非日常デストロイヤーズ
非日常デストロイヤーズ
人生には、勝ち組と負け組とがあるらしい。つまり人生は勝負ということだ。引き分けはないのかと思ってしまう。俺から言わせれば、勝負など時の流れ、運でしかないし、運で人生が決まってたまるものかと思うわけだ。
苦節がなかったわけでもないが、十七年。残り一年と半年ほどで高校は卒業だ。進学をする気はないし、金を稼ぎ、社会の荒波に揉まれながら生きていくことになるのだろう。
今日は夏休みの始まりの日でもあった。二年生ともなれば、部活動の中心となって夏休みということもあって部活に励む学徒の多いことだろうが、俺はそうではない。部活動には所属していないし、同好会にも参加はしていないし、友人も特にいるわけではない。
基本的に休暇を与えられても、何をすればいいのか分からないだけである。学校がある日は、なんとなく学校に向かい、なんとなく授業を受け、終わったら帰って飯を食べてゲームをして寝ればいい。アルバイトが入っていればバイトに向かい、帰ってきてからは同じことである。
終業式が午前中に終わり、早めに帰れるとはいえ、帰ってすることはゲームぐらいなのだが、そんなに熱心にやるつもりもないし、これまで過ごしてきた生活サイクルというものがある。一日が休暇なら休暇で適当に街をふらついて時間を潰せるが、この半日で学校が終わりというのはどうも慣れなかった。
俺の住む時山市は、特筆することが何もない住みやすい街をしている。都会でもなく、田舎でもないどちらともつかないのがこの街だった。悪く言えばそうだが、良く言えばハイブリットである。栄えているほうに顔を出して時間を潰すことはよくしているし、帰る際は田舎のように静かな土地に帰ることが出来ている。
学校の裏のほうには山があるし、時山駅から何駅か進めば海にも行ける。どっちかに行ってみようか。特に理由はないが、時間潰しというやつだ。財布の中身と相談をすると、行き先は山のほうだろうと決まった。
歩いてきた帰宅路を引き返しながら学校の正門から入り、裏門……というより裏口程度の簡素な入り口を抜け、山道を登っていく。小さな看板が設置されていたが、山の名前はかすれて読めなかった。
学校の裏にある山だから、裏山で通じていたし、名前を覚えてもわざわざそっちを使う人はいないだろう。山頂に行けば拓けた所にでるだろうか。
虫の心地よい音色が聞こえるのは秋であって、今聞こえるのはセミの鳴き声ぐらいだ。ミンミンと夏を知らせてくれる音が響いている。どの辺に鳴いているセミがいるかと見てみると、アブラゼミの姿が見えた。細い木の枝に止まっているセミは迷彩柄になっていても大きさで分かる。大きい木や凸凹が多い木だとなかなか発見するのに手間が掛かり、昔はセミがいないとか親に泣きついていたこともあった気がする。
今となっては懐かしい話だ。そんなことを思いながら歩いていると、拓けたところに出ていた。教室の一室ぐらいのスペース。吹き抜ける風が心地よい。そして異彩を放つテントがひとつ。
「……ええ?」
思わず声が漏れてしまった。こんなところにテント? 都市部から追い出されたホームレス? ホームレスが山に篭っても、何が出来るのだろう。いや、登山家がここにテントを建てたとか……そんな阿呆な話はさすがにない。
恐る恐る近寄ってみるが、比較的新しいもののようで放置されているわけではないようだ。中に誰か……と思ってテントの隙間から見てみるとプラスチックケースに入った洋服、奥にはリュックサックが見えた。
……本当に誰か住んでいるのか? テントの中にはそれ以外のものは見当たらず、人が住んでいるような形跡は見られない。
「あああー! どろぼう!?」
後ろから突然の声が響き、咄嗟に振り向いた。
「ち、違いますよ。これは……」
「なにが違うの! 人の私物を漁る! これ、犯罪!」
