3-16 宝石の真贋
「これほどのエメラルドは、ちょっとそこらではお目にかかれやせんぜ」
リパッグは、確かめてみろ、と言わんばかりに、ホームズに向けて宝石を載せた手を突きだした。ホームズは、その長辺が数センチにも及ぶ楕円球型の宝石を摘み上げ、窓から差し込む陽光に照らしてみた。太陽の光を浴びて宝石の緑色の輝きはいっそう強まったが、ホームズは、それが本物かガラス玉かを見極める眼力など当然持ち合わせていない。ワトソンにも宝石を見せてみるが、彼もぶんぶんと頭を振るだけだった。
「鑑定してみても構いませんや」
その心中を察したかのように、薄い笑みを浮かべたリパッグが声をかける。
「リパッグ、お前」ホームズはゴブリンに向き直って、「これを、どこで?」
「だから、すり替えたんでさ。あっしが作業場に差し入れを持って行った際に、隙を見てガラス玉と宝石をすり替えるのは、思っていた以上に簡単でやした」
「……他は? 被害に遭った宝石はひとつじゃないはずだ」
「秘密の場所に隠してありやす」
「それは、どこだ?」
「これ以上は、衛兵からの正式な取り調べで喋りやす」
「……リパッグ、お前、誰をかばってるんだ」
「はあ?」
「お前がそこまで自信満々ということは、この宝石が本物なのは間違いないだろう。問題は、どうしてお前がこれを持っているかと言うことだ。俺が考えるに、犯人がこの宝石をすり替える、いや、どこかに隠しているところを目撃したんだろう。で、犯人に気付かれないように、こうして宝石を持ち出して、自分が罪をかぶろうとしている」
「旦那、まだそんなことを……」
リパッグは大きな口を開けて嘆息する。
「だったら」とホームズは、「どうして俺なんだ?」
「……何がですかい?」
「どうして俺にだけ罪の告白をする。さっきの食堂で、クリフやスカージにも一緒に聞いてもらえばいいだろう」
「……工房の皆さんに、特に、ぼっちゃんに刺激を与えたくなかったんでさ。それに、あっしが犯人だと知ったら、みんなからどんな目に遭わされるか。今まで、あっしのことをかばってくれたご恩を裏切ることになりやす。その分、報復も苛烈なものになりやしょう。あっしは、それがおっかなくて。ですんで、こうして旦那にだけ罪を打ち明けて、こっそりと衛兵に突きだしてもらいたいんって魂胆なんでさ」
「クリフを始め、この工房のみんなが、そんなことをすると思ってるのか」
「……」
リパッグは黙った。
「どうなんだ?」
ホームズに促されて、ようやくリパッグは言葉を継ぎ、
「分かりやせんぜ。やっぱりゴブリンのことなんて信用できねえって、みんな思うかも。さっきも言いやしたが、ぼっちゃんの手前、仕方なくあっしと親しくしていただけだって職人も、きっといるはずですぜ。そいつらはきっと、手の平を返して……」
「違うだろ」とホームズは、「お前がこのことを俺だけに喋ったのは、クリフの前だとぼろが出ると思ったからだろ。クリフはお前が犯人だなんて、これっぽっちも信じていない。俺やワトソン以上にな。そんなクリフに涙ながらに問い詰められれば、嘘をつき続けることは難しい、そう思ったからだろ」
それに対してリパッグは、何の返答もしなかった。
「……いいだろう」ホームズは再び右手を大きく開き、「さっきのお前の挑発に乗って、こいつを使ってやる」
中指にはまる指輪を見る。リパッグは唾を飲み込んだ。
「ただし」とホームズはリパッグの顔を見ながら、「俺がこいつを発動させて言う言葉は、さっきお前が提案した『リパッグは無実だ』ではない。俺は、こう言うぞ……『リパッグは犯人だ』ってな」
それを聞いたリパッグの顔色が変わった。
二メートルほどの距離を置いて、ホームズとリパッグは互いに緊張感を孕んだ視線を交差させている。二人の視界の完全な外でワトソンは、その様子を面白そうな顔で眺めていた。
