ヴィオロン。
BLではない、微妙な所な作品です。
「物」の視点で語られるお話。
文学とも童話ともとも多分違う、
カテゴリーの選択が難しかった。
ただ、読んだ後にセピア色が似合う作品だな。と
思われたなら、嬉しいです。
これは希望の先の話――。
正直に言うならば、
私に名前などはない。
何度か、お前さんが私の名を呼んだ気がした。
年を取りすぎたせいか、
お前さんが、いくら私の名を呼んだ所で
その名は私には聴こえないのだ。
私の仕事は、奏でる事であり、
別に私の名がどうであれ気にする事もなかった。
私は、お前さんのヴァイオリンなのだから。
私はお前さんの為に、音を奏でる。
それだけで幸せを感じるし、
また、お前さんも、私の音色を聴いて、
昔昔に想いを馳せては、
幸せを感じている事だろう。
『愛する人への想いは消えない。』
お前さんはそういう奴だったな。
でも、本当は
強がりで、寂しがり屋。
だから、
時々、お前さんが流す矛盾の涙が、
私は嫌いじゃなかったよ。
とても美しいと感じるよ。
「お祖父様!」
「おや?まだ寝てなかったのかい?」
「だって…
明日は初めてのコンクールだよ!?
…なんだか眠れないんだ。」
少年は明日のヴァイオリンのコンクールに
興奮にも不安にも似た感情のせいで
眠れないでいるらしい。
「ねぇ、お祖父様、
眠れないから子守唄代わりに一曲弾いて?」
やっぱり、目的はそれだったのか少年。
確かに、お前さんの奏でる旋律は、
昔から色んな人間を魅了してきたからな。
「ぼく、お祖父様の弾く
トロイメライが聴きたいな」
ほら、こんなに幼い少年でさえも
お前さんの魔法にかかっているのだから。
そして遠い昔に
その魔法は…とある青年にもかかったんだ。
それは私がよく知っている。
私の話を語り出すと、
キリがないが、
お前さんと私を出会わせてくれたのは、
お前さんの旋律に魅了された青年だった。
いや…もう、遠い昔の事だから
記憶も危うい所だが、そうだった。
私は、いわゆる安物のヴァイオリンで、
もしかしたら、音を奏でる事がないまま
一生を終える運命だと諦めていた。
しかし、青年は私を見つけ、
現在の持ち主のお前さんの手に渡った。
プライドの高いお前さんは、
私を手に取る事を一瞬、躊躇ったが
青年の真摯な気持と
それとはまた違った感情を青年から感じ、
私を手に取った。
それは、それは真っ赤な顔をして。
その瞬間から
私はどんなに高いヴァイオリンよりも
価値のあるヴァイオリンに
生まれ変わる事が出来たんだ。
私が言うのもなんだが、
高い安いの問題ではないのだ。
お前さんに弾かれる事の喜び、
これは私の些細な誇りなのだ。
私は青年のおかげで、
二つの幸せを手に入れる事が出来た。
何故、青年が私を選んでくれたのか、
今となっては分からない。
青年はもうこの世にはいないし、
知る術がないからだ。
青年には感謝している。
あの日からずっと、
私はとても幸せなんだ。
――――――。
「それじゃあ、一曲だけだよ?」
「………スースー」
「…おやおや、まったくこの子は」
少年は、祖父がヴァイオリンを
弾く準備をしてる間に
気持ちが落ち着いてきたのか
祖父のベットに入って、
規則正しい寝息を立てて眠っていた。
老人はクスッと笑うと、
少し乱れた布団をかけなおし、
少年をみつめる。
「孫もこんなに大きくなったよ。
成長する度にお前に似てくるんだ。
いいとこも悪いところもね…
…まったくお前はなぁ…」
老人はその後の言葉を飲み込み、
少年の額にキスをすると〝お休み〟と言って、
昔、昔に愛し合った青年からもらった、
決して高いとは言えない安物のヴァイオリンを手に取り
一言彼の名を呼んだ。
「さて、何を弾こうか?
今夜はお前だけのコンサートだよ。」
「――……。」
また…
名前を呼ばれた気がした…
気がつくと、
お前さんは、
一筋の涙を流しながら
優しい旋律を奏でていた。
私は喋れない。
だから、音色で答えるしかないのだ。
するとたちまち優しい旋律から、
切ない旋律に変わり
さっき飲み込んだはずの言葉を
…一気に吐き出す。
「早く逝きすぎなんだよバーカ」
お前さんが若い頃、青年に
よく憎まれ口をたたいていたような、
それでもってやっぱりどこかに
愛が隠されてるような口調で…。
そして、お前さんらしくない、大泣きをした。
たまにはヴァイオリンの事を忘れて、
その青年の為に、泣けばいい。
俺はお前の涙は嫌いじゃないよ。美しくて愛しい。
「――…。」
また、名前を呼ばれた気がした。
少し、切なかった。
名前なんてどうでもいいと思っていたのに。
――――――。
次の日、
ヴァイオリンのコンクールを終えて帰った少年が
賞状やらトロフィーやらを抱えて
私の所へやって来た。
「あのね!金賞取ったんだよ!」
少年はヴァイオリンの私に話しかける。
当たり前だ、少年。
君は、あいつの孫なんだから。
「ほら、トロフィーだよ、
キラキラしてるでしょ?」
そういう大切な事は
まず、お祖父様に報告だろう、少年。
「だって、
一番に報告しておいでって言うんだもん。」
まったく。
可愛い孫の
初めてのコンクールだっていうのに、
お前さんというやつは…
「じゃ、また夜に何か聴かせてね!
今度は寝ないようにしなきゃ。」
あまり、お祖父様を困らせるんじゃないぞ、少年。
「分かってるよ!じゃ、また後でね。――!」
少年が最後に放った言葉は
誰かの名前だった。
はっきり、聴こえた。
聞き覚えのある何度も呼ばれた名前。
おそらくあれが…
私の―――――。
正直に言うならば
私に名前などない。
けれど、それは
私の勝手な思い込みだった様だ。
お前さんが
世界で一番
愛する
青年の名。
それが私の名でも
あるらしい。
Fin.
ここまで、ご読了頂きありがとうございました。
この話は連載作品「52万5600分」に
少しリンクしている所が「冬」の季節の話で
明らかになります。
合わせて楽しんでいただけたなら。
間内りおん。