第四話
三年の夏になって変わったことと言えば、モムマートにクラスメイトのこれまた変態が来るようになったことだ。元野球部で、夏の大会で引退してから暇になったとかで。
変態、その、原嶋 雄一はモムマートで余裕綽々、レジのまん前の本売り場で成年誌を立ち読みしている。
迷惑なのは裕子さんと話をしているときに、積極的にその成年誌の内容がああだとかこうだとか言ってきて、やかましいことだ。
それで、「死ねよ。」「くたばれ。」「ド変態。」「近寄るな不審者。」などと、あまりの不愉快さに悪罵を投げつけていたら、参るどころか雄一は擦り寄ってきた。
そのやり取りを見て、まるで漫才でも見ているように裕子さんまで喜びだした。なぜか回りには変態ばっかりだ。
それで、いつのまにやら悪友として家に上がりこんで人の飯を勝手に食ってはばからないようになりやがった。
なんせ、休日に目を覚ましたら家の中にごそごそ不審な音がする。まどろみなんか吹きとんで居間に駆け込んだら、前の日にモムマートでもらった弁当をすべて平らげていたりする。兵糧攻めか?ふざけてる。
雄一は細身で長身だ。顔はえらが張っている。第一印象は魚のハゼ。
調子が良くて、モノマネが巧い。歌が上手い。
ふざけたヤツだけど、将来俳優になると言う明確な夢があるらしくて、その話になると二時間は確定で捕まった。アホだと思うけど、こいつの凄いとこは、俳優になると言うことがどれくらい狭き門なのかを知ってるくせに、まるで当たり前のように声高に夢をかたることだ。いつも、俺が希望すればマックでバイトすることが出来る、と言うくらいの口調だ。
嫌っていたのは、大学にいけば良いところに入社できるんじゃないのか?なんていう曖昧な考え方だ。
つまり、子供のように描いた一つの夢を追うことを信じきっている。学生として学ぶべき、考えるべき時間を過ごすことに無頓着な人間は大嫌いなのだとか。
「それをいうなら、夢すら持ってねえ俺は最も嫌いなジャンルの人間だろう。こいつめ。」
と言ったら、
「なんてゆーか、お前は全部自分でやってもう社会人と同じじゃんか。自立してる。お前が後はもう少し柔軟になればそこらの偉人よりよっぽど尊敬する。」
なんて、子犬みたいな、下から見上げる子供のような真っ直ぐな目で言われた。
「……キモイな。なんだそれ。俺のはそんなんじゃねーよ。」
ざわざわと、固まっている俺がふやける様な嫌な感覚。認めるわけにはいかなかった。
不愉快じゃないけれど、不安な感覚。
雄一は臭いことを平然と言う。正直、それによって自分に酔っている様に感じるときがある。
ただ、俺が、こいつがいることを認めるのは、こいつは殻を持ってないくせに、芯を持っているからだ。
俺が排他と拒絶と否定と意地で出来た殻で自分を守っているのに対して、こいつはまったく無防備に、柳のように柔軟でいるくせに、その癖、人と人の間を埋めるだけのパーツじゃない。
雄一は、オリジナルだった。
人気者で、馬鹿で、なぜか壊滅的にもてなくて、アホだ。
学校で屯している連中も、夜中に下品に騒ぎ立てている中坊にも、ブランドを誇る子供な大人にも感じなかった感情だが、俺は唯一こいつを尊敬していた。それと、何故かそう思うけれど、雄一もまた俺に対して何かしら敬意を払っているようだった。
高校生の分際で、地元の癖に一人暮らしをしている俺に向けられる様々な色の視線の中で――俺は一際そういうマイナスの視線に敏感になっていたわけだけど――裕子さんと雄一には、一切そういうものがなかった。
特に雄一に関しては、学校でもしょっちゅう俺に絡んでくるようになった。
ただ何故か俺はそれに比例して、雄一を尊敬するのと同じくらい嫉妬して、怖かった。
雄一はその人懐っこさで誰でも仲良くなれた。
だから余計な面倒ごとにも巻き込まれるのだった。その都度、面倒ごとになるのがなぜだか分からないという顔をしている雄一に一から十五ぐらいまで懇切丁寧に噛み砕いて教えるっていうことが何度も何度もあった。
それをこれこれこういうわけでお前が悪いとか、相手が悪いとか教え込んで、雄一が悪いんならどうやって謝ればいいのかとか。相手がどうしようもないなら付き合いを考えたらどうだとか。
