第5話
「……昨日の人?」
面倒臭さを丸出しにした表情で小室がたずねた。
「はい。保証書を紛失されているので、お断りするしかないですよね」
「そうだね」
「わかりました。その確認だけです。ありがとうございます」
入電履歴から佐々木老人に折り返すと、すぐにかけ直したにも関わらず、繋がるまでに八回ものコールが必要だった。
「はいよ」
「梅山電器カスタマーサポートセンターの寒河江でございます」
「おう。ほな新しいの手配してや」
「佐々木様、上長に確認をいたしましたが、やはり先ほど申し上げました通り、保証書が無い場合はサポートの対象外となってしまいます。お力になれず大変申し訳ございません」
「ああ!? 通るかそんなもん!」
「お怒りはごもっともでございます。弊社といたしましても、できる限りの対応を検討いたしましたが、やはり……」
「ええ加減にせえよ! 消費者庁に訴えたるからな! お前、名前なんや!」
「私、寒河江と申します」
「ああ!? サカエ!?」
「はい」
本当は「サガエ」だが、面倒なので訂正はしなかった。あちらが聞き違えているのなら、こちらも聞き違えた振りをするだけだ。そもそも、クレーマーに対して本名を名乗ることはリスクである。コンビニ店員がストーカー対策に偽の名札を着ける時代に、会社が社員のリスク回避を怠っている以上、自衛するより他ない。
「上のモン出せ!」
二言目には「上のモン」。語彙の少ないクレーマーの決まり文句が出た。
「少々お待ち下さい」
「はよせえ!」
保留にして、もう一度小室を呼んだ。苦い顔で重い腰を上げるのが見えた。太一のヘッドセットから漏れるしゃがれた大声を聞いて、さすがにモニタリングはしていたようだ。
「……ちょっと、クライアントに確認するね」
小室は社用のガラケーで委託元──梅山電器の担当者へと連絡をとり、しばらく話し込んでいた。その間にも、電話の向こうで待たされている佐々木老人の機嫌がどんどん悪くなっているのだろうなと想像すると、太一は胃が痛くなった。
(相談したって一緒だろ。こういうのは突っぱねるしないんだから)
太一には確信があった。一度でもクレーマーの要求を通してしまえば、そのことをクレーマーは武勇伝としてたちまち口コミで広めてしまう。すると、それを聞いた第二、第三のクレーマーたちが「あいつはよくて自分はダメなのか」とクレームを連鎖させる。クレーマー対策の基本はテロリストと同じく「要求に応じない」ことである。
「……やっぱりダメだって。悪いけど、なんとか断って」
電話を切った小室がわかりきった答えを返してきた。
「わかりました」
時間の無駄だったなと、太一は再びヘッドセットを着けた。
「お待たせいたしました」
……反応がない。また周囲の環境音は聞こえているので、通話は繋がっているようだ。
「お客様、こちらの声は届いていらっしゃいますでしょうか?」
やはり反応しない。耳を澄ませると、テレビの音が聞こえた。待ちくたびれて、受話器を置いたままテレビを見ているのかもしれないと太一は予想した。
「お客様! 声は届いておりますでしょうか!」
声量を上げて呼びかけると、やっと電話の向こうでゴソゴソと人が動く音がした。
「なんじゃ! 待たせすぎじゃ!」
「大変お待たせいたしました。もう一度確認をいたしましたが、やはり保証書無しでのご対応はできかねます」
「アホ! 何回同じこと言わすんじゃ! ええから新品送ってこいや! それだけで済む話やろが!」
下請けの太一にそんな権限は無い。しかし、自社で対応していないことがわかると信用に関わるという理由で下請けの立場を明かすことは禁じられている。それなら初めから自社でやれよと太一は思うが、それは同時に彼の仕事が無くなることとイコールであった。
「申し訳ございません。繰り返しになりますが、保証書無しでのご対応はいたしかねます」
「なにがやねん!」
「申し訳ございません」
感情を無にして同じ文言を繰り返す。たとえ何を言われようが、機械的に喋り続けるのみ。そうして、相手が呆れて諦めるのをひたすらに待つ。それが、何一つ決定権を持たない太一に許された唯一の行動だった。
「お前なんやねん? 頭おかしいんか? 人の話聞けやキチガイが!」
だが、太一は機械ではない。人間なのだ。クレーマーの暴言すべてを無傷で聞き流すことはできない。彼はきっと、今晩布団の中でこの罵詈雑言を頭の中でリフレインすることになるだろう。その度に、頭の中で佐々木老人と、見たこともない彼の家族や友人を想像しては、人が考えうる最も残酷な手段で何度も何度も惨殺する。そうして、彼の大切な睡眠時間は無為に削られていくのだ。
「申し訳ございません」
「ええ加減にせえよ!」
「申し訳ございません」
「なめとんのか、このボケ! ……あっ! せや、思い出したわ! おまえ、梅山電器やろ!」
「左様でございます」
実際は違う。ただの委託先だ。
「梅山電器やったら、アイツおるやろ! 片山や!」
「片山、でございますか?」
「そうや! 前に炊飯器が壊れた時に対応した片山や! あいつ出せ!」




