3-19 鎧と天窓の謎
「リパッグは、何者かに後頭部を鎚矛で殴られて殺された……」ミラージュは片手をあごにあてて、「おかしいのは、紅騎士デモリスの鎧がわざわざ移動させられ、パーツごとに分解されたうえで死体の周辺に散らばっていたことと、死体直上の天窓一枚が開けられていたことだな。これに何の意味があるのか……」
「しかも」とホームズが続けて、「死体発見時、この展示室棟の扉は施錠されていた。そもそも、扉の鍵を持っていないリパッグが、どうやってここに入ったのか」
「他に出入り口はないのか?」
ミラージュに訊かれると、ホームズは、
「事務所棟とは渡り廊下で繋がっているが、そこへ行き来するドアは、鍵が壊れて開閉できない状態だと聞いているが」
それを聞くとミラージュも実際にそのドアまで行き、ノブを掴んでひねってみたが、ガタガタと音が鳴るだけでドアが開くことはなかった。
「……これは恐らく、ドアに内蔵された錠前装置が破損するか何かして、鍵を使っても解錠できないようになってしまったらしいな。もうこうなったら、ドアを丸ごと取り外すしかない」
ホームズも確認し納得した。ドアと鍵の構造からして、このドアに『ユダの窓』が開くこともないだろう。
「そうなると、鍵を持っていないリパッグがここに入る場所は、あそこ以外になくなるわけか」
開かれた天窓を見上げた。
「だが」とホームズも頭上に視線をやって、「あの天窓の開閉も、屋内からしか出来ないはずだ」
これも、屋根まで上って(実際に上ったのはミラージュとワトソンだった)確認した。確かに、天窓とそこに被さる鎧窓は展示室内部からでないと開けることは不可能な構造だった。さらに、窓は屋内で操作するレバーと連動した機構で開閉されるようになっているため、開けるだけではなく、閉めることも外側からでは不可能なことも分かった。
二人が室内に戻ってホームズと合流したところに、展示室棟の扉の鍵の所在を確認しに行った衛兵が戻ってきた。その報告によれば、この展示室棟の鍵を持っているのは、クリフ、スカージ、ジャーパスの三人だけであり、三人ともが鍵は常に持ち歩いているということだった。
「では、やはり、リパッグにせよ犯人にせよ、ここに入ることは基本的に不可能だということになるな」
ミラージュは唸った。
「ところで、どうだ?」ミラージュは、さらにホームズに声をかけて、「今、事務所棟に集められている人たちの中に、犯行が可能と思われるものはいるか?」
「クリフさん、工房長のスカージさん、職長のジャーパスさん、ドワーフとの混血職人のトレイブさん、この四人の中にということだな」
ホームズが関係者の名前を列挙すると、ミラージュが大きく頷きを返した。特に、クリフ、スカージ、ジャーパスの三人ならば、鍵を持っているため、とりあえずここへ入るだけなら何の問題もなくなることになる。ホームズは、リパッグの死体発見に至った経緯を思い返しながら、ミラージュに話して聞かせる。
ホームズは、午後十二時の鐘が鳴り始めたのを聞いてワトソンと一緒に客室を出た。一階の食堂に入り、そこで鐘が鳴り止んだことを憶えてもいた。
「ということは、その時点ではまだリパッグは生きて鐘を鳴らしていたと考えていいだろうな」
ミラージュの言葉に、そうだな、と返してホームズは回想に戻る。
ホームズとワトソンが食堂に入った直後、スカージが姿を見せ、ほとんど同時にクリフも現れた。ジャーパスとトレイブが食堂にやってきたのは、それから少し間を置いてのことだったが、ホームズの体感で二分、長くても三分と時間が空いてはいない。もし、リパッグが殺害されたのが鐘を鳴らし終えた直後のことだったとしたら、犯行を終えて現場から事務所棟の食堂まで移動するには、それくらいの時間――三分程度――があれば可能は可能かもしれない。しかし……。
ホームズは改めて現場を見回した。リパッグの死体の周辺に、紅騎士デモリスの鎧がバラバラになって散乱している。この現場状況を作り出す時間を考慮に入れたら、三分使い切っても足りるかどうか怪しい。ホームズは、今考えたこともミラージュに伝えた。
