3-17 違和感
二人が食堂に下りていくと、十数回も鳴らされていた鐘がちょうど鳴り止んだ。食卓には昼食の用意がされており、スカージも入ってきたところだった。
「クリフさんは?」
ホームズが訊くと、
「あいつなら、気を紛らわすためとかで、中庭で本を読んでいると言っていたが、鐘を聞いたはずだから、すぐに来るでしょう」
スカージの言葉どおり、直後にクリフも食堂に姿を見せた。食卓を見回してクリフは、
「リパッグは?」
ゴブリンの姿が見えないことを口にした。スカージは頭を振り、ホームズはワトソンと顔を見合わせた。先の自白(ホームズはそれが偽りのものだと信じてはいるが)のこともあり、自分たちやクリフと顔を合わせづらいため、出てこないのではないかとホームズは思った。
「先にいただきましょう」
クリフが自分の席についたところに、
「クリフ」
と廊下から声がした。見ると、ジャーパスとトレイブの二人が並んで立っている。
「どうかしたのですか?」
クリフが訊くと、ジャーパスは、
「食べながら、一斉捜索のことで話せるか? 業務時間内は忙しいからな。トレイブにも相談に乗ってもらいたいと思って、連れてきた」
「そういうことでしたら、ぜひ」
クリフは了承し、スカージも頷いた。ジャーパスとトレイブは空いている席に座り、テーブルの上に自分たちの弁当を広げた。
「リパッグは?」
その姿がないことにトレイブも言及したが、
「今日は天気も良いですし、どこか外でひとりで食べているのでしょう。これまでもそういうことはありましたし」
クリフが答えると、「そうかい」とトレイブは納得した様子を見せ、それを合図としたように、一同は食事にとりかかった。
食事の席での話題は、ジャーパスの提案どおり、スワイプスの一斉捜索のことに終始した。最善なのは、ミラージュの提言で捜索許可が下りなくなることだが、あくまで希望的観測に過ぎない。
「ホームズ様が言うには」とクリフが、「スワイプスさんは、リパッグが犯人であることを示す偽物の証拠をこっそりと持ち込み、それをここで発見したかのように装うという、そういう手段を使ってくるのではないかと」
それを聞くと、
「あの野郎なら、やりかねねぇな」
トレイブは苦虫を噛みつぶしたような顔をした。昼食の席でのことのため、その表情が、さも料理が不味いせいにも見え、ホームズは笑いを押し殺した。
「問題は」と次にジャーパスが、「一斉捜索が行われることが決まってしまった場合だ。作業場にまで乗り込まれて仕事が滞るのは困る」
この意見にはスカージも大きく頷いた。
「いっそのこと、ずっと門を閉めて施錠しておけばよいのでは?」
籠城とも言える大胆な作戦を提案したのは、意外にもクリフだった。
「いや、今日は完成した製品を馬車に積み込んでいき、満載になり次第、順次発送しなければならないんだ。門を閉めっぱなしというわけにはいかない」
腕組みをしてジャーパスが唸った。
「スワイプスとかいう、あの野郎の剣幕だと、少しでも門が開いたら、強引にこじ開けて突入してくるだろうな」
トレイブの懸念には、一同全員が頷いた。
「腕っ節のいい連中を何人か門の前に立たせておいて、馬車は出すが、入ってこようとする衛兵たちは押しとどめるというのは?」
スカージが次の提案をしたが、すぐさまトレイブに、
「勘弁してくれ。こちとら猫の手も借りてえほど忙しいんだ。そんなくだらねえことをやらせるために割く職人は、ひとりもいやしねえよ」
そう返されてしまった。ホームズが、この世界にも“猫の手も借りたい”という慣用句があるのか、それとも、この世界特有の言い回しが自分にも理解できるように“翻訳”されて聞こえているのかな、などと考えていると、
「ホームズ様、何かいい作戦はありませんか?」
「――あっ、はい」
