第三話
高校二年になって、一際クソ親父が暴れた日があった。放射冷却の寒い日だった。鬼殺しって日本酒を散々飲んで悪酔いした親父が、お袋の髪を引っ張ってまわして、殴っていた。
悲鳴にすぐさま部屋から飛び出して一階に駆け下りた。その光景を見て、思わず、親父に飛び掛っていた。
足を踏みつぶして、横薙ぎに殴り倒したら簡単に親父はすっころんだ。壁に頭を強くぶつけ、呻き、血を流していた。
振り返ってお袋を逃がそうとした瞬間、顔を横からぶん殴られた。勢いあまってぶっ倒れて、振り返ったら部屋の隅に立てかけてあった釣竿を親父は握り締めてた。
昔とった杵柄だかなんだか、親父は剣道で全国区の腕を持っていた。それで滅多やたらに俺を殴り伏せ、出て行け、二度と戻ってくるなと言ってきた。
ああ、そうかい。つぶやいた。
ぎりぎりぎしぎし身体が痛んだ。その鈍痛に合わせてげらげらと笑ってやった。
「強がって笑ってたって分かってんだぞ。」
釣竿を握り締めながら、改めてみると本当にやせ細った親父は叫んだ。
「よお、いっとくけどよ。俺はお前が入院しようが、死のうが、一切これから世話を見ねえからな。」
親父の顔色が、さっと変わった。俺はげらげらと、笑いが止まらなかった。自分で、自分が狂ったんじゃないかなんて思うくらい嗤った。
この言葉は、親父が、病弱で入院を繰り返していた祖母に育ててもらえなくて逆恨みして、やっと退院した祖母に言った言葉だ。
前、親父の妹の知恵利おばさんに聞いた。
それがとっさに口を突いて出たもんだから、親父は顔を青くしたり赤くしたりおもちゃみたいになった。
俺は、笑い袋みたいに嗤いながら、ほんと、心底死にてえと思った。
とるものもとりあえず靴だけ突っかけて、道挟んで五十メートルくらいしか離れてない祖父の家に転がり込んだ。すげえ寒かった。靴下、穿いてなかったし…薄い寝間着だったから、全身が痛いくらいだった。
親父だけ家に残して転がり込むこともしょっちゅうだったから、俺が行ったら簡単に分かってくれて家に入れてくれた。
しばらく、これこれこういう訳で借りる安アパートを見つけるまではここにおいてもらえないですかと言ったら遠慮するなと、ここにしばらく住めば良いといってくれた。
でも正直に、すぐに出ますと言ったら、祖母は知り合いのアパートがあるからそこをやすく借りられるように掛け合いますよといってくれた。
敷金礼金を考えて、生活に必要な最小限の家具家電を計算したら、今までためた金はすぐに足りなくなった。
モムマートで廃棄になったおにぎりや弁当をもらえたから食費は浮くとしても、月々の家賃と電気代、ガス代、学校関係を差っぴいたら今までためた分はほとんどなくなってしまう計算だった。
「ほら、ここに住めばいいじゃない。高校を出るまで大変でしょう?」
祖母は優しかった。祖父は無口な人だった。ため息をしきりにこぼして自分の息子の馬鹿さを呆れている風だった。やはりここに住むように、と言ってくれた。
「じゃあ、もう少し金をためてプラスになったらすぐに引っ越します。」
そういって、お袋に頼んで荷物一式必要なものを祖父の家に持ってきてもらった。
親父はと言うと何度かこっちに来たらしいけど、話を聞いていた祖父がすべて門前払いしてくれたらしい。
祖母は居間に布団を敷いてくれた。安心して寝ていいからね。といった。
でもその晩は、いろいろなところが痛んだのと、お袋と有理をあの家に置き去りにした罪悪感でずっと起きていた。有理は兎も角。きっと、お袋はとばっちり食う羽目になってるんだろうって…。
モムマートは朝七時から夜十一時までだった。最後の一時間は深夜扱いになって学生にはやらせられないから、と言う理由で店長と奥さんがやっていた。だから実際に仕事をする時間は五時半から十時までの四時間半。
週六日、土日のどっちか九時間を含めても十万にたらない。
だから、新しく時給の良いバイトを探した。いくつか当たってみて深夜はどうやっても無理だと分かった。普通の店は法律に触れるから深夜には雇ってくれなかった。わかってはいたけど。
しょうがないからいくつか探し回った結果、夜まででもっとも時給が高かったのが牛丼の越野家だった。
