3-20 最有力容疑者
「ちなみに」とホームズはミラージュに向かって、「その“解錠”の魔法は、壊れた鍵も開けられるのか?」
渡り廊下に続くドアに目をやった。それに応じてミラージュは、
「いや、それは無理だ。“解錠”は、その名のとおり“錠前”に対してしか効果を発揮しないんだ。つまり、鍵があればきちんと開閉可能な構造を有しているものでなければならない。破損してしまったら、それはもう“錠前”ではなくなるわけで、“解錠”の魔法の対象外となってしまう。だから、重量物を置いて塞いだ、というようなドアに対しても“解錠”は通用しない」
「じゃあ、魔法を使っても、あの壊れたドアを開ける術はないわけだな」
「そういうことになる」
ホームズは納得した。
現場の調査がひととおり終わったため、ホームズはリパッグの遺体を整えてやることにした。ホームズがいた世界であれば、このあと死体は司法解剖に回されるのだが、この世界においては無縁のこと。
死体発見直後は、その異様な現場状況を観察、確認することに集中していたホームズだったが、ひとまず作業が終わると、急に張っていた気が緩むのを感じた。同時に、リパッグが死んだという事実を強く実感させられることにもなった。
リパッグの体を部屋の隅まで運び、仰向けにしてやり、見開かれた両目に手をやってまぶたを閉じさせ、ねじるように曲げられていた四肢を伸ばし、両手は胸の上で組ませた――この世界でも遺体をそうする習慣があるのか、ホームズには分からないが、とりあえずワトソンやミラージュたちは何も言ってこなかった。
思えば、この世界に来て初めての事件(「死の魔法殺人事件」)での被害者は、すでに死亡している状態だった。続く「石化王子」の事件では、ホームズが死体に接することはなかった。リパッグは、ホームズがこの世界で初めて目にする、生前に言葉を交した人物の亡骸ということになる。
「とりあえず、これを」
ミラージュが、紺色のシーツのような布地を差し出してきた。彼が身につけていた衛兵騎士支給品のマントだった。「ありがとう」とホームズはそれを受け取ると、静かにリパッグの体に被せた。さほど大きくないマントではあったが、小柄なゴブリンの全身はその中にすっぽりと覆い隠された。
「なあ」立ち上がったホームズは、「この世界で死んだ人間――やゴブリンたちは、どうなるんだ?」
「分からん」
ミラージュから返ってきた回答がやけに淡泊だったことが、ホームズは意外だった。
「そうなのか。俺はまた、こんな世界だから、死んでもあの世に行くだけとか、魂がまた生まれ変わってくるとか、そんなシステムがあるのかと思っていたんだが。幽霊の種類で、生前の姿を保ったまま出てくる亡霊ってものも、この世界にはいるんだろ?」
「死後の世界という教えを説いている宗教もあるにはあるが……私は、そんなものを信じたくはない」
「どうして?」
「だって、そうだろう。死んでも、その先にまだ先があるなどと考えたら、今を生きている意味が希薄になるじゃないか」
「生きている意味、か」
「ああ。それと、亡霊というのは、何か強烈な後悔や心残りを抱いたまま死んだものが、生前の姿形を保って出現する幽霊と言うだけで、生きていたときの自我を持ち合わせているわけじゃないんだ。それも、極めて目撃例の少ない幽霊だ。私も一度もお目にかかったことはない。まあ、神話の時代にまで遡れば、“死者蘇生”というとんでもない魔法が存在した伝説もあるにはあるから、死後の世界なんてのも、まったくの絵空事ではないのかもしれないがな」
「じゃあ、やっぱり、この世界でも、死んだら終わりか」
「そういうことだ。少なくとも、私はそう思っている」
「……俺もだ」
ホームズは、マントを被せられた遺体に向かって黙祷した。
その背後では、神妙な顔でワトソンがホームズの背中を見つめていた。
続けてホームズとワトソンは、クリフたちの聴取に入るため、事務所棟に向かった。ミラージュは第一部隊衛兵たちの応援に行き、ここで二人とは、いったん別れることとなった。
ホームズとワトソンは、クリフたちの待つ応接室に向かう前に、喉の渇きを潤すため一度台所に寄った。初めてリパッグと遭遇した場所に入ったホームズの胸に、再び言いようのない喪失感が去来したが、クリフが味わっている悲しみはこんなものとは比較にならないだろうと気持ちを入れ直し、グラスになみなみと注いだ水を一気に喉に流し込んだ。
心持ち静かに、ホームズは応接室の扉を開けた。中には、クリフ、スカージ、ジャーパス、トレイブの四人がソファに腰を掛け、一様に沈痛な面持ちを見せていた。扉の隙間から顔を覗かせたホームズとワトソンに、四人の視線が一斉に向く。涙こそすでに乾いているらしかったが、クリフの目は真っ赤だった。