クリフに声をかけられ、我に返った。
「そ、そうですね……。私としてはですね、ミラージュが何とかしてくれるのに期待したい所存であるのですが……」
政治家の答弁みたいな返答をしてしまった。
「それが出来なかったときのことを考えてるんだろうが」
トレイブに突っ込まれて、ホームズは、「ごもっとも」と引き下がるしかなかった。隣では、ワトソンが頬杖を突いてにやにやと笑っていた。
「ワトソン様は、何かありませんか?」
クリフは探偵の助手に意見を求めた。お前も何か見当外れなことを言え、とホームズが念を送る中、
「僕は、リパッグを守ることが最優先だと思います」
小さく片手を挙げて発言した。それを聞くと、おお、とクリフは感嘆の声を上げて、
「そうですね。スワイプスさんの目的が、あくまでリパッグを陥れることにあるのであれば、そのリパッグを引き渡さないようにすればいいわけです」
「なるほど」
「それはいい手かもな」
ジャーパスとスカージが同意し、トレイブも納得したような顔で頷いた。
「具体的なお考えがありますか?」
クリフに問われると、ワトソンは、
「何かある?」
「ここで俺に振るのかよ!」突然水を向けられたホームズは、「そ、そうですね……」
五人の視線が集まる中、しばし黙考して、
「最終的に、リパッグがスワイプスの手に落ちなければいいわけですね」
「はい」
期待が籠ったようなクリフの返事のあとに、
「では……リパッグに逃亡してもらうというのは、どうでしょう」
「逃亡?」
ホームズに集まっていたすべての目が丸くなった。
「といっても、当たり前ですが、本当に逃亡させるわけではありません。どこかに匿っておくのです。そのうえで、やってきたスワイプスが門をくぐる前に、リパッグがいなくなった、と伝えるのです。そうしたら、どうでしょうか、スワイプスにしてみれば、いくら捏造の証拠を持ってきたからって、肝心のリパッグの身柄を拘束できなければ意味ないわけです。やつは急遽、リパッグ自身の捜索に人員を割くか、もしかしたら、リパッグの身柄確保に全人員をあててくれたら最善です」
「確かに」とクリフが、「それで、ひとまずはここの捜索の手を緩ませるか、あわよくば回避できますね。ですが、いつまでもリパッグを匿い続けるわけにはいきませんよ」
「もちろん、そうです。ですので、日が暮れる頃になったらリパッグには戻ってきて――正確には隠れていた場所から出て来て――もらいます。それで、スワイプスにはこう言うのです。実はリパッグは、誰にも黙って散歩に行っていただけだった、と。まさか、さすがのスワイプスも、日が落ちてから一斉捜索を開始するとは言わないでしょう。そのまま大人しく引き上げるはずです」
「なるほど……」とクリフは頷いたが、「ですが、それで回避できるのは、今日の捜索だけですよね。明日になったらまた、スワイプスさんは必ず来ますよ」
その懸念には、「いや」とジャーパスが、
「作業場が忙しくしているのは今日までだ。恐らく明日になれば職人の手も空く。そうしたら、衛兵に対抗することは可能だ」
「それに」と続けてホームズは、「明日になればミラージュの増援も期待できます。よしんば実際に一斉捜索が行われることになったとしても、ミラージュ率いる第一部隊の衛兵や騎士たちに、第二部隊の捜索を逐一見張ってもらっていれば、捏造の証拠を出す機会を封じることも可能だと思います」
一同は黙り込んだ。今のホームズの作戦を吟味しているのだろう。一番に口を開いたのはクリフだった。
「どうですか」とクリフは皆を見回して、「私は、ホームズ様が提案してくれた作戦は、遂行する価値は十分にあると思います」
「だな」とスカージも、「今は、それが最善かもしれん」
