3-6 第二部隊長スワイプス
「だから、お前の仕事はない。帰っていいぞ」
もう一度スワイプスが言葉を投げると、それに応じてホームズは立ち上がった。
「ホームズ!」
スワイプスに向けた視線が鋭いものになっているのを見たためか、ワトソンがホームズの袖を引く。それがなければ彼は、そのままスワイプスの眼前まで詰め寄るところだった。と、そこに、廊下から大勢の人間が言い合いをする声が聞こえてきた。応接室にいた全員が、ドアが開け放たれたままの出入り口に目をやると、数人の男たちが揉み合いながら廊下を流れてくる。廊下を埋めた人間たちは、二つのグループに分かれていることが彼らの服装から察せられた。衛兵と工房の職人だ。廊下を進んでくる職人たちを衛兵が押し留めようとして、一悶着起きているらしかった。
「何事だ」
「どうしたんですか!」
それを見たスワイプスとクリフが同時に声を上げた。
「ああ、ぼっちゃん」と、職人の中のひとりが、「すまねえ、この衛兵連中が勝手に上がり込んで」
「捜査のためだ。お前たちの許可を得る必要などない」
スワイプスの発したその言葉が、職人たちの怒声をさらに大きくさせ、衛兵との揉み合いも激しさを増した。
「まあまあ」
クリフは立ち上がって、揉み合いを続ける職人と衛兵との間に割って入る。彼らの半分以上はもう、応接室になだれ込んで来ていた。クリフは双方に声をかけ、皆を落ち着かせ、ワトソンも手伝って、もみくちゃになっていた衛兵と職人とをそれぞれに分断させることに成功した。その間、スワイプスは腕組みをし、冷淡な目で混乱が収拾されるのを見ているだけだった。
事態が落ち着いたところでクリフは、
「スワイプスさん」衛兵騎士のほうに向いて、「先日も申し上げましたが、あくまでリパッグが犯人だというのであれば、皆が納得する証拠を出していただきたい」
まっすぐに相手の目を見て、毅然として言い放った。対するスワイプスは、まったく態度を変えぬまま、「ふん」と鼻を鳴らし、
「本来であれば、そんなものは必要ないのだがな。まあいい。これから、そのゴブリンの部屋を捜索させてもらうぞ」
「捜索なら前もやったはずです。それで、証拠も何も出て来なかったのではないですか」
「あのときは、迂闊な衛兵が事前に捜索に入ることを漏らしてしまっていたからな。証拠を隠す時間はいくらでもあった。だから、今回は抜き打ちで来たというわけだ」
それを聞くと、再び職人たちの間から怒号が浴びせられる。が、スワイプスは構うことなく、「行くぞ」と衛兵たちを従えて廊下の奥へと歩を進めた。
「ちょっと待って下さい!」
そのあとを追おうとしたクリフだったが、
「クリフ」と壮年の職人のひとりが、クリフの肩に手を置き、「ここは私らに任せろ。何かあると悪いから、お前は来るな」
「でも――」
「リパッグ」
その職人は、騒動の間もクリフが座っていたソファの横から一歩も動かずにじっとしていたゴブリンの名を呼んで、
「クリフのことを頼むぞ」
「へい」
リパッグは職人に向かって頭を下げた。「さあ」と職人はクリフの背中を押してリパッグのそばへ押しやると、自分は他の職人たちを追って廊下の向こうに走り去った。喧噪と足音は遠ざかっていき、応接室に静寂が戻ってきた。
「すみません」とクリフはホームズとワトソンを見て、「お見苦しいところを」
申し訳なさそうに一礼した。「いえ」とホームズは、
「衛兵騎士の、スワイプスとか言いましたか。いけ好かない野郎ですね」
「事件の捜査でここへ来ると、すぐにリパッグが犯人だと決めつけました。とんでもない話ですよ。この前の捜索のときだって、リパッグの部屋を散々荒らし回っておきながら、ろくに後片付けもしないで引き上げていきましたし」
「騎士団に抗議してはいかがですか?」
「無駄です。こういった事件を扱うのは、衛兵騎士団の第二部隊の担当なのですが」
「知っています」
「彼、スワイプスが、その第二部隊の隊長なんですよ」
「なんと」ホームズは唖然としたが、すぐに、「でも、各部隊を統括するさらに上の役職があるはずでしょう。あんな横暴、許されていいはずがない」
「無駄でさあ」
それに答えたのは、クリフの隣に立つリパッグだった。他の三人の視線が彼の緑色をした顔に向く。
「このことで騎士団に抗議なんてしなすったら、今度はぼっちゃんや職人の皆さんが奴らに目え付けられちまいますぜ。ゴブリンの味方をするとんでもねえ人間ってことで」
「そんなことを言うな」
悲しい目をしてクリフは、リパッグをたしなめた。
「あの様子じゃあ」とホームズは、「事件の解決どころか、捜査すらまともに出来るとは思えませんね……ミラージュのやつが俺をここに寄越した理由が分かった気がする」
それを聞くと、クリフが、
「今回の捜査に加わった衛兵や騎士も、スワイプスさんに賛同している人ばかりではないようで、彼のやり方に疑問を憶えた方が、本部に戻った際にミラージュさんに相談されたのだそうです。それで、ミラージュさんから私に連絡がありまして、最近噂の〈たんてい〉を寄越してくれることになって」
「部隊が違うとかのしがらみで、あいつも直接手が出せないんでしょう」