「皆さん」とホームズは、テーブルを挟み四人と対面する位置のソファに腰をかけ、「おつらいでしょうが、今から事件について話を訊かせてもらわなければなりません。どうか、ご協力下さい」
隣に座ったワトソンとともに頭を下げた。
「リパッグは……」若干の鼻声で、クリフが、「リパッグは、殺されたのですか?」
ホームズが無言で頷くと、クリフの目は潤みだし、他の三人の口からは、深く長い嘆息が漏れた。
「確か……」とスカージが震える声で、「後頭部を殴られていたように見えましたが……」
「ああ」続けてトレイブも髭の奥から声を漏らし、「ありゃ多分、鎚矛でやられた傷だな」
「鎚矛……」ジャーパスは、ごくりと喉を鳴らして、「鎚矛なら、いくつか展示してありましたが……」
クリフも含めた四人の視線が、再び一斉に〈たんてい〉に向く。
「そうです。リパッグは、展示品のひとつの鎚矛で殴られて殺されていました」
ホームズが答えると、トレイブは「やはりな」と呟いた。
ここにいる四人ともが死体を目撃している。死因はともかく、凶器のことは伏せておいて、犯人――この中にいるとすればだが――が口を滑らせることを期待していたホームズだったが、トレイブに簡単に凶器の正体を暴かれてしまったため、ここは素直に認めることにした。
「凶器はともかくとして」とホームズは話を進め、「皆さんもご覧になられたかと思いますが、現場には、あの“紅騎士”デモリスの鎧が、バラバラにされて散乱していました」
四人が頷いたのを確認して、ホームズは、
「どうして、あの鎧があんな状態になっていたのか、何か理由を思いつく方はいらっしゃいますか?」
四人は互いに顔を見合わせたが、口を開くものはいなかった。
「そうですか」
鎧のことはひとまず置いておくことにして、ホームズは次に、現場でミラージュと確認しあった内容を話すこととし、四人は黙ってそれを聞いていた。
ホームズが話を終えると、しばしの間、応接室に沈黙が流れ、
「ということは……」まず、ジャーパスが口を開いた。「リパッグが殺されたのは、彼が鐘を鳴らし終えた午後十二時直後から、死体を発見した間の一時間に限られると、こういうことになるわけですね」
ホームズは頷き、他の三人も納得したような顔を見せた。
「ここで、私たち全員が昼食をとっていた、まさにその間というわけですか」
述懐するようにスカージが言った。ほんの数時間前のことだ。スカージは続けて、
「職人たちの昼休みの時間だな」
とジャーパスに顔を向けた。困惑したような表情を見せたジャーパスは、
「おいおい、お前、職人の中に犯人がいるとでも言いたいのか?」
「そ、そういうわけではないが……」
ジャーパスから目を逸らして、スカージは語尾を曖昧にした。
「問題なのは」とホームズが話を引き取り、「現場となった展示室に、確実に犯人は入り込んだであろうということです。内側からしか開閉できない天窓が開けられていましたし、あの鎧の散乱のこともあります」
「私は自分の鍵は、このとおり間違いなくずっと所持していました」
ジャーパスが懐から鍵束を取りだして皆に見せた。複数個の鍵がひとまとめにされており、その中のひとつをジャーパスは摘み上げる。あの中に浮気相手の家の鍵も含まれているのだろうかと、ホームズは余計なことを考えてしまった。
「私もだ」
追ってスカージも鍵を取り出す。こちらの鍵は単品のみだった。
「クリフは」
スカージに促され、クリフも自分の鍵束を出した。彼の鍵は三本あった。
「展示室棟と、事務所棟、そして保管室の鍵です」
クリフはその三本の鍵の役割を口にした。それを見ると、スカージは頷いて、
「鍵を持っている三人ともが、リパッグが殺されたとみられる時間――十二時から一時の間――にはそろって食堂で昼食を摂っていた。ということは、犯人はどうやって展示室へ出入りしたというのか……」
「最後に入った方が、鍵をかけ忘れていたということは?」
ホームズの問いかけには、クリフが、
「私が昨日、ホームズ様とワトソン様をご案内したときには、間違いなく施錠しました」
「そうですか。では、そのあとに展示室棟に入った方はいらっしゃいますか?」
ホームズは見回したが、スカージもジャーパスも首を横に振るだけだった。鍵を持っていないトレイブだけは、何の反応も見せなかったが、
「〈たんてい〉さんよ」
と睨みつけるような視線をホームズに寄越した。
「な、何でしょうか?」
少々たじろぎながらホームズが答えると、
