Missing 5 ◆記憶をえぐるもの
してもいない「結婚」を「している」と言われ、一ヵ月半くらい前に交際の申し込みを断わったんだけどなぁと、ぼんやり考えた。
「思い当たる事があるんじゃない。結婚してると、他の男はそりゃ人妻に近づかないわね。常識の範囲内では。或いは近づけさせないとかね」
暗い小部屋にムッとする香が立ち込めた、『いかにも』な占いのブースで、私は首をかしげた。
まだ私には『結婚』の意味が分からなかったが、占い師はさらに続ける。
「これは契約――と言うか、制約みたいなもんだわね。結界の役割もしてるんだろうか」
「制約、と」
「アナタを守護するために制限がついてんのよ。その制限が『結婚』なのね」
結婚と制約と制限と守護と結界。それ何。
「あっ……え……何ですかソレ、と言うか、私ってなんなのですか」
「――アナタ、知ってるはずなんだけどね。どっかで結婚したこと無い?」
占い師の言及に気圧されて、私は出来る限り頭をめぐらした。
結婚――結婚って……
結婚したことは無いのに、結婚――
「こんなにハッキリ、旦那が居るって出てるんだけど」
ドクンと、一つだけ大きく動悸がすると共に、津波のような感覚が押し寄せて思い出すものがあった。
「わ、私の結婚と言えば――」
「なに」
「あの……くだらない事ですが……夢で、ケッコンした事はあります……」
自分で耳が赤くなったのを感じた。
結婚の夢なら、憧れはある。女ならウェディングドレスでも内掛けでも着て、チャペルや海外での挙式とか、眠っても夢見てたっておかしくない。
でもそれをオトナになって言うのは、一種の「恥」と言う概念に置き換えられ口憚られるものだ。だから他人に言う抵抗感はある。
しかし、占い師は「それそれ、結婚してるでしょ」と肯定的に断じた。
「――その話でもいいんですか」
「あのね、していい人と、しなくていい人がいるんだよ。でね、特にアナタ場合は『しなくちゃいけない人』なんだよね」
「はぁ」
「だってね、アナタね、見ても分かるけど、霊感あるし『先読み』のチカラもある。アナタが観た夢はただの夢じゃないんだ」
占い師は心持ち身を乗り出して。、半ば捲くし立てるように力強く言葉にした。
私は否定が出来なかった。
視線をあちこちに泳がせて、アタマの中を整理しようとした。
「ほらね。自分で分かってるんだ。――話せる? ああ、そうだ、話すのが辛いなら別の手もある」
占い師は傍らの男に合図をした。
心得た、とばかりに男は布一枚で隔てた向こう側から、ガラスの浅いボウルとペットボトルのミネラルウォーターを持ってくる。
それをテーブルの上に置き、中に水を注いだ。
「――明鏡止水って知ってるでしょ。ちょとこれから言うのとは意味も用途も違うんだけど、水はとても純粋なエネルギーを持ってる。だからどんな波長にも染まりやすい。アナタがこの水に手を入れると、アナタのエネルギーの波長が水に転写されて、アタシはそれを読み取るだけの媒体ってことなんだ。この水、水面ね、鏡みたいなモン。ほら、自分の顔って鏡に映さないと見えないのと同じ」
達者な口ぶりで、しかし簡潔にものを言うので、新興宗教や変な物販会社の呼び込み占いとは違うのだと感じだ。
(言葉に、力がある――)
そう思ったのは、生来ある「奇妙に鋭い感覚」のお陰かもしれなかった。
「入れるんですか」
ボウルと占い師とを交互に見やりながら、躊躇いがちに聞く。
「用意はした。でも選択するのはアナタ次第だ。誘ったわけではないし、アタシはこれがアナタを読み取るのに一番よいと思っただけ」
つまり、自己責任ではある。
両手を持ち上げて、水面に近づけた。
それからふとまた思い出すのだ。
(――そういえば……私はなんで――)
ココに来たのだろう――
思うだけで自答にもならない流れのまま、少しづつ手を浸していく。