声を発していた人物の姿をよく眺めた。……ミニスカート、俺の通う時山東高校の制服。顔は……知らないが校章の色から同じ学年なのは分かった。細い眉に、猫のようなツリ目。胸元より下まである長い黒髪をした女子生徒は憤慨しているようである。同じ学年と言うことが分かれば下手に出る必要もない。
「それは悪かった。ただ興味本位で覗いていただけだよ。何もとってはいないし、触れてもいない」
両手を広げて、何も取っていませんよ、とアピールをする。女子生徒は、俺の前をズンズンと横切ってテントの中を確認すると、
「確かに、変化はなかった。でも女子の部屋を興味本位で覗くのは良くないよ?」
俺の方を指さしながらそんなことを言った。
「……色々とツッコミしたいところが多すぎるんだが」
「なに?」
「おまえ、だれ」
さっきのカタコトな発言を真似て返答をする。
「二の三の四ノ宮舞だけど?」
そういえばこんな顔の女子が居た気がしなくもない。
「高校生がなんで野宿してるんだよ」
四ノ宮は顎に人差し指を置いて、少し考えた様子を見せてから答えた。
「夏休みだから?」
「納得できるか!」
「うるさいなあ。急に叫ばないでくれる?」
四ノ宮は耳を塞ぎながら俺を面倒くさそうに眺めていた。見れば、四ノ宮は手元にビニール袋を下げている。どこかで買い物をしてきたらしい。
「泥棒は犯罪だが、この裏山に勝手にテントを張ってキャンプ? をしている四ノ宮だって犯罪に当たるんじゃないのか?」
「公共機関が保有する土地でのキャンプは黙認されているのだよ。えーと……そっちの名前、知らない。二組に居た気はするけど」
「蓋月だよ」
「ふたづき? どういう字を書くの?」
「鍋の蓋に夜の月」
ジェスチャーで鍋と月を表現しつつ伝える。
「へえ。あ、私の四ノ宮は、篠竹の篠じゃないからね。ヨンノミヤでシノミヤだから」
「それは知ってるよ。珍しい苗字だと思って名前は知ってたからな」
「珍しいかなあ。蓋月の名前はなんなの」
「達也。普通だろ」
「うん。つまんない」
「それで、なんでキャンプなんてしてるんだ」
すっかり自己紹介のほうにシフトしまっていたのを元に戻す。
「そりゃ家出でしょ」
四ノ宮はさも当然と言わんばかりにそう答えていた。
「理由はなんだよ」
「理由なんてどうでもいいでしょ。気晴らしでも、思春期特有の葛藤からでも、好きな人にフラれたとかでもさあ」
四ノ宮はテントの中に入ると、ビニール袋を投げた。カップラーメンや、おにぎりなどの食料品が転がり出てきたのが見えた。
「……本当に野宿するつもりなんだな」
「お金ならあるからね。家に帰らなくてもなんとかなるよ。蓋月も泊まりたくなったら来ればいい。話し相手になるならスペースぐらいなら貸してあげるよ」
バンバンとテントを叩く四ノ宮。女が男をそんな理由で家に誘うなよと思いもするのだが。
「……俺も家を出たくなったら来るかもしれないな。今日は帰るけど」
誘われたなら、断りはしないでおく。
「ここで会ったのも何かの縁だし、暇があったら来てよ。明日からはここでずっと作業をしていると思うからさ」
「作業?」
「男心を揺さぶるロマン溢れるモノを制作するんだよ」
「いや、お前女だろ」
「私にとってロマンはないけど、作る意味はあるものだからね」
「意味深な台詞を残すヤツだなあ。まあ、いいや。また明日な」
「ふふっ。明日来てくれるんだ。またね!」
どこか嬉しそうにそう漏らした四ノ宮の元を去って、山道を下っていく。日は傾き始めていた。登ってきた時よりも、セミの叫びが劈くように耳に響いており、夏が険しくなるのはこれからだろうなと感じた。
翌日、クーラーの効いた居間で、テレビを見ていると昼ごろには三十度を優に上回るとニュースが告げていた。頭をよぎるのは昨日あった四ノ宮のことだった。
あの山奥で猛暑を越せるのか?