「いいとこあるじゃん」
ワトソンが笑みを浮かべると、「まあな」とホームズはぶっきらぼうに答えた。
「ところで」ホームズはクリフに、「先ほどクリフさんに声をかけていた職人がいましたが、もしかしたら、彼が職長のジャーパスさんなのではないですか?」
「どうしてそう思われたのですか?」
「いえ、彼だけがクリフさんのことを『ぼっちゃん』とは呼ばずに名前で呼んでいたもので。この工房でクリフさんのことを名前で呼ぶなら、身内であるスカージ工房長か、古い付き合いのジャーパスさんくらいだろうと。で、今の方の服装はどう見ても職人のものでしたので、職長のジャーパスさんだと見当を付けただけです」
「さすがですね。そのとおりです。彼がここの職長を務めているジャーパスです」
「やるねえ」
ワトソンに脇腹を小突かれてホームズは、
「こんなのは初歩中の初歩だ」と、その手を振り払うと、「さて、このあと、ジャーパスさんも含めた関係者に話を伺おうかと思っていたのですが……」
「さっき、なだれ込んできた職人の中には、先ほどの話に出てきたトレイブの姿もありましたし、工房長のスカージは取引先との打ち合わせで外出していますので……」
「そうだ、ぼっちゃん」とリパッグが口を開き、「騒動が収まるまで、ホームズとワトソンの旦那を展示室棟に案内しては?」
「ああ、それがいいかもしれないな」
クリフは同意した。
「展示室?」
「はい」とクリフはホームズを向いて、「当工房の仕事を、より深くご理解いただくためにも、ぜひ案内させて下さい」
応接室を出るよう、二人を促した。
クリフ、リパッグ、ワトソンと一緒に玄関を出ると、工房からの雑多な作業音が再びホームズの耳に飛び込んできた。数歩歩いてからホームズは、今まで自分たちがいた建物を振り仰いだ。
「事務所棟といいますが、さすがにこれだけの工房の規模ともなると、結構大きな建物になるんですね」
事務所棟は二階建てで、大きさからすると部屋数もかなりの数になると推察される。
「ここは、私とリパッグ、それにスカージ叔父の住居も兼ねていますので」
「なるほど」
「では、展示室棟へご案内します」
クリフは、自分たちが出てきた事務所棟の壁沿いに左の方角に向かって歩き始めた。日の傾き具合からして、クリフは西に向かって歩いているらしい。事務所棟の壁が終わるところまで来ると、クリフはその角を右に曲がる。後ろをついて歩いていたホームズは、角を曲がったところで事務所棟の奥に十メートルほどの距離を隔てて、同じような大きさの建築物がもう一棟建っているのを見た。
「あそこが展示室棟です」クリフは指さして、「もう少し歩けば分かりますが、実はあれは、私たちが出てきた事務所棟と渡り廊下で繋がっているんですよ」
歩を進めて、二棟の建物を隔てている(と思われた)空き地に差し掛かると、クリフの言葉の意味が理解できた。距離を置いて平行に並んでいたように見えた二棟の建物は、実は片側で繋がっていたのだ。建物は真上から見ると「コ」の字形をして建っており、二本の横棒のそれぞれが事務所棟、展示室棟となる。その二つの棟は縦棒を成す渡り廊下で繋がっているということだ。
「本来は、あの渡り廊下からも出入り出来るのですが、廊下途中の扉の鍵が壊れてしまっていて、現在通行不能となっているのです」
平屋の渡り廊下を指さして、クリフがホームズに説明した。
「なるほど、それで、あの展示室棟へは現在、屋外からしか出入り出来ないというわけですか」
「そうなのです。展示室棟の出入り口は、その渡り廊下と外扉の二つしかないものですから、今から私たちが行く扉が、現在唯一の展示室棟の出入り口だということになります」
そのままクリフは「コ」の字の解放部、南北に並ぶ棟の間の空き地を抜けていく。そこは一面に緑の芝生が敷かれていた。ホームズたちが出てきた事務所棟の一階部分には、大きなフランス窓(この世界でも『フランス』という単語を使っているわけはないだろうが、ともかく、窓の下端が床まで達している、人が歩いて出入り可能な背の高い窓)が開けられている。その前には椅子とテーブルが置かれており、ちょっとしたオープンテラスのようになっている。
「このスペースは“中庭”と呼んでいまして、私はあの椅子に座って読書をするのが好きなんですよ」
クリフは、芝生の上に置かれている椅子を指さした。事務所棟と平行して建つ展示室棟の壁面は、ここからでは上半分程度しか見ることが出来ない。というのも、壁沿いに一直線に伸びた背の高い生垣が、壁の下半分を覆い隠しているためだ。
「いい場所ですね」とホームズも、その憩いのスペースともいえる中庭を見回して、「絶え間なく工房からの音が聞こえてくるので、静かとはいえませんが」
「はは、でも、私はこの音が好きなんですよ」とクリフは、「我が一族が代々築き上げて、職人のみんなが一生懸命働いてくれている工房のこの作業音が、私は好きなんです」
嬉しそうな笑みを浮かべた。
「展示室棟の入口はあそこです」
クリフが指さした先は、事務所棟、渡り廊下、展示室棟で構成された「コ」の字に囲まれた中庭の奥、生け垣のすぐそばだった。




