私はあなたにとって、束の間の同盟国から来た政略結婚相手でしかなかった。
第六皇女と言えば聞こえはいいが、母の身分も低く蔑ろにされる事もしばしばな、お荷物皇女と囁かれていた存在である。
特段美しい訳では無く、特筆して秀でているところがある訳でも無い。ただ、皇女という身分だけはある、人質にはうってつけな人材であった。
初めて会った日が輿入れの日。平和条約が交わされた証として、先の戦乱で急遽その椅子に座らざるを得なかったあなたに嫁いだ日。
あなたは婚約者を流行り病で亡くしたばかりで、未婚であった事が災いしたせいか、正妃として迎え入れざるを得なかった。
本来なら、心から愛するに値する人が座るべきその椅子に、束の間の同盟と皆がわかっていた、人質でしか無い私を座らせる。この上無い侮辱と思ったに違いない。
せめて私の役割を果たそうと考えるも、そもそも私が何かを成す事自体があなたや国に害有りと取られるやもしれず。
お飾りとして何もせず、側妃を取るのを認めれば良いのかと、思い巡らせていたところ、静かに厳かにあなたは誓った。
ならば私に出来ることはただ一つ。
来たるべきその日まで、私が持てる全てを捧げよう。お飾りで、人質くらいしか役に立てない私の精一杯をあなたに捧げましょう。国によって生かされ続けて来た私に出来る唯一の国民への奉仕。末席を預かる皇女が、人質とは言え同盟の象徴となるならば。
願わくば、この束の間が両国民にとって幸福をもたらす事となるように。
意外にも、あなたは私を丁重に扱い続けた。
春には花を、夏には冷ややかな涼を、秋には実りを、冬には温もりを、あなたは与えてくれた。
季節が巡る頃、私はあなたに嫡子を贈った。
私が出来る中で一番の贈りものだと思っていたが、それは間違いだった。
私にとっても、愛すべき宝物となってしまったのだ。
贈りもののつもりが、私が贈られていたのかと、私に出来ることの少なさを悔やんだ。
あなたは私にも、息子にも、柔らかな温かさを贈ってくださった。
だが、私が男児を産んだことで、国内には騒めきがあったのも事実で、やはり何かを成すことはしてはならなかったのかと、気落ちすることもあった。
しかし、私の全てを捧げるとあなたに誓ったのだ。私に出来る役割を精一杯果たさなければ、私に全てを捧げてくれるあなたに対して誠意が無い。私は気落ちすることを止めた。
だけど、私はあなたに全てを捧げることは出来なくなってしまった。
月日は瞬く間に経ち、条約から四年の歳月が流れた。
息子は私に似ず、あらゆる才に溢れ、輝かんばかりの愛らしさで、騒めきを一掃した。
息子の満面の笑みに穏やかに返すあなたの姿に、満ち足りた安堵が広がる。私にも、国民にも。
束の間と思えた平穏が、あるいは、と思い始めた頃、その一報は唐突に訪れた。
母国からの侵略行為が国境付近で起きたのだ。
天災で母国が疲弊したとの報告で、条約に基づき援助を行ったのはつい半年前の事だ。それに対しての仕打ちがこれかと、母国を恥じた。
思えば先月、母国が国の北側に位置する国と貿易協定を結んだ辺りから、侵略行為は画策されていたのだろう。
北側の特産である鉱石は、国の特産でもある。シェアで言えば北側の国が上だが、純度から、取り引き額はこちらが圧倒的に多い。
母国と北側は、共闘して簒奪することにしたのだろう。それほどまでに逼迫していたのだ。
侵略で一時飢えを満たす事ができるが、直ぐに底を尽き、戦乱へと発展することは明らかだった。
このままでは戦火が広がる。
母国の行為に、私や息子に対し怒りの声が上がると思っていたのだが、あなたからも、国民からも、何故か同情の声しか届かなかった。もしかしたら、声を選別していてくれたのだろうか。救いようの無い愚行を犯した母国の象徴である私に、心遣いはありがたい。しかし今はそんな気遣いよりも、国民を一つにまとめる為にも、分かりやすい悪の象徴として扱うべきでは無いだろうか。