ホームズの唇が動いた。
「我、これより真実のみを――」
「やめなよ、ホームズ」
ホームズの水平に掲げた右腕にワトソンが両手を絡ませ、そっと引き下ろした。
「ここで二人が意地を張り合ったって、仕方ないじゃない」
そう言ってホームズの目を見るワトソンの顔は、いつものあどけない表情に戻っていた。ホームズの対面では、リパッグが深く嘆息して額の汗をぬぐった。はあ、とホームズも深いため息を吐くと、
「とりあえず、これは俺が預かる」宝石を懐におさめて、「お前は、普段どおりにしてろ。しないとは思うが、絶対にクリフたちに今のことは喋るなよ」
「……旦那」
リパッグの目が若干の潤みを帯びていたのは、ホームズの見間違いではなかっただろう。
リパッグの部屋を出て、ホームズと並んで廊下を歩いていたワトソンは、
「これから、どうするの?」
「とりあえず、これが本物かどうか調べよう」
答えてホームズは、懐から出した緑色に輝く宝石を眺める。
「どうやって?」
「外部の宝石商に持ち込もう。トレイブさんに見てもらうのが手っ取り早いんだが、出所なんかを詮索されてもやっかいだからな――おっと!」
ホームズは、親指と人差し指で挟んでいた宝石を取り落としてしまい、大股で歩いていたため、さらに踏み出す足で落下中の宝石を蹴飛ばす格好になってしまった。ホームズに蹴られたエメラルドは、廊下の窓から差し込む日の光を反射させながら、赤い絨毯の上を跳ねるように転がっていった。
「やべっ!」
エメラルドは廊下の曲がり角で止まっていた。そこまで駆けていき、宝石を拾い上げるため絨毯の上に屈み込んだホームズは、
「あっ!」
曲がり角の向こうを見て声を上げた。そちらから歩いてきたクリフと鉢合わせたのだった。
「ホームズ様?」廊下に膝を突いた格好のホームズを見て小首を傾げたクリフは、「どうかされたのですか?」
ホームズは素早く絨毯の上からエメラルドを拾い上げると、「な、何でもありません」と後ろ手にそれを隠して、
「と、ところで、この近くに宝石商はないでしょうか?」
「宝石商でしたら、街まで出れば何軒かありますが」
「そ、そうですか」
「宝石商に、何か用事でも?」
「え、ええ、捜査の件で、ちょっと……」
「でしたら、馬車を出しましょう。リパッグに御者をやらせます」
「い、いえ、それは……」
「大丈夫ですよ。あいつには全身をすっぽりと隠すローブを着させますので、ゴブリンだと知られることはありません。買い物などで店に入る際でしたら、そんな格好は怪しまれますが、御者でしたら御者台にずっと座っていればいいだけですので」
「あ、歩いて行きます。歩きながら考え事もしたいので……」
リパッグと一緒になるのは、さすがに気まずいとホームズは思った。
「しかし」とクリフはなおも、「結構歩きますよ。昼までに着けるかどうか」
「構いません。歩きたい気分なので……」
「でしたら、馬だけ出しますので、それに乗っていって下さい」
「う、馬?」
「はい」
「馬、ですか?」
「ちょうど空いている馬が二頭いますので」
「い、いえ、歩きます、歩きます」
顔の前で両手を振るホームズの横から、ワトソンが、
「クリフさん、では、馬を一頭だけ貸して下さい」
「は、はい。ですが一頭だけでよいのですか?」
「ええ」と返事をしたワトソンは、ホームズの顔を見て微笑むと、「僕にしっかりと掴まってれば、大丈夫だよ」
その言葉でクリフは、ホームズが馬に乗れないことを察したらしかった。あっはい、と頷いて、二人を馬小屋まで案内した。
手綱を握るワトソンの体を、ホームズは背中から両手で挟み込むように掴みながら馬上に揺られていた。
「ホームズは自分の世界で馬に乗ったことはないの?」