占い師は何の感情も載せずに黙ってみている。
構わず唇が勝手に動くかのように、私はボソボソと『夢』の話をしていた。
黒い長衣の服装の背の高い老人が追いかけてくる。
その人は、良くない。
私は腕一杯の一抱えもある何かとても大事なモノを持って、『安らぎの大地』で必死に逃げていた。
その山麓にあるホテルみたいな処に逃げ込んで中に入ると、私は一番近くのソファに座っていた男の人に近づいた。
腕に抱えていた『大事なモノ』を渡そうとした。
しかし『大事なモノ』は掌に握られた一枚の金色の硬貨に変貌している。
構わず私は手にある金貨を彼に渡すところで老人が追いついてくるが、金貨が彼に渡ったことで何か立場が変わったらしい。
金貨を手にした男性は自分の名を名乗り、老人に「この人は私の婚約者だから、手は出せない」と明言し、男は悔しがったが、確実に手は出せないらしくその場を去るしかなくなっていた。
しかし、去り間際に男は私の耳元に囁いた。
“――君にはしてやられたが、諦めないよ”
その瞬間、男の狙いが『大事なモノ』や金貨ではなく、私自身だったことを知る。
それから間も無く、そのままホテル内の式場で婚約者となった彼と、式を挙げた。
「――これがケッコンの夢です」
先ほどの恥かしさは何処へやら、ボウルの水に浸した手をタオルで拭きながら、思い出せる限りの全容を言い終えた。
「めでたくてヤバイ、意味深な夢だね――。アナタにとって憩いの場所であるってのはアナタを護っているフィールド。そこに悪いヤツが来たってのが既にそのフィールドでは手に負えない状態を表している。そこで、最終手段に近い形で強力な味方が出てきた、と、言うわけだね。……で、その、彼の名前とかどんな人かって聞いても?」
私を庇護下に置いた、権威ある男性。
その人は……そうだ――
薄い茶色の瞳。
瞳と同じ色の緩いカールの髪。
真っ直ぐに濁りの無い意思を映す眼で、私を捉えた。
――と……あ、あれ?
私は急に思い出した。
――まって。
その男の人の容貌は、遠い昔から『感じていた』面影そのままなんだけど……。
昔から知ってて、数年前の夢で観て、その人は何故?
「――名前は知ってるんですけど……」
しっかりと聞いてたし、今でもはっきりと覚えているのに、
「他言してはいけない気が……」
まるで秘密の名前だとか、ソウルネームだとか、魔法の御伽噺みたいに。
「それから……とても印象に残った夢だったので、自分でも夢の象意を調べてみたのですが……金貨は『愛情』の象徴でした」
やはり、それは『結婚』だったのだろうか。
「いや、名前はとても重要だからね、誰かにも言った事があるかい? 無い? それならアナタの深窓意識は正常に働いている証拠。言えないのは仕方の無いこと。それにしてもね、愛情を渡して、何かの庇護下に入る。そしてその庇護者と契約を結ぶ挙式だ。これは結構な契約の仕方だ……その夢を観たのはいつ?」
「えー……たしか十九のときだったはず……」
占い師は私が手を浸していたボウルを引き寄せ、両手で抱え込むように水面を見つめ、そして眼を閉じて何かに集中し始めた。
一分もしない沈黙だった。
瞼を開いて、占い師はうんうんと頷く。
「十九ってのはハタチ、つまりオトナになって社会に出る直前の洗礼の時期だね。特にアナタはね。そのタイミングを狙っての結婚だって事か。……なるほど……」
随分と色んなものを見えているような様が、また何とはなしに面はゆい。十九と言えば少女が『成人する前に花嫁なりたい』願望がある年頃なのだ。
自分がそこまで結婚に夢見る少女だったかと言うと、嘘でもないのだが……それとは趣旨が異なるのだろうか。
かなり下世話な事を考えて、しかし何か少しづつ異なっていく状況に興味本位の私を、占い師は真剣な色を宿して見据える。
「――コレは少し真面目な話になりそうだね?」