私のこの提案に、あなたのみならず、中枢を担う皆様からも否を突きつけられたのは予想外であった。
私程度の愚考では、策とも言えないのだろう。自身の不甲斐なさから途方に暮れた。
戦火は半年を経る頃動きがあった。母国の食糧難である。これを機に停戦を持ちかける事となった。最大限の譲歩である。
しかし、天災援助に対し僅か半年で戦火を開く母国である。使者の選考には時間を要した。
母国であることを理由に、使者には私があたる事を名乗り出た。遅々として決まらないのでは、前戦で戦っている兵士、不安な日々を過ごす国民に申し訳が立たない。
またしても激しい反対に遭ったが、案は出ず、私の愚策が初めて通った。
出立の前夜、息子の涙は止まらず、あなたは私に詫びた。
息子には使者に立つ私を誇って欲しかったし、あなたからは頼むと、頼られたかった。
私の力不足で息子を心配させ、王に謝罪させるという愚行を犯した。
私に出来ることは少ないと、実感する夜だった。
停戦協定はすぐに締結された。
私が言葉を発する度に、母国の宰相は低く低く項垂れ、平和条約以来に謁見する父王の顔は青褪め次第に黒くさせていった。
国へ戻ると、中枢は諸手を挙げて喜び、国民は武無き英雄と称えてくれた。
けれどあなただけは、心配したと私の身を案じた。自分の無力さを感じつつ、抱きしめてくれた体温に安堵した。
北側の国と母国による侵略行為は、表だっては母国からしか行われてはいなかった。国の規模から、北側単独での侵略はあり得ない。
母国との停戦協定から半月、北側の国による動きは無い。北側は単なる貿易協定だったと、知らぬ存ぜぬで押し切る様子だった。
国としても、無用な戦で疲弊するのを避ける形を取った。無論警戒は怠りはしないが。
それから二月が経つ頃、北側と大国の接触が秘密裏にあったと耳にする。軍事規模として大国は国の倍。いくら勇猛と名高い国の兵士たちも、倍となれば旗色が悪い。
取れる対策は二つ。
これから届くであろう条件を呑むか、防衛に徹するか。
防衛となれば戦が長引くどころか、侵略の可能性が高い。かと言って、条件は恐らく事実上の属国となる。
大国の圧政は厳しいと聞く。
方針はなかなか決まらなかった。
譲歩を検討しつつ、防衛戦に備えていた頃、大国北側の国連合軍による先触れの無い攻撃が始まった。
大国は世界平和規定を破棄し、戦争を突如始めたのだ。
世界からは非難を浴びたが、大国の圧政による貧困、国力低下は、開戦を選んだ。
防衛戦は熾烈を極めた。
各国から支援の方針が届くも、具体策は提示されず、今日も北側の国に接する街は炎が上がる。
国民の避難が急務だった。
避難先は意外にも母国が名乗り出た。停戦協定に従ったのだ。協定破棄の可能性もあったので、これには安堵した。
しかし戦況は未だ芳しく無い。中枢にも焦りが見え始めた。
あなたは私に、避難指揮を命じた。
避難先は母国である。私の持つ少ない役割だ、勿論引き受けた。
避難は北側の国に隣接する民を優先し、戦火から遠い民からは募集をかけた。
やはり戦火に遠い民からは、土地を離れたく無い気持ちが強く見受けられた。
じわじわと戦火が広がる頃、あなたは私に幼い息子と共に母国への避難を命じた。
それでは国民からの非難と兵士の士気に関わると頑なに拒否したが、あなたは私が民と共に避難しなければ、避難が遅々として進まないと押し切った。
避難特使として私が立つと、戦火から遠かった民も現実を見始め、渋々ながら避難をし始めた。
避難の最中、民からは武無き英雄のおかげだ、と囁かれた。
国民の役に立てたのだろうか。
けれど私はあなたに命すら捧げているのだ。本当なら、あなたの側に、有りたかった。
それから一月、あなた自身が戦場に立ったと報せがあった。
来たるべきその日が近いのかもしれない。
私は未だ国民と共に母国に身を寄せていた。
戦火に比べれば平穏に身を置く。
私は何故、今、ここにいるのか。
誤字報告ありがとうございます。助かります。