と同意し、ジャーパスとトレイブも頷いていた。善後策――とまでは言えないが、とりあえずの危機を回避する提案ができたことで、ホームズも満足して頷く。と、隣のワトソンに膝を突っつかれた。ホームズが顔を向けると、満面の笑みが返ってくる。自分の発言のおかげだよ、と言いたいのであろう。ホームズは、分かった、分かった、という意味でワトソンの太ももを軽く叩き返した。
「さて、そうと決まれば」とクリフが、「リパッグの隠れ場所を考えなければなりませんね。早急に」
「スワイプスが、我々の作戦に気付くことも考えられる」とスカージも、「簡単にみつかるような場所ではまずい」
「そうだな」ジャーパスも腕組みをして、「作業場のどこかがいいかもしれないな。あそこはとにかくごちゃごちゃしてるから」
「なら、第二がいい」トレイブも意見を出し、「あそこは今、天地創造以前よりも混沌な状態だ」
四者が意見を述べる中、ホームズが、
「まず何よりも、リパッグ自身にもこの作戦を伝えるのが先です」
「そうだ」クリフもそのことに気付いたように、「リパッグのやつ、いったいどこに――」
そのとき、鐘声が聞こえた。遠く教会が鳴らしている荘厳な鐘の音が、窓を抜けて食堂にも入り込んできた。
「もう一時か」
ワトソンは、まだ料理が残っている食器皿を見た。
「すっかり話し込んじまったな。俺は仕事に戻るぜ」
トレイブは弁当を片付け始め、ジャーパスも席を立ち、
「クリフ、リパッグに話をするのは任せるぞ」
そう声をかけた。が、クリフはそれには答えず、呆然とした表情でゆっくりと立ち上がると、
「……鳴らない」
「……何がだ?」
スカージが訊いた。そうしている間に、教会の鐘声は規定の数を鳴らし終えていた。
「――!」ホームズも異変に気がついた。椅子を蹴って立ち上がると、「リパッグの鐘か!」
クリフは不安そうな目で頷いて、
「リパッグが決まった時刻に鐘を鳴らさないなんて、初めてのことです……」
「行ってみましょう、鐘楼へ」
「は、はい……」
クリフの返事が終わる前に、ホームズは食堂を飛び出していた。その後ろから、ワトソン、ジャーパス、トレイブと続き、クリフはスカージに背中を叩かれてから、ようやく一緒に走り出した。
「ホームズさん!」先頭を走るホームズを、ジャーパスの声が引き留めて、「こちらからのほうが早い!」
玄関に向かうのとは反対側の廊下を指さした。
「――中庭!」
ホームズは承知して、ジャーパスの示す方向に進路を変えた。
広い廊下に面したフランス窓が開かれており、そこから中庭に飛び出すと、下半分が生垣に覆われた展示室棟が見えた。ホームズはそのまま中庭を走り抜け、展示室棟の裏側を目指す。林立する木々と外壁との空間の奥に、屋根まで立てかけられたハシゴが見えた。
「ホームズ! 僕が行く!」
ハシゴに足をかけたホームズだったが、ワトソンの言葉に従って足を下ろした。確かに、ハシゴを昇降する速度ではワトソンに分がある。ホームズの脇をすり抜けてハシゴに飛び付いたワトソンは、するすると器用に上っていく。
「ホームズ!」
ハシゴを半分以上上ったところで、ワトソンは足を止めて叫んだ。「どうした?」というホームズの返事の直後、
「天窓が開いてる!」
「なに?」
「三枚あるうちの真ん中の天窓が開いてるんだ! 鐘楼には誰もいない!」
「天窓が開いている?」
「ホームズさん!」そこに追いついたジャーパスが、「どうしました?」
「天窓が一枚、開いているそうです」
「あの天窓は」と、さらに後ろからスカージが、「屋内からしか開けられないはずだ」
「……展示室に入りましょう!」と返してからホームズは、ハシゴの途中にいるワトソンに向かって、「何かおかしなことがあったら、大声で叫べ!」
「わかった!」
ワトソンの返事を聞くと、「行きましょう」と一同を引き連れ、来た道を引き返す形で中庭に戻った。