頭のなかで一抹の不安となったそれがどんどん膨らんでいくような感覚があった。
「……仕方ない」
トートバックに適当に必要なものを詰め、俺は家を出ていた。
町中を照りつける日差しは昨日の比ではなく、暑い。とにかく暑い。地球温暖化の現象とヒートアイランド現象が合わさってこの気温なのか。双方ともに人類が生み出した問題だし、解決もされていない。こういったどうしようもない感情は別の感情で満たすに限る。学校の通り道にある某コンビニエンスストアに立ち寄った。
店内は空調がこれでもかといわんばかりに効いており、寒いぐらいだ。汗を掻いていた部分がひんやりとする。真夏に願うことは、南極の一部と自分の周辺の空気を入れ替えてくれという荒唐無稽な願いだ。そうすれば暑いところも涼しくなるし、寒い所も暖かくなるし、一石二鳥じゃないかと思う。しかし、そうすると南極の氷が溶けて海面が上昇して大変なことになるのか、と小学生の頃ならその前で終わっていた考えが成長して得た知識によって淘汰されていく。
クーラーボックスの前で、四ノ宮のところに持っていくアイスをどれにしようか考えるだけにしておこう。暑い夏に、頭を暑くさせるのも辛くなっていたのだった。
昨日と同じように学校から入るのも、部活動をしている生徒の視線が痛い。学生服ならまだしも私服かつ片手にはコンビニの袋を携えているのだ。炎天下の中、外を走っている野球部の奴らが呪詛を唱えないほうがおかしいものだ。校舎内を通らないように裏山へと続く細道を通って行く。学校近くでの散歩コースでもあり、野球部のランニングコースでもある道だ。野球部の声が校内から聞こえてくるから鉢合わせすることはないだろうが、アイスが溶けてしまうといけないので小走りで駆けていく。
たまに体を動かすのも良いことなのは理解できるが、この暑さでは動かないほうが体に良いのではないかと天を見て思う。にっくき太陽がサンサンと輝いている。
「本当に暑いな……」
「あいたっ」
「ん?」
声のしたほうを見ると、四ノ宮が立っていた。鼻っ面を抑えて。たぶん上を見ていたらぶつかったのだろう。
「大丈夫か、四ノ宮」
「痛い……なんでぼけっとして歩いてるならまだしも走ってんのよ」
そうボヤく四ノ宮を直視して、少しドキリとした。柑子色のショートパンツに薄手の桃色のシャツ、髪を後ろで結った姿が昨日の姿よりも一層綺麗に思えてしまった。
「あー……悪い悪い。どこかに行く予定だったのか」
「うん。コンビニにアイスとかを買いに行くのと、暑すぎたから雑誌を立ち読みして涼もうとでもね」
考えることは同じだったようだ。それなら、と一言入れてからビニール袋からアイスを取り出した。
「え? 買ってきれくれたの?」
「かなりの猛暑ってニュースでも言ってたからな」
「ありがとー。どっちか選んでもいいの?」
適当に選んだものが苦手なものだったら嫌なので、二つ買って置いたのだ。ソーダバーとパウチ容器入りのラクトアイスの二つをチョイスしていた。
「いいよ。余った方は俺が食べるから」
四ノ宮は、どっちにしようかなーと声に出しながらアイスとにらめっこをしている。
「んー。どっちも魅力的だし、蓋月が選んでよ」
「それじゃ、こっちのソーダバーを貰おう」
ラクトアイスのほうは四ノ宮に渡した。
「んー! 生き返る!」
砂漠を練り歩く中、オアシスを見つけたかのような過度のリアクションで喜んでいた。俺も袋からソーダバーを取り出して頬張るが、スポンジが水を吸うように体へと吸収されていくのが分かる。目の前の奴が喜ぶのも頷けた。
「それで、今からどうすんだ」
「んー来てもらって悪いんだけど、買うものがあるから下っていいかな」
「いいけど、何買うんだ?」
「花火だよ。あと鍋。それと、安い時計とか、針金とかね」
「何に使うんだソレ。純粋に花火を楽しもうってわけじゃなさそうだけど」
「まあまあ、ロマン溢れるものだって言ったじゃん? 買い物が終わったら話すし、話さなくても分かると思うよ」
「……まあ別にいいけどな。暇だし」
「それじゃ、暑い中冒険と行きましょうか!」
パウチ容器入りのアイスを口に加えながら、ぐーっと伸びをすると四ノ宮は先陣を切るように歩き出していた。
コンビニで花火を買うところから始まり、ホームセンターをめぐり四ノ宮がさっき述べたものを購入し、また別のコンビニで花火購入していた。
花火を四ノ宮が両手で持ち、圧力鍋などの備品? を俺が持ちながら裏山へと登ることになった。道中、どれだけ買うんだよと聞いても、いいからいいからとしか言われないので問いただすのは諦めたし、なにより荷物が重い。街中を歩いて回ったため、すでに夕暮れになってきている。昼飯はコンビニのおにぎりで済ませたし、大分疲れが出てきて口数も減ってきていた。
それは四ノ宮も同じなようで、猫のような目が死んだ魚のような目をしている。鏡をのぞけば同じ目がそこにもあることだろう。運動部の奴らは毎日こんなことをしているのかと感心せざるを得なかった。そして、そりゃ体力と筋力もつくわけだと納得した。
楽をしようと部活に所属せず、適当に時間を潰し、帰ったら暇つぶしにゲームをこなすだけの生活とは全く違うのだ。それこそ生きている世界が違うと思うほどに。
俺にとっての日常は彼らにとっては、極稀に訪れる休暇であって、非日常なのかもしれないな、と思った。そう考えると、今こうして四ノ宮と行動している俺はどうなのだろう?
