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第十話

しつこかった残暑もやっと落ち着いて、秋を越え冬になった頃。

予想通り雄一がはじめて来た時には熊木を見て号泣した。額面どおりホントに号泣した。

「お前はそんなやつじゃないと思っていた。」って今まで生きてきて聞いたことも無いほどの恨めしい声で。状況を説明するのに尋常じゃないほど骨を折った。

熊木はというと、昼間は高校に通い夜は十時までアルバイトの日々、帰ってきたら遅くまで勉強。俺はというと深夜バイトで、昼間はハローワークにいっては面接や試験。

休日は昼間か夜に顔を合わせて話をしたけれど、完全に生活のリズムはずれていた。

休日になれば例によってあがりこんでくる裕子さんや雄一と、熊木でなんどか遊びに行った。

映画に行けば、シリアスなシーンでなぜかツボに入って笑ったり、少し泣かせる映画だと周囲に迷惑がかかるほど大泣きする。これには俺も、雄一も、裕子さんでさえ困った。

結局映画は家での鑑賞会がメインになるくらいだった。

カラオケに行ったら、熊木は驚くほど音痴だった。

俺も人のことをいえるほど巧いのかと言われればどうかわからないけど、これは困った。

なんせ、いままで雄一にしても裕子さんにしても異常なほど巧い部類だったから、そんな時になんて声をかければいいかわからない。

熊木は俺の隣に座ってうれしそうに歌って小さく踊って、ノリノリだった。雄一も裕子さんもノリノリだった。俺だけ耳もしくは脳がイカレてるのかと思うほど。

「どうかな治ちゃん。」

熊木は覗き込むようにこっちをみてきて。その向こうでこれ以上無いほどにこやかに、かつ眼の奥にギラリと光をともした裕子さんが見えて。

「まあ、……結構いいと思うぞ。この曲はかなり好きなんだ。」

「ありがと治ちゃん。」

熊木はへにゃりと笑って首を倒して見せた。

こっちはというとぐっしょり冷や汗をかいていた。

なるほど、こういう時って裕子さんや雄一みたいな素で巧いやつには「上手だ」って言って、そうじゃなければ「いい歌だ」とか「この曲が好きだ」って言えば相手が傷つかないのか……?

まあとにかく、なんだかんだで熊木はうちに住み着いた。雄一とも裕子さんともうまくやれているようで、それは本当に良かった。


それからまたしばらくして、何本も面接したりなんだりして、最終的に引っ掛かったのは中堅どころの警備会社だった。

正式な入社としては時期がおかしかったが、欠員が出たための警備士募集だったとか。

身辺調査の結果、忌々しくはあったものの親父が警察官であること、それとお袋が元婦警であり、今は交番相談員をしているのが決め手になったようだ。

祖父もちょうどこの頃に退院して、自宅で療養しているらしい。改めて報告と挨拶にいかなきゃだと思う。安心させておかなきゃ駄目だと。

深夜に、営業を終えた会社や学校などを巡回したり、二十四時間体勢で市役所のような場所を常駐で警備したりする仕事だった。

越野家の店長は、貴重な戦力が減ってしまったとやたら俺を持ち上げて辞めさせまいとした。

まあ無論、決まったのでやっぱり辞めますといったら残念そうだったものの、しかし祝福してくれた。

話を聞いたら、この越野家も就職が決まった『太陽総合警備保障株式会社』の警備物件だったらしい。

そういえば深夜に頬に傷持つ系のホンショクが来て、越野家で暴れまわったときに警察と一緒に来たのは太陽警備の警備士だった。

支給された制服をみて思い出したが、早朝によく弁当を買いに来ていた人もいたし。

警備会社、それもソーケーとか、アルソックと違って中堅どころだから尚更なのか、配属された巡回機動隊には一匹狼のような人間が多かった。

軒並み年上で、しかも一番歳が近くて六歳以上という今まで付き合うことが無かった世代だった。

仕事的には夜、深夜、早朝の巡回をこなし、その合間に契約物件のセンサーが何か異状を察知したら中央管制を経由して連絡が来る。それを確認するといった仕事だった。

全身を紺一色の制服と紺の帽子で包み込み、警棒を腰にさし、毎晩人のいなくなった建物をみて回る。

正直、一匹狼が増えるのもわかる気がする。言ってしまえば基本はすべて自分でやらなきゃならない個人プレーだ。

向こうもこっちにどう絡めばいいのか図りかねているようで、それにこっちから話しかけるにもなんだかきっかけをつかみにくかった。

仕事については問題なく教えてもらえる上に、いざ巡回を開始すればすべて一人でやる仕事だ。なにかが噛み合わない様な感はあったものの、しばらくしたら仕事にはだいぶなれた。