生垣すれすれを走って、ホームズたちは展示室の出入り口に着いた。ホームズはノブを握って回したが、扉は開かない。
「私が開けます!」
クリフが叫びながら駆け寄り、懐から取りだした鍵を鍵穴に差し込んで扉を解錠する。ノブを回し、扉が開くことを確認してホームズは、
「クリフさんは、下がっていて」
クリフの体を押して中庭側に退けさせた。ごくりと唾を飲み込んでから、ホームズは一気に扉を引き開けて中に躍り込んだ。
現在唯一開けられている天窓の一枚から、スポットライトのように陽光が室内に明りを投げかけている。その光源の下、床の上に何かが散乱しているのをホームズは視認した。赤い物体らしいが、その中のいくつかは所々が緑色をしており、斑模様になっている。
ホームズはゆっくりと近づき、散乱している物体が何かを、そして、その中に埋もれるように横たわっているものがあり、それも何かを知ると、駆け足になった。後ろからは、ジャーパス、トレイブ、スカージも続いている。
「――うっ」
ホームズが足を止めると、後ろの三人も同じように立ち止まった。
散乱している物体は“鎧”だった。深紅に染め上げられた鎧、“紅騎士デモリス”の鎧が、兜、胸あて、小手、といった各パーツごとバラバラにされ、床に散乱している。そして、そのばらばらの鎧に囲まれるように、何ものかが横たわっていた。うつ伏せで、顔は横を向き、その目は大きく見開かれている。ホームズは、それを即座に“死体”と見定めた。指先ひとつ、ぴくりとも動かしてはいなかったし、何より、その後頭部には、何かで穿たれたようにいびつに陥没した傷口が開き、周囲はおびただしい血で濡れていたためだ。
「クリフ!」
中に入ってきて駆け寄ろうとしたクリフを、最後尾のスカージが肩を掴んで止めた。
「離して下さい! あれは、デモリスの鎧ですよね? どうしてあんなバラバラになって……」
クリフは抵抗するが、スカージの手は彼の肩をがっしりと掴んで離さない。
「駄目だ、クリフ!」スカージは、鎧が散乱した場所を、正確には、その中心に横たわっているものを見て、「もう、死んでいる……」
クリフも、スカージの体越しにホームズのほうを見て、
「死んでるって? 誰が?」
「こ、これは……」ジャーパスは、たじろぐように半歩後ずさって、「デモリスの……鎧じゃないか」
「おいおい」トレイブは皺の奥から大きく目を見開いて、「落ちた……のか?」と頭上を見上げた。鎧と死体があるのは、開かれた天窓のほぼ真下だった。それを聞いたジャーパスは、出入り口を振り向いてから、
「確かに、施錠はされていたんですね?」
自分に訊いているのだと分かったホームズは、こくこくと頷く。
「渡り廊下のドアも、鍵が壊れたままで開かないはずだ」
スカージは渡り廊下側のドアを見やる。
「じゃあ、やっぱり」とトレイブは再び天井を見上げて、「あそこからしか入れねえじゃねえか……」
「入れないだけじゃないぞ」ジャーパスがそれを受けて、「出るのもだ」
「クリフ!」
スカージが叫んだ。クリフがスカージの手を振りほどいて駆け出していた。
「クリフ!」
「ぼっちゃん!」
咄嗟のことだったためか、ジャーパスとトレイブもクリフを止められなかった。ホームズが気付いたとき、すでにクリフは真っ赤な鎧の中心に屈み込み、横たわる死体にすがりついていた。
「――!?」
ホームズは、展示室に入ってからの、ここまでのやりとり、状況を思い返して、何かがおかしいと感じ取った。言いようのない違和感。だが、直後に響き渡ったクリフの悲鳴によって思考を中断され、それが何かを明確にすることは出来なかった。
「リパッグ!」
クリフは、もの言わぬ死体となったゴブリンを抱き起こし、その胸に顔を埋めて慟哭した。