「なるほどな」とミラージュも深紅の鎧――もっとも、今は散らばった鎧のパーツの所々に、リパッグの緑色の血がかかっている箇所があるため、紅一色ではなくなっているが――をぐるりと見回して、「確かに、リパッグの殺害に加えて、これをやる時間も犯人には必要となるわけだ」
「そうだ。だが、方法がないわけじゃない」
「どういう意味だ?」
訝しがる顔をしたミラージュに、ホームズは、
「この鎧の散らかしを、前もってやっていたというなら、話は変わってくる」
「そういうことか。それなら、犯人は殺害だけに時間を使えることになるな」
「ああ。それを確かめてみよう」
ホームズは散乱した鎧のパーツ群に向かうと、それを一つひとつ拾い上げ、確認しては戻すという作業を繰り返していく。
「何をしている?」
ミラージュが疑問の声を投げると、ホームズは、「見てくれ」と彼を呼び寄せた。その間にホームズは、自分の足下にある鎧の一部を両手で抱えて拾い上げた。ホームズが「見ろ」と言ったのは、その足下、一面リパッグの血で緑色に染まっている床のことだった。ミラージュもそれを視認したことを確認すると、ホームズは、
「これは、こんな状態になっていた」
と抱えていた鎧のパーツを発見時と同じように床――緑色に染まった床――に置き直した。ホームズが抱えていたのは、鎧のフルフェイスの兜だった。兜は頭頂部を上にした水平のまま床に置かれ、まるで床面から騎士の頭部が生えているような状態になる。
「これがどうかしたのか?」
なおも首を傾げるミラージュに、ホームズは、もう一度兜を持ち上げて見せて、
「見てくれ、この兜は、このとおり広範囲に血で染まった床の上に置かれていた。兜の下も余さず血で染め上げられた床の上にだ」
「……それがどうかしたか?」
「もし、この鎧の散乱が、リパッグ殺害前にすでに行われていたとしたなら、こうはならないんじゃないか?」
「……そういうことか!」
「ああ、もし、この兜が床に置かれた状態でリパッグが殺されたなら、兜の真下の床が血に染まるはずはないんだ。血しぶきが飛んできたなら、兜に当たって終わりのはずで、その下の床に血が流れ込むことはない」
「確かに……」
ミラージュが見つめるデモリスの兜は、ホームズの腕の中で深紅の塗装を輝かせていた。リパッグの血が付着していないことはないが、それは撥ねた程度のごく僅かなものだった。
「つまり」ホームズは再び兜を床に置いて、「この兜は、リパッグが殺されたあとでここに置かれた――あるいは、ばらまかれた――と見ていいだろう。この兜だけじゃない、他のものを見てみても、血で染まった床の上にある鎧は、あまねく皆同じような感じだ。逆に、鎧に血が被っていて、その下の床が綺麗だという例はひとつもない」
「リパッグが殺され、血が流されたあとに、この鎧の散乱は行われたと、そう見て間違いないわけだな」
「だろうな」
「では、ジャーパスもトレイブも、リパッグが鐘を鳴らし終えた直後に彼を殺害して、鎧を散乱させる工作を行う時間はなかったということになる。犯行は不可能だ」
「……だな」
「そもそも、犯人は、どうしてこんなことをしたんだ?」
「……分からない」ホームズは嘆息してから、「もうひとつ分からないのは、この鎧は、さっきも言ったが元々別の位置にあった」
ホームズは、紅騎士デモリスの鎧が置かれていた本来の場所を見やった。ミラージュが頷いたのを見ると、
「何かしらの理由で、鎧をバラバラにして散乱させる理由があったのだとして、どうしてこの紅騎士の鎧でなければならなかったんだ? ただ単に鎧が必要というなら、もっと近い位置にいくらでもある」
ホームズの言うとおり、リパッグの死体の周囲には、もっと近くに鎧が何体も陳列されていた。
「では、犯行の状況をまとめると、こういうことになるか」ミラージュは改めて周辺を見回してから、「犯人は、ここで展示品の槌矛を凶器にしてリパッグを殺害。その後、わざわざデモリスの鎧をここまで持って来て、バラバラにして散乱させたうえで現場を去ったと」