日常に定着するための一歩なのか、非日常の入り口なのか。俺にはまだ分からなかった。
「ようやく着いた……」
テントに到達した四ノ宮は倒れこむようにして横になっていた。俺もそうしたいのは山々だったが、さすがにやめておく。
「まさかこんなに買い込むとは思ってなかったぞ……何に使うのか分からないものもあるし」
袋の中に入っている電球やら、ここで使えるとは到底思えないものを横目で見ながら答える。四ノ宮は寝たまま面倒くさそうに、あくびを漏らすと俺の方を向いた。
「夜だけど、まだ付き合える? ご飯食べに行こうと思うんだけど」
「ああ、いいよ。暇だからな」
「それって口癖なの? まあ、いいや。ついでに銭湯にも行くけどどうする? お金ならあげるよ」
「銭湯か。最後に行ったのはいつだったか覚えてないな。金を借りるのは悪い気がするからいい」
四ノ宮はそう、と短く頷くと着替えやらを出すから外にでろと俺をテントから叩き出した。準備をしている間、手持ち無沙汰で薄暗くなっていく街を見下ろしていた。
俺が住んでいるのはあの辺りか、と眺めてみる。街の光は人の光だ。そこまで大きな街ではない時山市でも、広大な光の海が広がっている。最近のコンビニは年中無休の二十四時間営業がほとんどだ。閉店にでもならない限り、あの光が永遠に続くと考えるとなんだか壮大なものに思えてくる。
永遠に変わらない光が、自分と同じように思えてくることが多々あった。しかし、それは身勝手な思い違いでしかないとも成長していく上で知らされた。年を取り、死んでいくのが生物なのだ。変わらないでいることは叶わない。出来るのは、変わらないであるように努めることだけだ。
テントから四ノ宮が出てきたところで、考えるのを止めた。薄闇の中、裏山を下っていく。
「どこかで食べるとか決めているのか」
「んー。決めてないね。オススメとかある?」
「そうだな……外食はそこまでしないからなあ。食いたいもんとかないの?」
「そうだなあ。ラーメンとかちゃんとしたお店の食べたことないから食べてみたいかも」
「ああ、一応女子だもんな。ラーメン屋は一人では入りづらそうだしな。美味い店は知ってるから案内するよ」
「やったー。あと、一応って何よ」
「俺は男女で対応を変えるのはほどほどにしたいから、気にしないようにしているんだよ。相手が誰であろうと」
年上やら年下やらの一般的な階級には倣う時もあるが、基本としているのは人間に対して差別をしないことだ。基本的に対応は変えない。だからこそ……周りに人がいなくなるのだろう。しかし、これを崩す気にはなれなかった。
「へー。なんていうか珍しいかも。そういうの。昔から女の子なんだから~とかよく言われてきたからね、私は」
「四ノ宮の家って裕福そうだな」
あまり話題にするべきことではない気もするが、気になっていたので聞くことにする。今回買ったものも普通の学生が買うものじゃないし、なによりその金額は学生の小遣いでどうにかなるものではなかった。クレジットカードも使用していたのを見ていたし、今日の服装だって俺が着こなしているものとは作りが違うように見える。
「あー。まあ、そうだね。隠しきれることじゃないし、そうだと思う」
「ちなみに俺は裕福ではない。恵まれているけどな」
俺が暮らしていけているのは、運がいいことも理由の一つだろう。
「蓋月の家ってどういう家庭なの?」
意味深なことを答えれば突っ込みが入るのは当然だが、この質問はいつになっても慣れるものではなかった。
「俺は一人暮らしだ。親戚の家が仕送りをしてくれている。血の繋がった家族はいない。事故で亡くなった」
記憶にあるのは写真の中の両親の顔だけだった。それでも、自分はこの人たちのこどもであることは理解できた。理由もなく、納得できたのだ。第六感などという大それたものではなく、分かるときはすっと分かるのだ。
「そうなんだ。聞かないほうがよかった?」
「いや、気にしないでいいよ。親戚のおじさん達は援助してくれるし、好きなようにさせてもらっているからな。一人暮らしをするのは、おじさんの意向だったけど、俺としても満足しているよ」
「この街には一人でやってきたの?」
「そうだよ。最初は戸惑ったな。家事やらなんやらわからないことだらけだった。失敗もたくさんした」