まったく、人事になったら何でこんなに冷静に分析できるのか。てか、俺にそんなことを聞くな、とか思った。俺、お前から見たって友達少ないの丸分かりだろアホ、と。いつも思った。
そんなこんなで、冬を越して春が来た。卒業だ。
それが何の変哲もないものだ、と言えるくらい自然に、雄一やら裕子さんが家に遊びに来た。そんな日々が終わり、まるでアルバイトと日々の暮らしと、それと高三の夏からの数ヶ月だけがすべての学生生活は終わった。涙が出ないどころか、感慨は微塵も湧かなかった。
式でボロボロ泣いていた雄一は俳優の何とかと言う養成学校に合格したらしい。もともと落ち着くなんて言葉が辞書に書いていないほど、サーカスの道化じみたテンションのやつだったけど、このときばかりは危なかった。
まったく参加する気なんてなかったのに、とりあえず無理やり引っ張られたまま卒業記念のクラス打ち上げに参加。
忌々しく、遺伝で酒に強い俺は周りでの乱痴気騒ぎにイラつきながら、もくもくと飯を食って、ちびちびと酒を飲んでいた。タダってことになってるから、いっとかなきゃ損だ。
雄一は引っ張りだこで、いろんなところで浴びるように酒を飲まされてすぐに千鳥足というか這いずるような有様になっていた。
しばらくして、あたり中にギブアップを異常に連呼しながら雄一が隣に倒れこんだ。
「吐くなよ、変態。」
「まだ大丈夫だ。治、二次会行くぞ。」
「はぁ?即刻かえって寝ろよ。アル中で死ぬぞ。」
夢でも見てるみたいに、寝転がったまま雄一は空に手をひらつかせた。目の前に金魚でも泳いでるみたいに。
「二次会はお前んちだ。」
「はぁ?」
「もう騒ぐつもりはないって。少し、締めはお前と静かに飲む。お前楽しんでねぇじゃんかさ。」
「酔っ払いが騒ぐの見ると嫌な事思い出すんだよ。」
「まあ、もう少しだけ我慢してくれって。」
それで済し崩し的にうちに上がりこんだ雄一は勝手知ったるなんとやら、台所から焼酎を持ってきて、持参のサイダーで割ってすぐさまチューダーを作った。馬鹿みたいな勢いでグラスの半分あおって、背中を伸ばして顔色を変える。
「治さ、これからどうするんだ?どっか就職するのか?」
「さぁ。俺もわかんねえ。」
俺の返事に頓狂な声を出して、雄一は残りをあけた。まじめに返事を返さないとお預けだぞ、とばかりに俺の前にあるグラスをひったくる。だいぶ、こぼれた。
「俺、親友って言葉嫌いなんだ。」
ため息混じりにティッシュでテーブルを拭く俺に、雄一は低い声を浴びせてきた。
「他人から友達になる。その先、友達と親友の線引きをするなんて失礼だと思う。女友達と恋人の線引きは分かる。男友達と女友達の線引きもしかたない。けど、親友って区切りを作ったら、じゃあ友達って他人じゃないかってさ。」
「考え、極端すぎだろ……それに何が言いたいのかわかんねえよ。」
「嘘つくな。お前は真剣な話になると急に自分を蔑ろにする。……俺はな、治。お前のことを親友だと思ってる。」
「…酔いすぎだ。」
「ああ、酔ってるよ。でもな、何を言ってるか分かる程度には平静だ。それで、普段いえないことを酒の勢いで言ってんのも、分かってるさ。」
ひったくったままの俺の分のチューダーを半分一気飲みする。
「前も言ったけど、お前は視野が狭いんだよ。こうと決めたら一直線だ。もっと柔軟に考えたらどうなんだ?そんなに自分をいじめなくたっていいだろ?おい、こっち見ろ。」
テーブルを拭いてた俺に、言う。
「心配なんさ。お前、ひとりの時はいつも追い込まれたような顔してるしさ。」
じわりと、何かが染み出す気がした。
あんまりにも、その慣れない感覚が忌々しかったから、乱暴に雄一からチューダーを取り返して残りを一気飲みした。
甘ったるくて、安物の焼酎の鼻につくアルコール臭が、胃の中でぐるぐる回った。
「俺も、酔ってるだけだからな……クソつまんねえ話をすっけど……今だって、隕石降って来て死ねねぇかなぁとか思うし、明日どっかの誰かが偶然このアパートに放火して、酔って起きない俺を焼き殺さねぇかなと思うんだよ。……俺が生きてんのはただ、俺や家族を追い込んだクソ親父に負けたくねえっていうだけのつまんねえ意地だ。アイツ、俺がガキのころから出て行けとかぬかしてやがって、出て行けねえ俺に、意気地なしっつって罵ってきやがった。勇気がねえってさ。」