「そうなるな」
「死体発見時、唯一の出入り口である扉には施錠がされていて、連絡通路の扉も開かないのだから、犯人の逃走経路はひとつしかないな」
ミラージュは頭上に口を開けた天窓を見上げた。ホームズも同じように上を見て、
「そうは言うもののだ、どうやって、あそこから出ていく? 目算で……十メートルはあるぞ」
「犯人が魔法使いなら、“飛行”か“空中浮揚”の魔法でも使ったと推察できるがな」
「そういったことが出来るものは、この工房に?」
「多分――いや、間違いなくいないだろう。魔法が使える鍛冶職人なんて、聞いたことがない。だが、容疑者を街にまで広げれば、魔法使いのひとりや二人は見つかるだろう。飛行はともかく、空中浮揚はそこまで高度な魔法ではない」
「なあ、話を逸らして悪いが、“飛行”と“空中浮揚”って、何が違うんだ?」
ホームズが二つの魔法の相違について説明を求めた。
「ああ、それはな、“飛行”が文字どおり、空中を自在に動き回れる魔法であることに対して、“空中浮揚”は、その場に浮かび上がるだけなんだ。その場で上下移動できるだけで、空中を自在に移動する推力は得られない」
「浮かぶだけ? そんなのが役に立つのか?」
「使いどころとしてはだな……例えば、踏むと罠が作動する床をどうしても越えて行く必要があるとする。跳び越えることは不可能な長さだ。そんなとき、壁際でこの魔法を使って床から浮かび上がり、壁に手をついて自分の体を押し出すようにして移動して、罠が仕掛けられた床を踏むことなく移動するとかだな」
「まどろっこしいし、地味な魔法だな」
「まあ、比較的初歩の魔法だそうだからな」
「だが、上下移動できるだけでも、ここから脱出するのは可能だな」
「そうだな。使い手の技量にもよるのだろうが、十メートルくらいなら問題なく浮揚可能だろう。天窓まで達したら、窓枠に手をかけて屋根の上に上がればいい。うん、この線はあるかもな」
「どうかな」
「何だ? 何が不満だ?」
ミラージュに不服そうな顔を見せられて、ホームズは、
「あのな、前の事件のときも言ったが、犯人が魔法使いだったとして、わざわざ自分が疑われるような痕跡を現場に残すとは思えないぞ」
「うーん、それはそうかもな」ミラージュは、いったん納得した顔を見せたが、「あ、だが、飛行などの他にも、“施錠”と“解錠”という魔法もあるぞ」
「“施錠”に“解錠”? それって、まさか……」
「ああ、施錠は、あらゆる鍵をかけ、解錠は鍵を開けてしまう魔法だ。これもそう程度の高い魔法ではないはずだ」
「“解錠”を使って、外に通じる扉の鍵を開けて進入して、出ていくときは“施錠”を使ったってことか?」
「ありえるだろう」
「ちょっと待ってくれよ」とホームズは両手を広げて、「そんな魔法があったら、密室殺人やりたい放題じゃねえか。ギデオン・フェル博士からボディプレスをくらうぞ」
「何だそれは?」
「と、とにかく、犯人が魔法使いで、魔法で空を飛ぶなり、扉の鍵を開け閉めして逃走したのだとしよう」
「ふむ」
「じゃあ、これは結局どうなる?」
ホームズは散らばった鎧のパーツ群を改めて見回した。それを指摘されたミラージュは、うーむ、と唸って腕を組んでしまった。
「空を飛んだにせよ、魔法で鍵を何とかしたにせよ――前に教えてもらった“瞬間移動”しかり――現場をこんなふうにして行く必要はこれっぽっちもないはずだ。だが、実際に現場はバラバラにされた鎧が散乱している。しかも、わざわざ死体から遠い紅騎士の鎧をだ。これには必ず理由がある。現場をこうしなければいかなかった理由が、必ずあるはずなんだ……」
「お前の言うとおりかもな」
ミラージュもホームズの言葉を認める発言をした。ホームズは、一度深いため息をついて、
「殺害後、バラバラにして死体の周囲に散らばせた紅騎士デモリスの鎧、開いていた死体直上の天窓、唯一の出入り口の扉には施錠がされている。これらの事象が、どういう意味を持つんだ?」
緑色の血の海に散乱する紅い鎧、そして、その中央に伏臥するゴブリンの死体を目に映した。




