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氷の河  作者: ガンジス川
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第7話

「それでは、午後からもよろしくお願いします」


 昼食後のけだるい空気の中、小室が覇気の無い挨拶をしてから太一のところへやってきた。


「寒河江くん、ちょっといいかな」


「なんですか?」


「ここじゃアレだから、隣の会議室行こうか」


 この時点で良い話であるはずがないとわかった。誰もいない会議室の明かりを点け、向かい合わせに座ると、小室が言いにくそうに切り出した。


「さっき、昼休みにクライアントから電話があってね」


「私のことで、ですか?」


「うん。午前中の寒河江くんのCPHが低かったから、改善策を用意して本人にフィードバックしてくださいって」


 CPH──「Call Per Hour」。オペレーターひとりが一時間あたりに対応したコール数を示す指標である。要は、問い合わせをどれだけ手際よく捌けたかという数値だ。


「え? だって、午前中は佐々木さんの対応でずっと時間をとられてたから、CPHが低いのは当たり前じゃないですか」


「うん。そうだよね。わかってる。わかってるんだけど、ほら、一応カタチだけはやらないといけないから、ね。それで今後の改善策だけど、とりあえずさ、どんなお客さんでも何かしら求めてることがあるわけじゃない? それをなるだけ早く聞き出して……」


 見当違いのクレームに改善策も何もないだろう、と太一は唇を噛んだ。


「──というので、どうかな?」


「…………わかりました」


「うん、それじゃよろしく頼むね」


「……それはわかりましたが」


 立ち上がって受電室へ戻ろうとする小室を呼び止めた。


「うん?」


「一つ確認したいんですけど、この仕事って業務委託ですよね?」


「う、うん……」


 小室の歯切れの悪い反応に、太一は小さくため息をついて続けた。


「今回に限らず、いつもクライアントが私たちの仕事内容や勤務時間を事細かに指示してきますけど、これって偽装請負になるんじゃないんですか?」


 業務委託とは、文字通り業務を丸ごと委託する契約である。この場合、成果物の納品に至るまでの業務遂行プロセスは受託者の裁量であり、委託元に指揮命令権は存在しない。簡単に言えば、クライアント──委託元は労働者の仕事のやり方に口出しできないということだ。それにも関わらず、委託元が実質的に現場の直接指揮を執るということは、社会保険への加入など雇い主が負うべき責務を放棄しつつ、自由に指示できる労働力だけを搾取することに他ならない。これを偽装請負と呼び、労働者派遣法及び職業安定法によって固く禁じられている。


「あー、それはねえ……まあ、うん……」


 小室は視線を逸らして言葉を濁した。それが答えだった。


「いえ、一応、違法の認識があるのかどうか確認しただけです。別に出るとこ出ようってわけじゃないので」


「ああ、うん……」


 二人の間に微妙な空気が流れた。太一が立ち上がると、小室は気まずそうにそそくさと先に受電室へと戻っていった。偽装請負の事実を労基に報告することはできる。しかし、それによって食い扶持を失うのは太一本人だ。次の仕事のアテもないのに、そんなことができるはずはなかった。


※ ※ ※


「今日も一日、お疲れ様でした」


 感情のこもっていない小室の挨拶で、通話中の数名を除いたオペレーターたちが一斉にヘッドセットを外して帰り支度を始めた。そんな中、またしても小室が太一のもとへとやってきた。


「あの、寒河江くん。ちょっと相談なんだけどね……」


 言い出しにくそうにしているのは、やはり昼間のことがあったからだろう。


「明日、土曜なんだけど……その……」


 そこまで聞けば、要件は簡単に推測できた。


「休日出勤ですか?」


「う、うん……。あ、でもこれは委託じゃないから。うちの総務部の社内ヘルプデスクだから。安心していいよ」


 本来は委託も安心できる仕事のはずなのだが……と少し苛立ちを覚えたが、口にはしなかった。


「あ、別に無理に出なくてもいいよ。他の人にも頼んでみるから……」


「いや、出ますよ。だって他の人、無理でしょ」


 太一以外のスタッフは皆、細木のように扶養内で働く主婦ばかりだった。ただでさえフルタイムで働けないのに、割増賃金の休日出勤など了承するはずがない。太一がここで断ったとしても、結局は後でもう一度泣きつかれるのは目に見えていた。


「そう!? あ、ありがとう! 助かるよ」


「別にいいですよ。お金要りますし」


※ ※ ※


 帰る足が重い。


 直前に言い渡される休日出勤が一番堪える。花金は遠くなりにけりだ。


 マンションの入口で郵便受けを開くと、珍しくDM以外で太一宛の封筒が入っていた。同窓会の招待状。宛名を見ると、高校二年生の時のクラスのようだった。


(こういうのは、人前に出せる人生を送ってる奴が参加するもんだ)


 その場で封筒を捨てようと思ったが、もろに個人情報だと気付き、ぐしゃぐしゃに丸めてズボンのポケットに突っ込んで階段を上った。ただいま、と自宅の玄関扉を開くと、フワリとカレーのいい匂いがした。子供の頃からずっと変わらない匂い。台所に立つ母が鍋をかき混ぜながら「おかえり」と答えた。


「今日、カレーだっけ」


「先週シチューだったからね」


 毎週金曜日は太一が人参、じゃがいも、玉ねぎの下処理を行い、母が調理をする分担になっていた。メニューは共通材料で作れるカレー、ハヤシライス、クリームシチューのローテーションだ。一度に二日分を作り、週末はノンビリしようというアイデアである。


「いただきます」


 二人でテーブルを挟み、カレーを口に運ぶ。点けたテレビにはヨチヨチ歩きの赤ちゃんが映っていた。荒い画質。YouTubeから引っ張ってきた映像に大げさなナレーションを被せ、ワイプに小さく映った若手芸人たちがくだらないコメントを喋るだけの低予算バラエティ番組。日本のテレビ局も金が無いのだろう。


「あら、かわいい」


 母がテレビに映る赤ちゃんを見て目を細めた。無自覚なその一言に、太一は胸の奥が締め付けられた。


(本当なら、今頃は孫を可愛がってる年なんだろうな)


 人生に「本当」があるのかはどうかはともかく、太一にとって、今の人生が子供の頃に想像していたものから大きくかけ離れていることは確かだった。普通に就職して、普通に結婚して、普通に子供を作って……そんな普通が普通でなくなったのはいつからだろう。誰が普通でなくしたのだろう。


※ ※ ※

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