第10話
「やあ、これはまた、大物だねえ」
魔法使いの真火香さんはまばたきをしたその瞬間に現れた。走ったわけでもないだろうに軽く息を切らしながらの声は掠れている。
驚く私をよそに大鬼の周りをぐるりと一周歩きながらしきりに頷く。大鬼のサイズだとか、私やルディが攻撃した跡だとかを見ているのだろう。
「早かったですね」
「ああルディ、マリーも……無事そうだね、うん。大鬼って聞いた時はびっくりして腰を抜かすかと思ったよ。」
大げさな冗談を交えながら今度は私たちを上から下までじっと見つめて安心したように頷いた。この人のことだから、連絡を受けて大丈夫だろうと思いつつも心配で「飛んで」来たのだろう。真火香さんは安心すると饒舌になる、とルディが言っていたのを思い出して笑みがこぼれる。
「私の方は子どもたちに首飾りについて聞き込みしていたらゲームのアイテムだと思われてね、懇切丁寧に攻略方法を教えてくれたよ……。ほら、自由帳をやぶいてメモまでくれた」
こういうおとぎ話のような「不思議」は大人より子どもの方が感じ取れる、とは真火香さんがよく言っている言葉だった。彼らは、真火香さんが魔法を使う瞬間に、天の川のような流れを彼女から見ることができるという。
ある日真火香さんのお散歩についていった際出会った女の子たちの願いに応えた真火香さんが、ドレスアップという名の「お姫様の魔法」をかけていた(代償は「日が沈んだらお姫様の魔法は解けて普通の女の子に戻る」だそうだ)が、みんな「きらきら」が見えたと言っていた。
この時私は真火香さんの「言葉」に納得した。大人がいつの間にか置いてきてしまった夢を、子どもは見ている。いつか王子様が迎えに来るとか、夜更かしをする子は恐ろしい怪物に連れて行かれてしまうとか、天国は雲の上にあるんだとか、私もいつから信じなくなったんだったっけ。
「モンスターの捕まえ方も教えてもらってね。今回はその方法を真似て捕獲しようと思うんだ」
「また上へのいたずらを思いついたんですか?『ぐぬぬあの一柳木の小娘が、生意気な!!』というのが透けて見えるようなお手紙が来ちゃいますよ」
「いたずらだなんて、ルディ、人聞きが悪いじゃないか。危険物の管理もままならないほど忙しい彼らに気分転換をしてもらうための工夫を凝らしたユーモアだよ。……とはいえ、さすがに危険だからね。今回はやめておこう」
真火香さんがぽんぽんと軽く手を叩くと大鬼はみるみる小さくなり、ちょうど手のひらに収まるくらいの人形になってしまった。スーパーで見かけた、お菓子についているおもちゃのような安っぽい作りの人形に近い。
それを拾い上げながら今度はガチャガチャのカプセルのようなものを生み出し、かぽっと間抜けな音を立てて収納される。ルディから首飾りも預かり、これも同様に収納する。それらをまばたきの内に音もなくどこかへとしまい込み、にっこりと笑った。
「さあ、帰ろうか」
「ちょっと真火香さん。魔法で飛ぼうとせず、たまには運動してくださいよ」
「あー……いやあまだやることが残っていてね!それじゃ!」
「あっ!もう……」
ふわりと一瞬でその場から消えた真火香さんに顔を見合わせてため息をつくと、並んで帰路へついた。
「……さて、こんにちは」
真火香はあるアパートの一室の扉を許しも無しに開けた。外装から予想されるものと違わない内装は、アパートがもう随分長い時をここで過ごしてきたことを示していた。
部屋には生活必需品の代わりに魔法関連の小道具がちらほらと見える。それらから部屋の主がどんな魔法を扱えるのか大方見当がつく。充満する魔法の残り香は使い魔などをうまく隠すが、真火香にそんなものが通用するはずもなかった。
視線は部屋の主に向けたまま、隠れていた使い魔をぱちんと鳴らした指で結界の檻に閉じ込める。
「貴方が今回の盗人だね」
部屋の主は振り返ることもせず大きく息をついた。それを観念したものと見るべきか、反撃に出る前のものと見るべきか。
(できれば前者ならいいんだけど──そんなわけ、ないか……)
振り向きざまに投げつけられた紙切れを手で振り払う。ばさばさと鳥が羽ばたくような乾いた音をたてて振り払われた複数の紙が仄かに光り、描かれていたらしい魔法陣が子鬼を喚び出した。
甲高く叫びながら向かってくる子鬼たちの槍を一輪の花に変え、驚いたところを先ほどと同じように閉じこめていく。
紙が投げつけられたことも、魔法陣が描かれていたことも、子鬼が喚び出され襲いかかってきたことも、彼女を驚かせるには足らなさすぎる。そんな平然とした顔を、彼女はしていた。まるで暗譜した曲を披露するように、彼の足掻きを無に帰した。もう既に知っていた、そんな様子だった。
「残念だけど、勝機なんて訪れやしないよ」
向けた指が花へ変えたのは男の持つタクト。魔法を使うに当たって必須とも言うべき、人間と魔法を結びつける橋。全く違う物へ変化させ、無から有を生み出すなど世の理から外れた存在である魔法を使うには、基本的にタクトを用いなければ上手く制御できないのだ。タクト無しに魔法を使える者も存在するが希少であり、その数は片手の指にも及ばない。
そのタクトを花に変えられてしまった彼は、もはやただ魔力があるだけの人間だった。
花を握りつぶし、彼は歯噛みする。肩は震え、忌々しげに歪められた顔が、彼の心をそのまま表していた。
「どうしてあんなことをしでかしたのかは、然るべき場所で話してもらおう」
「クッ……この町があんたみたいなバケモノレベルの奴の縄張りでなけりゃ上手くいったのによ……大体、」
「おっと。然るべき場所でって言っただろう。あと聞き役も私じゃあない」
仕事は終わったのだから、早く帰りたいのに。そんな声で恨み言を遮る。彼がどういう事情でこんなことをしでかしたのか、彼女には興味がない。組織である以上、恨みを買うことから逃れられない。ましてや、今の"お堅い"魔法王室の状況ではなおさらだ。
背後で開かれた扉の音に、真火香は道を開ける。現れたのは真火香とそう歳の変わらないように見える女性だった。彼女の隙のない張りつめた気は、魔法使いというより戦士とみて間違いないだろう。ひとつに結い上げた混じり気のない白を揺らしながら進んでくる。
「久しぶりだね木槿。積もる話もあるがまあ、また今度にしよう」
「ああ、そうしてくれ。……お前が犯人だな、魔法王室まで同行してもらおう。私は魔導射手だが近接戦ができないわけではないのでな……妙な真似をするなよ」
「……ということさ。事情はそっちで聞くから、着くまでに考えておくといい」
真火香は魔法で生み出した手枷を彼女へ手渡し、そのまま背を向けてアパートから出ていく。普段なら話のひとつやふたつするところなのだが、バケモノなどと言われたことを多少は気にしているのかもしれなかった。