包丁で指を切り、ガスコンロで火事を起こしかけ、しわだらけの洗濯物をそのまま畳んだり、いつの間にか出来る赤かびの対処に困ったりしたものだった。
血がドクドクと溢れる指先、鳴り響く火災報知機の音、ヨレヨレになったシャツ、風呂場にこびりつく赤い線、全てを思い出しながら続ける。
「それでも、自分で調べればなんとかなったよ。今は」
「不安とか、そういうのなかったの?」
「あったよ。おじさんは気にかけてくれたけど、自立のためにもお金以外のことは自分でなんとかするってことだったし、何もしていなかったからこそ学ぶことが多かった。新しいことに挑戦しないと生きていけない状態になると、嫌でも覚えるし考えも変わるし、視野も広がる。四ノ宮だって家出をしたのが初めてなら、何か学ぶことがあるかもしれないな」
「家出をしたのは初めてだよ。凄いね、蓋月は。私が悩んでたことがなんかバカらしいっていうか、なにしてんだろって思えてきたよ」
こいつもこいつなりに何かがあったのは察しが付いていた。
「話がしたいなら聞くぞ。話し相手になるって約束だったしな」
「ははは、そういえば最初にそんなこといったね」
そう言ったことすら忘れていたのか、四ノ宮は柔らかい笑みを浮かべていた。
「そうだぞ。テントに住もうとする変人が面白くないわけはないからな」
「ありがと。ま、心機一転して話してあげようじゃないか。ロマンがない話をね。ただし、ラーメンを頂いてからね」
「わかったわかった。それじゃあ、それまでは取り留めのない話でもしていこう」
俺たちは街明かりのするほうへ、ゆっくりと歩いて行った。
紹介したラーメン屋は、あっさりとした鳥出汁を使う店で、塩ラーメンが売りの店舗だった。それを四ノ宮は大層気に入ったようで、また行こうと言ってくれたのでこちらとしても嬉しいものである。
食べたばかりで銭湯に行ってもと思うし、どこかいい場所はないかと歩いていたら公園が見つかったので、そこで話を聞くことにした。住宅街の中にある公園で、風通しはあまり良くなかったが、昼よりは涼しくなってきていた。
四ノ宮がブランコに座ったので、俺も横のブランコに座ることにした。子供の時は気にしなかったが、こうやって座ると膝が高くなって窮屈だった。成長してきた証なのだろうが、感慨深くもあった。膝を伸ばしつつ、四ノ宮に話しかける。
「それじゃ話してもらおうか」
「うーん。そんな大それたことでもないんだけどね。私の家はさ、お母さんがいないんだよね。私が五歳ぐらいの時だったかな。病気でね。蓋月に比べれば、お父さんがいるしお父さんの稼ぎは子供の私から見ても良い方だったと思う。お母さんが亡くなってからは、親戚の伯母さんの助けもあって生活してたけど、それも流石にね。しばらくしたら家政婦さんを雇うようになって、私はお父さんが帰ってくるまで家政婦さんと過ごす生活をずっと続けてるようになった」
話を聞きながら、幼少期の四ノ宮の様子を思い浮かべていた。まだ子供の頃だ。急に変化した環境に適応が出来るとは思えない。俺が高校になって一人暮らしをする時の環境の変化ですら一苦労したのだ。
「それでね。最初はやっぱり嫌だったの。お母さんじゃない人が、私の家にいて、私の世話をして、家族みたいになっていくのが。私の家族を別の人が食べていくような、お母さんはどこに行っちゃたのみたいな思いがね。お母さんは何も答えられないし、天国でどんな風に考えているのかも分からない。きっと、こう思っているんだよってお父さんにはよく言われたし、家政婦さんもよく言い聞かせてくれた。でもそれは、お母さんの言葉を借りた、『お母さん』っていうもういない人を使った生きてる人のエゴでしかないよ。
お母さんはお母さんで、記憶の中にしかいない人なの。それなのにね、お父さんが再婚するって。家政婦さんと。ドラマとか、漫画とかの中だけの話だと思ってたよ。でも違ったみたい。それぐらいだけだったら、まだ良かったのかな。私に打ち明けた二人が使う、お母さんも幸せになるのを望んでくれていると思うんだ、ってセリフがどうしても許せなかった。そんなの誰にだってわかんないことなんだよ。他人の心なんて、分かるわけないじゃん。私の心だって分かってないのに、どうして亡くなったお母さんの心が分かるの?
