ある夏の日に
「暑い……暑過ぎるです……」
7月のある日、放課後の第二音楽室で心春はそう呟いた。
「まあ、夏だしな」
「若菜さん……。それはそうですが、限度というものが……」
あまりの暑さに項垂れる心春の言葉には覇気がない。
「仕方ないよ、心春ちゃん」
諦めろ、と言うように和音が肩を叩いた。
「和音さんまで……」
心春はがくりと肩を落とし、その場に崩れ落ちた。
「みんな、元気かしら?」
扉を開き、葉月が入って来た。
「あはは……見ての通りです。どうかしましたか?」
菫が苦笑しながら答えた。
「書いてもらいたい書類があるの。大した物じゃないんだけどね。はい、園内さん」
葉月はそう言って、同好会の会長である心春に書類とボールペンを渡した。
「それにしても、葉月さんはお元気ですね」
「……生徒会室にはエアコンがある」
若菜が疑問を口にすると、代わりに紗耶香がそれに答えた。
「そうなんですか?!」
和音が目を丸くしながら尋ねた。
「ええ、まあ……」
「ちなみに、吹奏楽部が使ってる音楽室にもエアコンがあるわ」
元・吹奏楽部員である菫がそう付け加えた。
「楽器は温度の変化に弱いから……」
5人から無言の圧力をかけられ、葉月の歯切れは悪い。
「そうですか。葉月会長、書類書き終わったです」
「確かに受け取ったわ、ありがとう。それじゃあ私はこれで――」
「せっかくですし、もう少しゆっくりしていくです。葉月会長には日頃からお世話になってるですから、話したいことがたくさんあるです」
心春が心にもないことを言い、葉月を引き止めようとする。
「こら、葉月さんを困らせるな」
「ぐぬぬ……」
若菜にたしなめられ、心春はしぶしぶ引き下がった。
「気持ちは嬉しいけど他にも生徒会の仕事があるから、また今度ゆっくりお話ししましょう。それじゃあ、練習頑張ってね」
そう言い残し、逃げるように葉月は退室した。
「他の所にエアコンがあると分かると、余計に暑く感じるです……」
「それなら、涼しくなる話をするとか……?」
「それです!」
和音の呟きに心春が即座に反応した。
「誰かそういう話をするです」
「人任せかよ……」
若菜が静かにツッコミを入れた。
「それじゃあ、私がするわあ」
菫が咳払いをして話し始めた。
「ある女の子が、夏休みにお婆ちゃんの家に遊びに行きました。お婆ちゃんの家は、郊外にある、昔ながらの家でした。女の子はお婆ちゃんと一緒に畑の野菜を収穫し、家に持ち帰ってお婆ちゃんとお話をしながら食べていました。すると……」
菫が一旦口をつぐむと、和音がごくりと唾を飲んだ。
「他に誰も居ないはずなのに、後ろからカサカサと何かが動く音が聞こえました。恐る恐る女の子が振り返ると、なんと、そこには……」
「そこには……?」
「ゴキブリがエサを求めて徘徊していましたとさ」
「いやああああああああああ!!!!!!」
和音が大声を上げ、飛び跳ね、
「…………」
紗耶香が無言のまま固まり、
「く、くだらないですね」
心春が少し震えた声でそう言った。
そんな三人の様子を見て、菫と若菜は顔を見合わせて笑った。
「そんなことより、早く練習するですよ」
「さっきまで、暑いって言って駄々こねてたのは誰だっけなあ?」
「知らないです」
青い青い空に、白い白い積雲が広がっていた。