最初研修の二週間は時給七五〇円だったが、研修があけると時給は八五〇円になった。つらかったと言えばつらかったのは、適当に話をあわせていたもののテレビなどをほとんど見ない生活だったせいで同年代と話が合わなかったことだ。まあ、例によってしばらくしたら、キャストとはあんまり話をしなくなった。
それから三ヶ月がたって、高校三年になった。
祖父が心配してしきりに俺にたれる説教じみた忠言にも慣れてきたし、二つのバイトを掛け持ちすることになれて、そろそろ一人暮らしするのに充分な額が溜まっていた。
祖父は就職した方がいいとか、高卒なら三種の公務員試験を受けろ、だとか言ってきた。ただ公務員試験を受けても、何度か酒乱の親父の騒ぎで警察がうちに来ているんだから二次試験で落とされるのは確実だと思う。そもそも、親父がクビにされていないこと自体が、警察への不信感を募らせる。
そして、何よりも親父と同じにはなりたくなかった。
普段無口の祖父の忠言が多いのは俺のことを心配しているからなのはわかった。でも、俺は意地でも自分で選択肢を選んできた。
そうじゃなかったら、とうに音を上げているか、気が触れていただろうと思う。だから、毎度の祖父の言葉は右から左へ聞き流していた。
その頃、祖母が激しく体調を崩してしまった。
祖父はもう七十に近い歳だったが、自分の会社を営業していた。昔は蚕で機織をしていた大会社だったらしいが、最近の企業が中国で安価に服を作り出すようになったためにめっきり不景気になり、借金があるらしい。そのため今でもいろんなところに駆けずり回って働いている。隠居なんて言葉を知らないみたいに。
智恵理おばさんはその会社で働いていて、最近結婚した叔父との間に生まれた幸博を、仕事の間は祖母に預けていた。
幼稚園に預けるまでは祖母が昼間面倒を見ているわけだけれど、夜は夜で待っていなくてもいいって何度いっても祖母は俺がバイトから帰ってくるまで起きて待っていた。
夜十時にバイトが終わって、えっちら自転車をこいで帰ってきたらもう十一時に近いっていうのに。
だから、もともと身体も丈夫じゃない祖母は無理がたたってしまった、ということらしい。祖父が、どう切り出したらいいのか分からないと言う口調で俺にそう告げた。
その日は越野家のバイトを休んですぐに病院に走った。
「心配すること無いんだからね。おじいちゃんは心配性だから。ほら、いつもむっつりしてるから、そのあたりの口調の配分が苦手なのよ。」
病院の、白い作務衣みたいなものを身にまとってベッドに座っている祖母はそう笑った。
俺は、別に祖父に言われたから決心したんじゃなくて、最初からそのつもりだったんだということを強調して、家を出ることを祖母にやんわり話した。
家に戻り、祖父にその話をすると、もう祖母は電話で祖父にそう伝えていたらしい。祖父は、言い方が悪かったようだと困っていたが、俺は改めて先ほど祖母に話したとおり説明した。
こうして、アパートで一人暮らしをすることになった。
物件自体は随分前からキープしてあったのか、すぐに手続きを済ませることが出来た。巨大な冷蔵庫とかは十数万もしたけれど腰の高さくらいの小型の冷蔵庫は三万円を切るし、リサイクルショップで大概の生活用品をかき集めたら三ヶ月間で随分の余裕を作れていたらしく、だいぶ手元に残りが出た。
苦労したのは引越し業者に頼まないで一人でそれらを二階の家に持ち込んだことくらい。もともと、実家にも本と服以外の俺の私物はほとんどなかったから、新しい家電が大部分を占めてた。
初めてアパートを覗き込んだ俺の第一声は「廃墟だ。」我ながらふざけてる。
ガスの業者がガス開通に来ての第一声は「靴で上がっていいですか?」ふざけんな。
前の入居者がどんだけのものぐさだったか知らないけど、随分と酷い有様だった。
タバコか何かのヤニで洋式の便座は茶色に染まっていたし、カーテンレールまで引っぺがしてったらしくて窓枠の縁がガサガサだ。苦しんで死んだ人間みたいな染みが天井の七割を占め、台所の床はべとべとしている。もちろんどの部屋も埃だらけ。
まあ、分かりやすく言うと、やっぱり廃墟だった。
大掃除に三日かかった。上から下に掃除する、を実行すると埃が雪みたいに降ってきた。
で、これはどうやってもどうしようもないと思ったものの、きっちり掃除したら「まあ古くて小汚い部屋ですね」ぐらいになった。そんなのでも、やっと手に入れた俺の城だった。