ははは、なんて自嘲的に笑いがこぼれた。もう、言葉は止まらなかった。
「警察の癖にって、虐待に耐えられなくなったガキの頃あいつに言ったら、首締めて殺されそうになってな。まあ、お袋のおかげで今もこうして生きてんだけど。アイツ、無趣味で、家に帰ってきたらただ酒飲んで、仕事で溜まったストレスは全部俺たちに向いてた。アイツに残ってんのって、警察で働いてるって事だけみたいでさ。俺がガキのころ友達と遊ぶ約束を電話でしたら、電話口で馬鹿と付き合うなとか怒鳴り散らしたり、受話器ひったくったりな。俺も、おかげでガキのころから友達もいねえし、無趣味になってったよ。まわりじゃ、なんてったっけか、ミニモーターカーのパーツ組み替えるやつとか、ハイパーヨーヨーとかカードゲームが流行ってたけど、そんなん買ってもらったこともねえし。みんなと同じものもってないと、仲間に入れないんだよな。今思うと子供ってな残酷だ。」
黙って、雄一はこっちを見ていた。無駄に、馬鹿みたいに真剣な顔して。
「クソ、話がまとまんねえや。とにかく、自殺したら負けた気がして。でも、無趣味で、友達もいなくて、あとは無駄に遺伝であいつに似てるって思う自分が大嫌いでさ。意地で、負けらんねえって高校も卒業したけど、じゃあその高校って縛りが無くなった俺に何があるんだって、何がしてえんだって考えたらカラッポでよ。大学やら専門に行く余裕なんざねえし、お前みたいに夢なんてねえから行こうとも思わねえし。でも、じゃあ就職したらと思うけど、それもピンと来ない。同じだ。あのクソ親父とまったく同じ。大ッ嫌いなんだよ、俺は、俺を。だからきっと、このままいつの間にか自分でも気付かないうちに消えちまいたい、それが夢なんだよ。俺は擦り切れたみたいな、ちっぽけな意地で生きてんだ。多分生きるために生きる機械みてえに。でも、考えても考えてもさ、生きてる理由なんてわかんねえし、……辛い。」
「ムカツク。」
「あぁ?」
「ムカツクっていったんさ。お前が、どれくらいそれに悩まされてきたのか、聞いたって俺にゃ分かんないっつーの。なんてフォローしたらいいかも分からんしさ。ただ、お前がグジグジぐずぐずしてんのはムカツク。」
「ッ!テメエに何がわかんだってンだよ!」
「だからわかんねえってんだろ。」
真夜中、一つの怒鳴り声。一つの突き放すような冷めた声。勢い良く倒れたグラスに、罅が入った。甲高い音がした。
「わかんねえけどよ。お前、俺や裕子さんとつるんでる時、死にたいなんて面したことねえだろ。お前笑ってたじゃねえかよ。」
雄一は、乗り出していた俺の胸をとんと突いた。
「甘ったれんな。都合の良い時だけいじけてんなよ。お前が先を見れねえのはまだ仕方ないかもしれないけどな、でも人のせいにして死にたいなんて弱音吐くな。自分でやりたいことのために立つのも、自分の足で一箇所に何とか立ち続けんのも、どっちも自立だろが。……つらいのなんか当たり前だろ!」
最後だけ熱がこもった声を出し、俺を突き放して、雄一は台所に駆け込んだ。グラス一杯に注いだ水を一気飲みして口を拭う。
「……もう帰る。」
「……そうかよ。」
壁に肩を擦り付けながら、雄一は玄関で振り向いた。
「さっきの話の線引きな、きっと腹の底のどろどろした所をぶちまけられるかどうかだと思うんさ。アホ、死にたくなる前に、もっと早く言えや。うぜえよばぁか。……あぁ、すっきりした。」
ばたん、と。玄関のドアが閉まった。ゆっくり、雄一が金属製の外階段を下っていく一歩一歩の音が、アスファルトの硬い音が、真夜中に響いてく。
「畜生……そんなこと…」
ぶちまけて聞いた自分の声の情けなさ。
ずっと前から考え続けて、とうに分かっているやるせなさ。
それでも折り合いをつけられない自分の不甲斐無さ。
負の感情が混然と混じりあい、涙が出た。
「畜生………。」
ドアが閉まった音が耳鳴りになって、いつまでも余韻を残していた。