暖冬だったため、あまり霧が出ないで学校などに設置された外周部の赤外線も誤報を出しにくいし(ルパンとかがやるように、霧や煙の中でも赤いラインは見えなかった)雪が積もって巡回に使う車が往生することも無い、いい年だと隊長はしきりに言っていた。

身長が百九十にもなる和入道のような人、それが隊長だった。


しばらくたった、年末が差し迫った頃、深夜巡回中に携帯がなった。家の電話からで、出てみると震えきった泣き声の熊木だった。

「どうした!?」

たっぷり時間をかけて、震えた泣き声で途切れ途切れに返事が来た。

「外の階段を誰かが上ってきてドンドン扉を叩いて……鍵をかけてたけどノブをガチャガチャして……怖くて…」

「少し…待ってろ。」

年末年始には中央管制から警報が出たら気を引き締めろ。本物の泥棒とかが良く出るからな。

そう隊長が言っていたのを思い出し、とにかく、巡回も放り出してすぐに会社の車を飛ばした。

電話から五分ほどで家に着いた。すべての部屋のカーテンの隙間から光が漏れている。テレビの音が下まで聞こえてくるほどの音量にしているようだった。

すぐに周りをみて回って、誰も居ないことを確認した。特に壊されていた場所はないし、変質者らしき人影も見えなかった。

隣近所や一階の住人に、今まで挨拶くらいしかしたこと無いのに話を聞いた。どうやら近所の住人たちは気付いていなかったらしい。

「凄い大音量でテレビを見ているからどうしたのかしらと思っていたけれど、それならしょうがないわねぇ。」

隣の愚痴っぽいおばさんも最後に、気をつけなくっちゃね。なんかあったなら頼ってくれていいわよ。なんて言ってくれた。

階段を上がって鍵を開けた。ドアノブを引くとチェーンがかかっていた。

「熊木大丈夫か?」

「お、おざむちゃーん」

バシャーンなんてすさまじい音をさせて襖を開け放ち、熊木は俺の布団に包まった状態で芋虫みたいに出てきた。

ボロボロに泣いてるのに、なんだか緊張感がまったく無い。

「とりあえずチェーンはずしてくれ。」

「う、うんー。」

布団に包まった芋虫のまま玄関をズリズリ這って来る。

……ああ、俺の布団が砂だらけだろ……。

あまりの緊張感の無さにそんな自己中な考えまで一瞬脳裏によぎった。チェーンをはずして抱きついて来た熊木の震えに気付くまでは。

改めて抱きつかれて気付いた。

熊木は小柄な女の子だった。

初めて会ったときから、おかしなやつだと思っていたし……死にたいだの死ぬだの口に出してはいても、どこか失礼なやつで、そのくせ芯が強いやつだと思っていた。

熊木はすさまじい勢いで泣きながら、凍えきったように体を震わせていた。わんわんと泣きながらも口元がだらしなく緩んで見えるのは、多分安堵からだろう。

「……もう大丈夫だ。」

今まで思っていたよりあまりにも頼りない熊木が、その体が、このまま放って置いたら砕けてしまいそうな気がした。壊れ物を扱うようにそっと抱き、頭をぽんぽんと撫でてしばらくの間大丈夫だ、と繰り返し言い聞かせた。

どれくらいの間かわからない。五分か、十分か。それよりずっとなのかもしれないけれど、やっと熊木の震えが落ち着いてきたとき、制服の胸ポケットの中で機動隊員連絡用の携帯がけたたましく鳴った。携帯を開くと、中央管制からだった。

巡回で物件に入るたびに警備の解除信号とセット信号を入れる。それによって今どこにいるのかを中央管制は把握するらしい。その信号が途絶えたせいで、連絡を入れてきたんだろう。

どうしたものかと視線を泳がせ、そしてそれを下ろした。

熊木は代わらず俺の胸をビショビショにしたまま、顔をうずめている。

ピリリリリ、なんて携帯のコール音がこれ以上無いほどやかましい。

逡巡していると、きっちり俺の背中に回されている腕が、少しだけ強く胴を締め付けた。

「わかったって。」

携帯に出る。運よく、というか、こういう話が一番通じそうな隊長からだった。

「いまどこにいるんだ?何か問題でもあったか?」

顔つき体つきは和入道なのに、少し甲高い独特な声。安田大サーカスの黒ちゃんほどじゃないけど、隊長も凄いギャップだ。

言葉を選んで、問題がなさそうな言い回しに変えて、「家の近辺に変態が出たらしくて、家に待たせていた連れが怖い目にあったらしくて、巡回中なんですけど一度家に来ています。」といった内容を伝えた。

