第14話
「あのね。おなかすいたから。おなかがすいて、ごはんなの」
アンがごしごしと異形の手で血塗れの口元を拭う。しかし口元と同様の手で拭ったところで、逆に塗りたくる結果となってしまっていた。
彼女の年相応な話し方も声もグロテスクな光景とはかけ離れた位置にあるもので、それが気味の悪さを増長させる。あの真っ赤な、いや、赤黒い液体はケチャップなんかではない。血液、血液だ。少し前まで人の中に詰まっていたものなのだ。
「人、食べちゃったんだね」
残念そうな声が私から出る。この時点をもって人を害するものであると判明してしまった。どんなに幼い子でも、彼女が生きるためにしたことでも、もう殺すほかは無い。
「これじゃないと食べちゃだめなの」
「……これじゃないと、食べちゃだめ?」
「うん。そういうめ……。あ…………。でもまだごは…………うん……わかった……」
アンが不気味に上を向いて、突然何者かと会話するような発言をし始める。魔法使いか、と真火香さんが低く呟くのが聞こえた。
これじゃないと食べちゃだめ。その言葉から考えられることは、ひとつだけだろう。空気がぴり、と変わる。
「おかたづけ、ごめんなさい」
「っ、待って!!」
関節の悪くなったドールのようなぎしぎしと不安定なお辞儀を見せる彼女を止めようと飛び出す。少しずつ薄れていく姿に手を伸ばした。ここで逃がしたら、また彼女は人を食べてしまう。手が薄汚れた青く細い髪に触れる。
しかし、同時に彼女の姿は跡形もなく消えてしまっていた。私の目の前には、吐き気を催すほどの無残な死体だけが残った。力なく腕を降ろす。指先には、細く柔らかい感触だけがかすかに残っていた。
それから、遺体はすぐに魔導騎士の人が後処理をしにやってきた。きっと、動物に食われたとか襲われたとかそういう理由になるんだろうと思う。真火香さんはその手伝いで今お屋敷にいない。あの人が一番死体慣れしていなくて一番気持ち悪そうだったのに、大丈夫だろうか。そう思うものの、それ以上に私の頭はアンのことでいっぱいだった。彼女の言葉を、じっくり味わうように考えていた。
「これじゃないと食べちゃだめなの、ね。言葉のとおりに受け取ると、人間のみを食べるよう命令されている……となるわね」
私の頭を見透かしたようにルディが声をかけてくる。やはり彼女もあのとき、同じ答えを出していたのだろう。
「あの子を召喚した魔法使いは、何を考えてそんなことをさせているのかしら」
使い魔に人間を食べさせたからといって強くなったり魔力を蓄えたりなんてできないはずだ。食べ慣れすぎて他を受け付けなくなった場合、食料調達の難易度も上がるし、余計なトラブルも起こしかねない。そんな苦労に見合った見返りがないことを、なぜ犯人の魔法使いはさせているのか。
「単純に考えたら、気に入らない人を始末させる……とかだよね」
「そうだけど、あんな風に食い散らかしていてはすぐバレてしまって意味がないわ。実際、野良犬の仕業ではなく魔法使いの仕業だとバレて真火香さんの所まで話が来た」
「そうなんだよね、うーーん」
アンの姿を思い出す。姿こそ不気味なものだったが、最後に後片づけをさせることになってごめんなさいをするあたり、思ったより悪い子ではないような気がしていた。真火香さんと相談すれば殺さずに済む方法が────ああでも、彼女は既に人を食べてしまったんだった……。
「……ね、ルディ。子ども、殺さなきゃいけないんだね」
静かな部屋で嫌に重苦しく響いた。
人型の魔物などを殺したことも数えきれないほどあるが、その子どもとなるとかなり減る。人間の子どもなど殺したこともない。だからこそ、こうして素人みたいにひどい罪悪感と命を奪う重みに苛まれてしまう。
こんなことを言えるほどきれいな生き方をしてきたわけでもない。端から見れば今の私はひどく滑稽な姿なのかもしれなかった。
「……嫌なものね」
ぽつんとルディの声が落ちる。どんなにきれいでないと言っても、すぐ簡単に割り切れるわけではない。それが感情というものだろう。
頬の数字をなでる。重いものを消化するように、ゆっくりと。
「でも、やらなきゃね」
「マリー……」
「どのみち、これは私の"仕事"でもあったわけだし」
強がりの笑顔に、ルディは私の手を握る。熱い体温が伝わってきて、中和するように余った自分の手を重ねた。
「一人でなんて背負わせないから」
体温が心にまで伝わるような言葉だった。本当に、私は彼女に救われてばかりだ。この世界で最初に出会ったのが彼女で本当によかった。この世界で最初に友達になったのが彼女で本当によかった。
「えへへ、ありがとう」




