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第八話 返事が返ってくる家と、弁解できない僕

 「ただいま」


 いつもより長く感じる帰路を、ひっきりなしに話しかけてくる天使を半ば無視しながらなんとか歩みを進め、ようやく自宅までたどり着いた。疲れた……。

 インターホンを鳴らすことなく、直接、暗証番号を打ち込んで扉を開けると、いつものように無意識にその言葉を発していた。……身についてしまった習慣は変えにくい。


 しかし、もちろん、返事はない。いつのもことだ。


 「あれれ、誰もいないのー? つまんないなあ」


 薄暗い玄関に場違いなほど明るい声が響いた。


 帰宅直後のこの時間にこの家で誰かの声を聞くのはなんとも不思議な感じがする。


 下校しながらずっと聞いていた声なのに、この場所だからだろうか。なぜか違う感じがした。


 しゃがみこんで靴をぬぎながら、数時間ぶりに、声に出して返事をしてみる。周りにはもう他の誰もいないのだからこうするのが普通だろう。


 「いつものことだ」


 もしいま家族がこの家にいたとしたら、この迷惑な天使がなにをしでかすかわかったものではない。このときばかりは、家族がここにいないことに感謝した。


 脱いだスニーカーをまっすぐに揃えて、玄関に朝から置きっぱなしになっていた、愛用している和風柄のスリッパを履いた。これがないとなんとなく落ち着かない。


 「マサキくんのお部屋はどこにあるのー? 二階?」


 「……そうだ」


 「やったー! 大正解だね✩」


 ぱっと満面の笑顔になってぴこぴこと小さなおててを振り回し、全身で喜びを表現している天使がひとり。


 二階へと続く階段に足を乗せながら、無表情でその光景を眺める。


 ―――なぜこいつはこんな小さなことでここまで大きな喜びを感じられるのだろうか。


 僕が最後にああやって笑ったのは、いつだったか……。詳しくは覚えていないが、あのひとと共にいた幼いころなら笑っていただろう。


 そのとき、合点がいった。


 ……ああ、そうか。まるで子供みたいなんだ、こいつは。


 薄暗い僕の頭上をぐるぐるときらめきが飛び回る。無邪気な笑い声が飛び散る。


 ずっと眺めていたいような、目をそらしてしまいたいような、矛盾した感情が沸き起こった。





 はしゃいでいた天使がようやく落ち着いたと思ったら、僕の部屋に入った瞬間にまた、高くなったトーンで騒ぎ出した。


 「へえ! これがマサキくんのお部屋かあ! 人間の部屋って物が多いんだねえ」


 ちなみに、僕の部屋は客観的に見ても他人より物が少ないほうである。

 天使に住処(すみか)があるのかはわからないが、この部屋を見て物が多いという感想を言えるとなると、彼らの住居には何も無いのかもしれないな。


 肩からリュックを外して机に置き、一息つく。横目で掛け時計を確認すると、いつもの帰宅時間より三十分も遅く帰ってきたようだった。


 さて、今からなにをしよう。勉強をする気分ではないし、居間に下りてテレビでも眺めるか?


 「マサキくんマサキくん! ちょっとこれ着てみてよ☆」


 とりあえず制服を着替えようと思っていると、室内を飛び回って物色していた天使がタンスから服をいくつか取り出していた。

 古くなって僕でも開けるのに苦労するその引き出しをやすやすと引っ張り開けるとは、小さいのになかなか怪力なやつだな、天使よ。


 しかし、差し出された一着の服には少々問題があった。


 「悪いが、それは着れない。というか着たくない」


 タンスの奥底に仕舞ってあったのに……。苦々しい思いでそれを見つめた。


 それは、ふわふわした丸い尻尾と耳のついた、白いうさぎの着ぐるみだった。


 「えー、なんでー?」


 「とにかく嫌だ。二度とそれを人前で着ないと僕は誓ったんだ」


 去年の秋、小学校生活最後の学芸会で、僕たち六年生は演劇を披露した。そのときに僕が演じた役が、うさぎだったのだ。

 母は張り切って着ぐるみを制作し、結果的にそれは大好評だった。特に女子の間で評判になり、しばらく話題になった。


 しかし、僕にとっては屈辱的な記憶である。


 「可愛いのに……」


 だから嫌なんだ! ああ、どうしてあのときの僕は愚かにもうさぎ役を引き受けてしまったんだ!


