ある平凡な主人公
・・・パタン
そんな小説が一時期世間を賑わした。自分で読んでみようと買ったはいいものの、結局そんなに面白くなかった。単調で落ちもない。世に云う未解決エンドと呼ばれるなんとももやもやするものだった。そんな感情を抱きながらバイトに行くいつもの道を歩いていた。何の変哲もない人生。
最近、別れを経験し、大切なものを失う気持ちを味わった。大したものでもない。でも、経験した本人からすれば十分心に余裕がなくなる出来事だ。その状態でバイトなんて手につくはずがない。思考が回り続ける。気持ちが悪い。耐え切れず「すみません。今日は帰ります。」そう店長に伝え、また同じ道を同じように帰る。その時、思考が一つの真実にたどり着いた。
こんな話を聞いたことがあるだろうか。
あるところに幸せに過ごしている一家があった。そんな一家に不幸が訪れた。ただの息子によって一家心中。それが現場を見た警察の見解だった。息子には学校でいじめがあったと発覚。それによって限界を迎えた息子が家族を殺し、自殺した。
一見何の変哲もない悲劇のストーリー。だが、違和感を感じていた。その話を聞いたとき何かが引っ掛かっていたのだ。この話にはおかしい点がいくつかある。まず、幸せに過ごしていると言っているのに息子がいじめられていた。なら、仮説は二つ。息子がいじめられていたというのは嘘。もしくは、息子はそれについて何も感じていなかった。だから、幸せだったということだろう。でも心中が起きた。次はそこに矛盾が生じる。その問題を解決するのが、小説の多くの理論に出てきた、五秒前世界創造論。自分の中でそれがなぜか気がかりだった。
人の感情はそんな簡単には変わらない。それが大前提で話を進めるが、そんなに幸せに過ごしていたのなら、その経験を崩すようなことをいきなりするようなことはないだろう。ならば、こうは考えられないだろうか。ある一定の条件を満たすと、その感情に至る時間過ごさされているとしたら。
人は長考したとき逆の発想をし、そっちに踏み切らないように自制する。でも、踏み切ってしまう時がある。なぜか。その人を普通の思考回路の人とするなら、追い詰められないとその判断までいかない。では、別次元に飛び、そこで思考させられ感情が歪められている。そうも考えられる。その思考に至った人間というのが条件であれば、すべてがつながる。
五秒前世界創造論についての記述がなかったので、五秒前世界創造論は簡単に言うと、今五秒前に世界が作られ君はそこに来たといわれても、否定も肯定もできない。なぜかって?それは人間は記憶に頼って生きているからです。記憶は正しいと思って生きている。だからこそ、そこの正当性が曖昧なのです。本当に経験したという証明は自分にしかできないのに、自分を疑う理論なわけですから。まあ、言ってしまえばそれが矛盾ですよね。でも安心してください。この主人公は思考し続けます。いつかこの矛盾とも戦うでしょう。
いろいろ知るって悲しいことだと思います。知ってれば知っているほど何か我慢したりつらい経験をすることが多くなると思います。なんだかむなしいですよね。それでも求め続ければもっと何かあるのか、突き詰めていくことが心理につながっているのか。中二病みたいですけど、そんなことを考えてしまいます。