「犯人は、もう決まってるだろ」
「えっ?」
意外過ぎるトレイブの言葉に、ホームズだけならず、ワトソンをはじめ他の全員がハーフドワーフの職人に目を向けた。五人の視線を浴びながらトレイブは、
「あの隊長の野郎だよ」
「隊長って……第二隊長のスワイプス?」
「決まってんじゃねえか」
「どうして?」
「当たり前だろうが」
「何がです?」
「鈍いねぇ、〈たんてい〉とやらも」トレイブは嘆息気味に息を吐いて、豊かな口髭を揺らすと、「だってよお、リパッグを殺そうという動機があるやつなんて、関係者の中であいつしかいねえじゃねえか」
「――動機」
「そうだよ。いいか、〈たんてい〉さん」トレイブは、若干身を乗り出し気味にして、「ここにいる俺たちも含む工房の連中にはな、リパッグを殺すなんてことをこれっぽっちでも考えてるやつなんざ、ひとりもいやしねえって断言できるぜ。だが実際、リパッグは殺されちまった。事故や自殺じゃねえ、後頭部を鎚矛でぶん殴られてな。そんなことのできるやつは、あいつ――リパッグの周りにはひとりしかいねえって、こういうことだよ」
トレイブの圧に押され、ホームズはソファの背もたれに背中をぴたりと付けながら、彼の言葉を聞いた。――確かに。背もたれから背中を引きはがして、ホームズは思った。この事件、動機面から考えるのであれば、スワイプスもまた重要な容疑者ということになる。
「しかしですね」と今度はホームズがトレイブに向かって、「あいつ、スワイプスが現場に現れたのは、リパッグの死体が発見されたあとのことですよ。実際に、あいつが乗ってきた馬車数台がここへ走ってくるのを、屋上からワトソンが目撃している」
ホームズはそのワトソンを向く。褐色の肌の少年は、間違いないというように頷いた。が、トレイブは動じた様子も見せず、
「そんなもんを簡単に信じてるのかい」
「えっ?」
「馬車の客車なんぞ、外から見て誰が乗ってるのかなんて分かりようもねえだろ」
「では、あの数台の馬車のどれにも、スワイプスは乗っていなかったと?」
「ありうるだろ。あの隊長野郎は、こっそりと前もってここに忍び込んでいやがったんだ。で、リパッグを殺したあと外に出て、自分たちの馬車と合流し、さもそこに乗っていたように見せかけたってわけだよ」
「……殺害現場である展示室棟には、どうやって入ったと? あそこの出入口は施錠されていたのですよ」
「それこそ、魔法使いを連れてきてたんじゃねえのか。であれば、“開錠”と“施錠”の魔法で鍵なんざ、どうとでもならあな」
「だったとしても、そもそも、どうしてリパッグを殺すのに展示室を選んだのか。開けられていた天窓と、散乱した鎧の謎もありますし……」
「そんなこと俺が知るか」
「えー」
ホームズは声を上げた。
「私も」と続けて口を開いたのはジャーパスだった。「スワイプス犯人説には、一考の価値があるのではないかと思います」
その言葉にはスカージも頷いていた。クリフは、議論に参加することも出来ないほど疲弊しているのか、鍵を見せたあとは、ずっとうつむき加減で黙っているだけだった。
「それもそうですね」ホームズも彼らの意見を取り入れて、「では、スワイプスが犯人だった場合、犯行はどのようにして行われたのか、考えてみることにしましょう」
一同が頷いた――クリフだけはうつむいたままだったが――のを確認して、ホームズは話し始めた。
「前もって工房の敷地内に魔法使いと一緒に忍び込んでいたスワイプスは、リパッグが十二時の鐘を鳴らし終え、屋根から降りてきたところに声をかけて、展示室に連れていきます。出入口である扉は“解錠”の魔法で開けました。展示室に入るとスワイプスは、展示品のひとつである鎚矛でリパッグの後頭部を殴って死亡させたあと、デモリスの鎧をバラバラにして死体の周囲にばらまき、展示室を脱出する。魔法使いに“施錠”の魔法を使わせて扉に鍵をかけることも忘れない。で、敷地を抜け出して付近に潜み、第二部隊の馬車群が到着したところに合流して、自分も今到着したかのように装う、と」
「……それだと、鎧をぶちまけた意味がわかんねえな。あと、天窓が開いていたことも」
トレイブの言葉に対して、あんた、そんなん知るかって言ってただろ、とホームズは心の中でいちおう突っ込んでから、我が意を得たりと身を乗り出して、
「そう、そうなんですよ。この事件で一番の謎はそこです。どうして現場は、あんな状態にされていたのか。“魔法”が犯行に使用されたのだと仮定すれば、いくらでも犯行の様子を想像することは可能ですが、その謎を棚上げしたままでは何の解決にもならないと、俺は思っています」




