談話
咀嚼という行為をするのは稀だ。基本的な食生活の中に固形物が登場しない為、咀嚼する機会が無いのだ。
水分補給も水か不味いコーヒーだけ。
そんな食生活の中で、ウィリアムが出してくれるお茶菓子はわたしにとってかけがえの無い楽しみとなっている。
昨日は苺のショートケーキ。一昨日はマカロン。
飲み物は紅茶と、朝食で出される不味いコーヒーとは比べ物にならないほど美味しいコーヒー。心地よい苦味とまろやかな酸味。朝食で出される真っ黒な液体の正体は何だろう。
テーブルに置かれたクッキーと紅茶を口にする。茶葉の香りとクッキーの仄かな甘味が口に広がる。人工甘味料の暴力的な甘さとは違う、優しい甘さがわたしを癒してくれる。
〈今日も満足して貰えて嬉しいよ〉
ウィリアムが言った。
「わたし、何も言ってないよ」
〈そうだね、言ってない。でも顔を見れば分かる。毎朝同じさ……頬にクッキー付いてるよ……〉
ウィリアムに言われて頬に手をやると、ぽろりとクッキーの欠片が落ちた。
〈アシュリーは本当に甘い物が好きなんだね〉
「甘い物は好きじゃないよ。毎朝どぎつい甘さを味わっているし……わたしは優しい甘さが好きなの」
〈でも同じ甘さだ。味覚としては同じ甘味に分類されるだろう?〉
ウィリアムはいつもこうだ。わたしをやり込めて、心の中で笑ってる。意地悪なやつだ。
「ねぇ、お話しようよ」
〈いいよ。何を話す?〉
「何でもいいよ」
〈何でもいいっていうのは困るなぁ……最近どんな本を読んだ?〉
「ウラジーミル・ナボコフのロリータ」
〈もっと可愛い本を読みなよ〉
「例えば?」
〈不思議の国のアリスとか〉
「童話?嫌よ。そんなの読んでるって知られたらフリフリのドレスだかワンピースを着させられる。だったらこのスーツでいい」
〈そうかい。まぁ、アシュリーらしいね〉
アシュリーらしい。私らしい。私。わたし。ワタシ?ワタシラシサ。普段の、平常時の私を分析して私がするであろうと認識される行為、言動。検体No.72らしさ。検体コード:アシュリーらしさ。
「このお茶菓子、どうやって持ってきてるの?」
〈調達は外部に任せている。運搬はドローンさ〉
「ドローンって警備用の?」
〈そうだよ。あの二本足のやつに……〉
二本足で気持ち悪い歩き方をする施設警備用ドローン。あれが機銃を背負いながら、ケーキを運んでくるのを思い浮かべたら吹いてしまった。シュールな笑い。
〈運搬用のドローンはこの区画には無いからね。滑稽だけれど、代用してるんだ〉
「じゃあ、紅茶は?」
〈それはここでいれている。ほら……〉
部屋の隅にはウォーターサーバーのような箱と、二本足のドローン。
〈二本足が持ってきてくれるよ。おかわりを持ってきてくれ……〉
ウィリアムが言うと、ウォーターサーバーのような装置が紅茶をいれ、ティーカップを二本足がこちらに持ってきた。何て気持ち悪いバトラーなんだろう。
〈そうだ。音楽でもかけようか……〉
バッハ。主よ、人の望みよ喜びよ。
「落ち着くね……」
〈だろう?そう思ったからこれにしたんだ〉
真っ白な空間で彼と二人っきり。美味しい紅茶とお菓子。優雅なBGM。
「ねぇ……ウィリアム」
私は今、幸せだ。
〈何だい?〉
「わたし、やっぱりあなたのことが好き」
大好き。
〈それは光栄だね〉
「友達としてじゃない。多分、これは愛とか恋とか、そういう類いの物なの」
ライブラリのデータでしか見たこと無いけど。
〈そうかい〉
ウィリアムはいつもみたいに一言言うと、黙った。
〈機械に恋する人間なんて始めてじゃないか?全く難儀なことだよ……〉
ウィリアムはわたしを【人間】と言ってくれる。
「わたしは【人間】?」
その答えが聞きたくて、今日もまた訊き返す。
〈勿論。君は人間だよ、アシュリー。君は生きている。生を受けた、人間だ〉
ウィリアムはわたしを【人間】として見てくれる。
「ウィリアムほど、人間らしいAIもいないと思うよ」
〈ぼくはそういうシステムだからね。仕方無いのさ〉
「だから好きになったのかも」
〈正気じゃないね〉
「ありがとね。褒め言葉として受け取っておく」
そうしてると、視界にARが滑り込んでくる。わたしの予定を知らせるAR、わたしを急かせるAR、わたしの幸せをぶち壊しにするAR。
〈時間かい?〉
「そうみたい……行かなきゃ」
〈そんな顔をすること無いよ。また明日来ればいい。明日はどんな話をしようか?〉
「そうだな……面白い話がいい」
〈用意しておくよ。お菓子は何がいい?〉
「何でもいいよ。優しい甘さなら、ウィリアムが出してくれるなら何でもいいよ」
〈はぁ……期待に沿えるように頑張るよ〉
「あ……美味しいコーヒーが飲みたいな」
〈分かった。それに合うようにお菓子も用意しよう〉
「うん……それじゃあ、またね」
〈いってらっしゃい。また明日〉
真っ白で分厚い隔壁が閉じるまで、わたしはウィリアムのカメラを見つめて手を振っていた。
ARでわたしを呼びつけたやつに文句を言ってやらなければ気が済まないと思いながら、わたしはエレベーターに乗った。
[教会]が遠ざかっていく。