すると隊長は「じゃあ待機室空けるように言うから、今晩は一緒に来れば良い。栗橋には車両待機を頼んでおくよ。」といってくれた。

夜、深夜、早朝の巡回の合間数時間、仮眠を取るための待機室を空けてくれるらしい。

「ありがとうございます。準備が出来次第連れをそっちに届けて、また巡回を続行します。」

「気にしなくていいぞ。明日朝にでも栗橋に一言言っとけば大丈夫だから。」

「はい。」

もう一度お礼を言って携帯をきった。

それから準備をするにも着替えるにも電気一つ消すのにすら近くにいないと怖いとかでさんざん手間取ってから、やっと車に乗った。

車のライトが届かない道端の闇の中に、こっちをみている人間がいる気がして怖いと、熊木はまた体を縮込ませた。

「大丈夫だって。」

頼りなくシートベルトを握り締める手を、そっと握った。ひやりと冷たく感じた。

「治ちゃん、手暖かいね。少し硬いけど、なんか落ち着くし。」

「よく世間で言うみたいに、心が冷たいからな。」

「嘘だよそれ。手が暖かい人は心が暖かいんだよ、きっと。」

「へぇ、熊木は手も心も冷たいやつなんだな。」

「……やっぱり手が暖かい人って心冷たいんだね。」

ふふふ、なんて熊木はやっと小さく笑った。

「知るか。」

「ちょっとそれずるいし。」

十分ほどそんなやり取りをしながら車を走らせると所属している太陽警備支社についた。車から見上げて、熊木は「ぼろい建物だね。」といつか俺んちに来たときみたいな文句をたれた。

「やかましい。四十年くらい使った建物だから、もう少ししたら引っ越すんだとさ。あとそういうのすぐに口に出すのやめろ。」

「へぇー。」

タクシーの会社みたいに設置されている、巡回車専用駐車場に車を止める。手を引いて待機室まで連れて行った。

「なにも無ければ一時間しないで巡回終わるから、テレビ見てもいいし、寝てもいいからな。なんかあったら携帯に電話しろな。」

こくこくと頷く熊木を確認してから、管制室へ移動した。

隊長は「嫁は大丈夫だったのか?」なんて心配したような、でもどこか皮肉っぽい顔をした。

「嫁じゃないです。」

念を押して、あとはおおむね大丈夫だという話をしたら、隊長は待機室に嫁を覗きに行こうか、なんていいだした。

「隊長、今あいつびびっちゃって敏感になってるんで……隊長がいくと怖がって大泣きすると思います。やめといてやってください。」

隊長は目をむいて、今まで見たことない顔で俺を凝視してきた。

しまった、地で妙なこと言っちまった。隊長は良くしてくれたってのに、こんなときにひねくれたことを……。

「すいま…「うゎははははははは」

謝ろうとしたら、こっちの謝罪を遮って歪な鐘を叩きまわしたみたいな声音で隊長は大笑いしだした。

今度は訳のわからなさにあっけにとられていると、隊長はひぃひぃ言って呼吸を整えてから座っていた椅子から身を乗り出す。

「いやいや、どうにも最近の若いのはとっつきにくいものだと思ってたが……なかなか言うじゃないか。」

「すいません。失礼なことを…」

「違う違う。それくらい言えたほうがココじゃ上手くやってけるって話しだ。如才の無い若者なんてつまらないのさ。それが地か?」

「……まあ、はい、たぶん。」

また豪放に隊長は笑った。

「いい性格してるじゃないか。俺は好きだぞそういうの。」

「はぁ、……ありがとうございます。」

「ん〜またか?」

「あー……デートの待ち合わせは明日の朝で良いんですか?」

もう何がおかしいのかわからなくなってきたけど、隊長はおかしそうに笑っていた。

「堅苦しいのは締めるべきときと上司にだけで充分だ。支社長とか、常務とか、所長とかな。そういうキャラは今までいなかったから貴重なんだ。」

栗橋なんか自称Mだから喜ぶぞ?なんて付け足した。

「しばらく栗橋さんには猫を被らせて頂きます。」

そんなやりとりをしてから、会釈をして改めて御礼を言った。

「安心して張り切って行って来い。」

笑う隊長に任せ、車に乗って途中から巡回を再開した。

巡回が終了して、待機室に戻るとテレビも蛍光灯もつけたままで熊木は眠っていた。

音を立てないように警棒などをはずし、テレビを消してもう一つの布団にもぐりこんだ。

蛍光灯はそのままにしておいた。

明るくて眠気が来ないどころか、そういえば襖一枚さえ間に挟まずに同じ部屋で寝るのはこれで初めてだったせいで……熊木の安定した寝息が、気になって目が冴えるばかりだった。


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