 「とにかく早くそれを元の場所に仕舞ってくれ。あと、そっちの黄色いTシャツは着るから渡してくれないか」


 「ちぇ……」


 おい、今舌打ちが聞こえたぞ。それでいいのか天使。


 天使がしぶしぶとだが服を片付け始めたのを見届けて、机に向き直った。ベストを脱ぎ、椅子の背にかけた。続けて、手を首元に持っていき、長袖のワイシャツの第一ボタンを外す。身体が少し汗ばんでいるのを感じた。確かにそろそろ暑くなってくる季節だ。校庭で見た緑の景色を思い出し、納得する。


 背後では、散らばった服を素早く片付け終わった天使がなにやら別の物を見ているようだった。


 「ねえねえ。これはなあに?」


 ボタンを外す手を止めずに、体ごとゆっくりと振り返った。今度はなんだ……。


 不意打ちだった。心臓が、小さくも鋭い針で一突きされたように痛んだ。


 きょとんと首を傾げる天使の手のなかにある、あれは。


 思わず左胸を手で押さえた。痛みは一瞬で消えていた。錯覚だったのかもしれない。


 「…………それ、は」


 いつも寝台の枕元に掛けてある、青いロケットペンダント――――――。


 僕の周囲の空気が張り詰める。


 あの日の光景がまた脳内を駆け抜けた。


 なにもかもが白いあの部屋と、幼い僕の手を優しく握ってくれたひと――――――。


 胸元を握った手に力を込めた。顔が引き攣るのを感じる。


 ああ、こいつのせいだ。この天使さえ現れなければ、あんな昔の夢をみることもなく、小さな手に握られたあれを見て苦しくなることもなかったんだ。


 いつもだったらなんとも思わないのに。なにも感じないのに。


 「……大切なひとのものだ。……返してくれ」


 天使は、僕と出会ってから数時間で初めて見せる静かな表情で、僕を見ていた。心の内の言葉が聞こえたのだろう。気分を悪くしたかもしれない。だが、知ったことか。


 天使がゆっくりと口を開いた。


 「これは、マサキくんの……」


 しかし次の瞬間。


 ばたーん!


 突如として響いた大きな音に驚いて、僕は反射的に扉の方向を見た。


 「マサキ、お前が家の鍵を閉め忘れるなんて珍しいな……って、は?」


 「あ、来た」


 張り詰めた空気を瞬時にぶち壊した侵入者を見て、僕は中に放り出された気分で唖然と呟いた。

 天使の小さな発言には神経が向かわなかった。


 「エイキ……。今日は珍しく早く帰ってきたんだな」


 「えーっと、ちょっと待て。うん」


 目を大きく見開いたエイキは、なにやらしきりにまばたきをしながら、回れ右をして部屋から出て行った。


 どうしたのだろう?


 ふよふよと浮かんでいる天使が首を傾げた。


 「マサキくん、あれは誰?」


 「ああ、一つ年上の兄だ。……あ」


 そのとき、エイキの挙動不審の理由に思い当たった。


 いまだに天使の手の中にあるロケットペンダント。


 ……もしかするとこれは深刻な事態かもしれない。


 額に冷や汗が流れる。


 「おい、急いでそのペンダントを元の場所に……」


 焦って瞠目する僕の願いは叶わず、天使が行動を起こす前にエイジが扉をもう一度開けてしまった。


 ―――向き合う僕たち兄弟の間に沈黙が落ちた。


 「えーと、マサキ? ……なんでペンダントが宙に浮いているのかな?」


 エイジが沈黙を破ると同時に、僕は顔を青くした。


 やはり、そうか。


 天使自体は他人に見えなくても、僕の持ち物であるペンダントは兄の目に映ってしまうのだ。


 そして、ペンダントを手に持った天使は今、空中にいる。


 「これは、その」


 この状況をどうすればいいんだ! どうやってエイジに説明する!?


 思考が空回りしている僕の耳に、天使の明るい声が届いた。


 「あ、これは見えちゃうのか。忘れてた……。どうしようかマサキくん」


 瞬間的にこの天使に殺意を覚えてしまった僕を神も許してくれるだろうと思いたい。

 少しは気落ちしているようだったが、それでは済まされない事態だ。


 唐突に、脳内と視界が同時に揺れる感覚がした。


 「マサキ? ……マサキ!?」


 「マサキくんっ!」


 ―――帰り道でなんとなしに聴講した、ハルトの雑学講座。本日のテーマは『日常的に生じる症状』だった。

 そのなかに、日常的に生じるのかは疑問だが、立ちくらみについての説明もあった。


 立ちくらみの医学的正式名称は『眼前暗黒感』というらしい。


 今の僕も、立ち続けに起こった展開についていくことができずに、目の前が真っ暗になった気分だった。気絶してしまいたい。

数日前、真夜中テンションで中間部分を執筆していたら、自分でもよくわからないうちに危ない展開に発展させてしまっていました。次の日にそのヤバさに気がついて速攻ボツにしました。あぶないあぶない。作者が変態扱いされるところでした。


読者の皆様! 作者は感想や評価を心待ちにしています! 切実に待っています!

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