そう思って、ちょっと時間を頂戴って言って飛び出して来ちゃった。自分でも馬鹿みたいだなって思うことがもうひとつあるんだけどね」
四ノ宮は夜の空の煌々と眺める月を眺めながら、続ける。
「なんかね。そんなに亡くなった人の気持ちが分かるなら私が死んだらどうなるんだろうって思えてきたの。睡眠薬とか、そんなの用意できないし、首吊りとか嫌だし、何がいいかなって考えて。この時点でちょっと頭のネジが外れてたのかな?
自分の好きなアーティストの曲で、爆弾ってフレーズがあって、それに倣って作ってみようって思ったんだ。爆弾を。山中に穴をほって、そこで爆破すれば誰にも被害が出ないし、一瞬で終わるかなって。インターネットって便利だよ。爆弾の作り方なんて簡単に見つかるんだ。それで、作ろうとして材料まで買ってもらったけど、それも馬鹿らしくなっちゃった。今までの過程はそんな感じ。どう思った?」
四ノ宮は、顔を下に向けたまま話し切っていた。死のうとしていた人間を目の当たりにして、俺はどう答えていいものか考えあぐねていた。励ましも、同情も、四ノ宮のためになるのか分からない。沈黙を急かすかのように、ビル風がごおっと音を立てながら過ぎていく。
悩んだが、ありのままに話すことにしよう。取り繕った言葉はその場しのぎにしかならない。言霊が建前に宿ることはないだろう。
「まず、最初に言うことは死ななくて良かったってことだな。それで、俺は四ノ宮に対して同情も励ましもするつもりはなく、思ったことを言うだけってことを念頭に置いてから聞いてくれ。
四ノ宮はそれを俺に話すんじゃなくて、父親と家政婦さんに話さないとならないことだ。四ノ宮が男友達だったらケツ叩いて向かわせてるだろうな。考えて行動した結果が、自分から見てもよくわからないって経験は俺にもある。それを他人に咎められず自分で踏みとどまった四ノ宮はまだ引き返せるし、日常を壊すことにもなっていないと思う。実際に俺にこうやって話してくれて、自分以外の考えにも耳を傾けることが出来てるんだ。
今からやらないとならないことはさっきも言った通り、向き合うことだ。四ノ宮は理解してくれないと言ったけど、それも当然だ。人は誰もが嫌な人間になろうとして生きているわけじゃない。自分が理解できない行動でも、他人にとっては意味のあることかもしれない。
それを確かめるには他人に聞かないとならない、話さないと分からないままなんだ。
問題があったなら、その問題と敵対するほうに意識を向けることを心付けるといい。自分を壊すぐらいなら、その問題を壊してからにするんだ」
ここまで語ると一息を入れて、四ノ宮のほうを向いた。
「そうすれば、自分を壊す気力なんて大抵残ってないもんだって」
できるだけ明るく、そう締めくくる。俺の言葉は正しいのか、正しくないのかは分からないけれど、間違ってはいないと思う。正しくあるべきだって思うよりは、間違えないでいるほうが簡単だと気付いたのは俺の人生訓だ。
不意に四ノ宮は立ち上がっていた。その背中に俺は声をかける。
「どうするか決まったのか?」
「勿論。これでもかって後押しされたからね?」
振り返った四ノ宮はこれまで見てきた中で、最上の微笑みを俺に向けていた。
『もう少しだけ続くお話』
四ノ宮が自宅へと帰っている間、俺は四ノ宮の家の近くのコンビニで雑誌を読んでいた。読んでいる内容が頭に入って来ているわけではないが、また帰ってくるから待ってて、と待たされているのだ。何かしらの体裁を保たなければ居づらいので仕方ないのである。
店員の目が面倒くさそうな客を見る目に変わった頃、四ノ宮はようやく現れた。
「……ごめん、遅くなった」
店内ということもあって小声で謝られた。走ってきたのか息が荒れているし、ぜえぜえと息が漏れている。
「先に外行っててくれ。何か買ってから出るから」
