エピローグ 問題なし
季節が変わった。
軒下の雀の卵は、春の終わりに孵った。三羽とも無事だった。
ユナはしばらく毎朝確認していた。
巣立ちの日、三羽が飛んでいくのを見送って、「よかった」と言った。それだけだった。
夏の始まり、王国から封書が届いた。
ユナは一字一句読んだ。レオも読んだ。
二人で内容を確認して、修正を求めるところは求めた。
二往復の交渉の後、合意した。
それから三ヶ月に一度、ユナは王国に報告書を送っている。
内容は毎回ほぼ同じだ。
「問題なし」
☆
ある秋の夜のことだ。
夕食が終わって、ユナは調合室に戻った。レオは居間で本を読んでいた。ユナの本棚にある薬草図鑑だ。最初は暇潰しに手に取ったが、いつの間にか全部読んでいた。今は二周目だ。
「レオさん」
「何だ」
「ちょっと来て。これ見てほしい」
調合室に行くと、ユナが小瓶を持っていた。中に液体が入っている。
「これ、正しく調合できたか確認してほしい」
「私に分かるか」
「魔力のある人間は感知できるって書いてあった」
レオは小瓶を受け取った。
しばらく見た。
「問題ない」
「よかった。三回作り直したんだよね」
「どこが難しかったんだ」
「最後の工程の火加減。強すぎると成分が飛ぶ」
「今回は?」
「たぶん大丈夫。でも確認したかった」
レオは小瓶を返した。
ユナはそれを棚に並べた。
並べながら言った。
「ねえ、レオさん」
「何だ」
「ねえ、レオさん。あの契約……解除する?」
レオは少し止まった。
「……何の話だ」
「保護術。今も繋がったままでしょ。解除できるよ」
ユナは棚を向いたままだった。さりげない声だった。夕食のメニューを相談するような声だった。
「ユナ」
ユナは瞬きをした。
「何?」
レオは少し考えてから答えた。
「お前のそばにいる理由だ」
調合室が静かになった。
小瓶が棚に並んでいる。薬草の匂いがする。窓の外に秋の夜がある。
ユナはレオを見ていた。
レオはユナを見ていた。
「……術がなくても……いてほしいけど」
「知っている」
「じゃあ」
「術があった方が、理由として分かりやすい」
「分かりやすい?」
「私は不器用なんだ」
ユナは少し黙った。
それから、ゆっくり、少し笑った。
「……猫みたいなこと言う」
「猫と比べるな」
「似てるものは似てる」
「私は魔王だ」
「猫みたいな魔王」
「……」
レオは視線を外した。
窓の外に月がある。
この世界のどこにいても月は同じだ。でも、今見ているこの月は、ここからしか見えない。
「解除しなくていい」
「うん」
「ただし」
「命令しない」
「……約束は守れ」
「守ってるでしょ」
「守っている」
また少しの沈黙があった。
静かな沈黙だった。不満のない、空白のような。
「お茶飲む?」
「飲む」
「じゃあ作って。竈の右の棚にある」
「自分で作れ」
「レオさんの方が上手いから」
「……」
レオは調合室を出た。
居間の竈に向かった。
マッチを手に取った。
一本擦った。
ついた。
最初の頃は三本かかったのに、とレオは思った。
なぜか少しおかしかった。
まあ悪くない。
お茶を入れた。
二人分だった。
それで、よかった。
了