「ないよ」
「そうなんだ。じゃあ、ホームズの世界ではみんな徒歩で移動してたの?」
「そんなわけあるか。自動車に電車に……まあ、とにかく、移動手段として馬に乗ってるやつなんて、俺の世界にはいなかった」
「そっか。でも、こっちに来たからには、ホームズも馬に乗れるようにならないとね」
「そうだな……」
「今度、僕が教えてあげるよ……あ、こういうことは、ミラージュさんのほうがいいかも」
「あいつは絶対に嫌だ!」
「何でさ」
「それより、もうちょっと静かに走れないか?」
「無理無理、馬車の客車とは違うの。これくらい、馬に乗ってれば普通だよ。ホームズもじきに馬に乗るようになるんだったら、今のうちに慣れておいたほうがいいよ。こんな具合に……」
「おい!」
ワトソンは手綱を操ってさらに馬の速度を上げ、ホームズは振り落とされないよう、必死でワトソンの腰に食らいついた。
街に到着した二人は、何軒かの宝石商を見ていき、その中の一番大きな店にリパッグから預かっている宝石の鑑定を依頼することにした。
「間違いなく本物です。それも、かなりの上物ですね」
鑑定結果を告げられて、二人は目を見合わせた。ぜひ当店で買い取らせていただきたいのですが、という鑑定士の申し出を断り、鑑定料を払い、礼を述べてホームズとワトソンは店をあとにした。
帰りの馬上でホームズは、午前十一時課の鐘を聞いた。二人が工房に到着したのは、それから半時間ほどあとのことだった。
門をくぐり、事務所棟に向かって歩いていたホームズとワトソンは、玄関から出てくる職人の二人組と鉢合わせた。
「トレイブさん」
「おう〈たんてい〉さんか」
そのうちのひとりは、ドワーフと人間の混血であるトレイブだった。手には布袋を提げている。
「製品に加工する宝石を取りに来たんだ」
トレイブは掴んでいる袋を掲げた。喋るたびに、口元全体を覆った豊かな髭が上下に動く。
「その宝石は」ホームズは布袋を見ながら、「クリフさんの許可がないと持ち出せないんでしたね」
「あたぼうよ。俺ら職人とぼっちゃんとは家族同然の関係だが、そこのところは厳重にしてかなきゃいけねぇ。事件のこともあるしな」
「そう、ですよね」
トレイブの隣にいる職人も強く頷いた。宝石の受け渡しは、盗難や移動途中の襲撃を防ぐため、必ず二人以上で行うことになっていると、クリフも言っていた。
「そういや」とトレイブが、「半時間ほど前にジャーパスが帰ってきたんだが、スカージに呼び出されていたぜ。何かあったのか?」
「ええ、ちょっと……」
「そうかい……行こう」
トレイブは連れの職人に声をかけると、作業場に向かい歩いていった。
「工房全体に、スワイプスの一斉捜索が入るかもしれないってことを知らされたんだね」
ワトソンの言葉にホームズも頷いた。
ホームズは事務所棟に入ると、ワトソンを連れてそのまま客室に戻った。途中、誰とも顔を合わせることはなかった。スカージは仕事中だろうし、リパッグは恐らく昼食の用意をしているのだろう。クリフは……。ベッドに身を投げたホームズは、廊下でクリフと鉢合わせたときのことを思い出していた。自分がリパッグの自白を聞いた直後のこと、自分の様子が何か変だと気取られなかっただろうか。廊下に落としたエメラルドを見られなかっただろうか。そんなことを考えてまどろみかけていたとき、
「うおっ!」
けたたましい金属音に耳朶を打たれて飛び起きた。
「リパッグの鐘か」
ワトソンとともに窓を見たが、ホームズたちの客室は正門側に面しているため、鐘楼が設えられている展示室棟の屋根を視認することは出来なかった。
「よし」とホームズはベッドから飛び起きて、「昼飯でも食って、気分を持ち直そう」
「賛成」
隣のベッドに寝ていたワトソンも体を起こした。