「ん。わかった」
四ノ宮が店外に出て行く中、適当なジュースを二本手に取りレジへと持っていく。店員の男は俺が立ち読みをしている時より、さらに面倒くさそうに会計をしてくれた。
外で待つ四ノ宮の表情は、柔らかい。きっとこれまでの鬱憤から解放されたのだと思う。俺はこいつの力になれたかどうかは分からないが、結果が良いものになったならこれでよかったのだ。
「おまたせ。どっちがいい?」
朝にアイスを渡した時のように、どっちがいいかを問いかける。
「どっちも魅力的だから蓋月が選んでよ?」
自分の言った言葉を思い出しながら答えたのがありありと伝わってくる声だった。
「たまには自分で選べよ。せっかく美味そうなのを見繕って来たんだぞ」
「だからこそ、どっちも良さそうって言ってるじゃん」
「優柔不断は男も女も面倒くさいんだよ。決める時は決めるようになれって」
「蓋月先生は、説教が多いですねえ」
そんなことを言いながら俺が用意したジュースの片方を手に取っていく。
「軽口が言えるようになれば充分だな。それで、要件はなんなんだ」
「ん? 分からない?」
上目遣いで見つめてくる瞳が俺の顔を透かしていくように思えたが、検討がつかず悩んでいると、四ノ宮はジェスチャーをしだした。
「こうして」
拳銃を打つかのような手の形から、人差し指を引く。
「こう」
その後に右手をぐるんと一回転させる。
「全く分からん」
「ええ? なんで? カチってしてシュババーって感じの」
「拳銃を撃ってる変身ヒーローにしか見えんぞ。しかも拳銃を使うんだから相当に切羽詰まっている状況と見受けられる。さすがにそんな状態で助けることは出来んぞ俺は」
「違うよ。本当に分からなかったの? 花火だよ、花火。買ったまま放置してあるじゃん。使っちゃわないと勿体無いよ」
そんなことを言う四ノ宮の手にはいつのまにか、チャッカマンが握られていた。拳銃に見えていたのはこれだったのか。
「それもそうだな。でも、どこでやるんだ? 公園なんかは禁止だったはずだろ? それに裏山だって危険だ」
「広くて燃え移りそうにない場所ならすぐ近くにあるじゃない?」
ああ、さすがにこれにはピンと来た。
「それも見つかった罰則があるだろうに……まあ、面白そうだからいいけどな」
「それじゃあ、決まりっ!」
俺は裏山のほうに向かって、トテトテと歩き出す四ノ宮の後をゆっくりと追っていった。
夜の学校はどこか不気味だ。何かしら出そうな雰囲気を醸し出している。しかし、それは校舎の話であって、吹き放しのグラウンドには関係がなかった。水道も常備されているし、おまけにバケツまで転がっている。
風が強くなさそうなところということで、野球場のバックネット付近で行うことになった。後でちゃんと掃除をしないとならない。許してくれ野球部。神聖な野球場が花火の開催場所になるとは想像もしていないことだろう。何も知らないまま眠って明日の練習に備えてくれ。
心の中で名前も知らない野球部の連中に謝りながら、着々と準備を進めていく四ノ宮を眺めていた。
「ほら、蓋月も少しは手伝ってよ」
そういう四ノ宮は花火を手に持ちながら、どれにしようかと悩んでいるようにしか見えない。
「水でも汲んでくればいいのか」
「よく分かったね。水道のところまで遠いからさ。男子の力を借りたほうが得策ってものでしょ?」
「まあ、そうだな」
バケツの水一杯ぐらいなら良い筋トレになる程度だと思うが、口には出さないまま中庭のほうに歩いて行く。中庭には花壇があり、ホースで水をやるための水道が設置されている。その水道の横にはだいぶ古びてはいるが、使う分には支障のないポリバケツが置かれていた。
水を八割ほど入れると、片手に掴みながら歩いて行く。バケツ自体は大した重さではないのだが、水をこぼさないように進んでいくとなると意外と難しい。小学校の時は遠心力で水がこぼれないのを良いことに、ぐるんぐるんと回転しながら運んでいる奴もいたことをふと思い出した。最後には目を回してしまいバケツを手放して大惨事になっていたような。重さが緩和される分、楽に運べるように思うかもしれないが、それに伴うリスクを知っている大人と子供とはやはり違うのだなとどこか悟ったような感傷に浸りそうになっていた。
戻ってくると四ノ宮は何本かの花火を取り出していて、火の灯った蝋燭が地面に置かれていた。水が到着するのを待っていたらしい。
「待たせたな」
「ありがと! 最初はやっぱり手持ち花火からだよね」
「そうか? 線香花火からやりだすやつも、蛇花火をやるやつもいたぞ」
「私の周りだと手持ちばかりだったなあ。ま、今回は私のほうに合わせるってことで!」
そう言いながら、四ノ宮はススキ花火に日をつけるが、先端のヒラヒラを取らずに点火していた。
シューっと音を立てながら、蛍光色を放つ花火が夜のグラウンドの上で輝き出す。最初は緑だったものが青に変わっていく。
俺はススキ花火の先端の紙を千切ってから火をつけた。何気なく花火の裏側を眺めていたら、こうするのが正しい方法だと知ったのだ。
俺の花火は四ノ宮が持っていたものよりも長く、七色の虹のように光り輝くものだった。
「綺麗だねえ……」
四ノ宮はどこかセンチメンタルそうに呟いていた。
「爆弾の元にするなんて勿体無いって思えてくるんじゃないか」
「そうだね。過ぎ去ってみれば、なにしようとしてたんだろって思いのほうが強いよ。でも、あの時はいっぱいいっぱいだったとも思う」
そう答えながら四ノ宮は、噴出花火を地面に置いて火をつけた。星の粒のような花火が続々と筒から飛び出してくるのを俺達はじっと眺めていた。
「……四ノ宮は優秀だな。それだけ冷静に見つめ治すことができてるなら、これからだってなんともないだろ。たぶんな」
「さあ? また頼るかもしれないし、逆に凄く成長して蓋月の悩みを解決するカウンセラーになっちゃうかもね?」
「ははは、それは頼もしいな」
消え行く花火を見つめながら思う。一瞬の煌きがどれだけ美しいことか。そして、これが人を破壊しかねない爆弾になっていたとしたら。それも一瞬のことだ。見るに耐えない無残な傷跡を残すことだろう。
人間はみな、日常的に何かを壊して生きている。その中できっと、一種の非日常さを求めているし、理不尽に巻き込まれることもあるだろう。
うまく生きていく上で必要なことは、自分にとって邪魔なものを破壊していくことなのだ。それは現実世界に限ったことではなく、自分の内側にも存在する。
自分を壊そうとした人間を救えたと、自惚れることはしない。それでも目の前にある四ノ宮が笑顔ではやいでいる、この光景は疑いようのない現実だった。
「ロケット花火はさすがにやめといたほうがいいかな?」
「通報される覚悟あるならやればいいんじゃないか」
「止めようとしないの!? やっぱり蓋月ってどこかズレてるよね?」
「否定も肯定もしないぞ、それは。普通でもあって異常でもあるのが人間らしいってもんだろう」
「そういう言葉のチョイスとかがってことだよ。ま、死のうとした手前なにも怖くない! ロケット花火もやっていこう!」
それを区切りにして、四ノ宮は次々とロケット花火を打ち上げていった。裏山から木霊する花火の音がグラウンドにも響いていく。花火の残骸がグラウンドのどこに落ちたか覚えておかないとなあと思いながら、四ノ宮のほうを眺めた。
隣にいる四ノ宮は俺のそんな思いに気づくこともなく、ロケット花火を満喫しているようだった。上がり下がりの激しいやつだなあと思いつつも、俺もこの光景を楽しんでいた。楽しい日常が続くその時まで生活を享受していこう。
日常と非日常の双方を生きるこの世の全ての人間に、俺は心のなかでそう宣言していた。