第12話
疲れが溜まっていたのだろう。目覚めると昼を過ぎていた。辞めるつもりとはいえ、一週間の忌引はまだ三日残っていた。
「おはよう」
返ってくることはずのない呼びかけ。その声は誰の耳にも届くことはなく、ただ静かな空気に溶けて消えた。仕事を辞め、母を失うと、もはや自分は誰とも関わらず、誰の記憶の中にもいなくなる。このまま死ぬまで一人なのか。そう思うと急に寂しく、恐ろしくなった。太一はすがるように四つん這いで部屋の隅にあるゴミ箱を漁り、中からぐしゃぐしゃになった封筒を拾い上げた。
※ ※ ※
母校近くの中華料理店で開かれた同窓会には、太一を含め二十人ほどの参加者が集まっていた。
「お前、全然変わんねーな!」
「藤田先生、まだ独身らしいぜ」
「おい、卒業前に借りパクしたゲーム、もうクリアしたんかぁ?」
今はそれぞれ違う世界で生きている同級生たちも、顔を合わせればたちまちあの頃にタイムスリップする。変わらない空気。まだ自分が所属できるコミュニティがこの世に存在している。それを確認できただけでも、思い切ってここに来た甲斐はあった。
「おい、お前、寒河江か? なんか痩せたか?」
太一の隣に座ったのは、当時仲の良かった川田だった。と言っても、その特徴的な高い声を聞かなければ太一は気づかなかっただろう。髪色は黒から金に変わり、眼鏡はコンタクトに。あの頃と比べて随分と垢抜けていた。
「久しぶり。……そうだな、色々あったからな。そっちはどうしてた?」
「オレか? オレはいい年して番組制作会社の下っ端だよ。マァージでブラックだぜこの業界。……で、そっちは?」
「あー……ちょうど、仕事やめようかなって思ってたとこだよ」
太一が自嘲すると、なぜか川田の目が輝いた。
「それマジ?」
「……マジだけど、何?」
「お前、パソコン得意だったよな!」
「得意って言っても、使い道によるだろ」
「いいや、オレは覚えてるぞ! お前と撮ったあの映画!」
学生時代、太一は友人たちとくだらない内輪受けの短編映画を自主制作したことがあった。当時はデジカメやPCが普及し始めていたこともあって、素人が"撮影ごっこ"をするためのハードルが低くなりはじめた時代だった。この時、太一がPCで動画編集を担当していたことを川田は覚えていたのだ。
「それがなんだって……」
「頼む!」
いきなり川田が手を合わせて頭を下げた。
「今ウチの会社、エグい人手不足でさ! どーしても今度の特番の編集作業が間に合いそうにないんだ!」
太一は「それなのにお前はこんなとこに来てるのか」という言葉を飲み込んだ。自分も人のことは言えないからだ。
「金はわりかし出るからさ! 頼むよ! この通り!」
下げた頭の角度が深くなった。太一はしばし考えて、その仕事を受けることに決めた。少なくとも、人間関係は今よりマシになるかもしれないと思ったからだ。
※ ※ ※
翌日、太一は送られてきたデータを自宅のPCで確認しながら、川田とWeb会議アプリで打ち合わせを行っていた。
「……で、素材はそこのフォルダに全部入ってるから、台本に合わせて選んでよ。あと、何かわからないことあったらいつでも呼んでくれていいから」
「ああ、わかった」
「じゃー、頼んだ!」
通話を終了し、さっそく編集作業を開始する。
「選挙か……」
渡された資料から、この番組が一週間後に行われる地方選挙の生放送特番なのだとわかった。当選する候補者に応じて放送内容を変更しなければならないため、膨大な事前準備が必要なのだ。業務の物量が多いので時間はかかりそうだが、太一のPCスキルなら特につまづくところはなさそうだった。
(人手不足か……)
少子化による日本の人材不足はもはや限界に来ていた。太一ら団塊ジュニア世代が子供を作れなかったからだ。彼らは非正規雇用で安くこき使われ、挙げ句「フリーターになったのは自己責任」と、企業からも政府からも見捨てられた。自分の命を繋ぐことで精一杯の人生で、子供など持てるはずもなかった。
(あいつら、こんな簡単なこともできないくせに……)
編集作業をしながら思う。コールセンターにかけてくる高齢者の多くはITスキルを持たない。そして彼らは「インターネット」「パソコン」という言葉に過敏に反応し、その単語が出た途端に「高齢者がそんなもの使えるわけないだろう!」と激昂する。年齢とともに無根拠に肥大化したプライドが、自らの無能さを指摘されたのだと判断して反撃するのだ。だが、その無能さは事実であり、決して年齢のせいではない。Windows95の発売により、一般家庭にPCが普及してから既に三十年以上が過ぎているのがその証拠だ。逆算すれば、現在八十歳の後期高齢者ですら当時まだ四十代の働き盛りである。つまり、そこから定年までの間、彼らは自身の選択でPCやインターネットという新技術から逃げ続けてきた。その結果がこの有様であり、今になって逃げたツケが回ってきただけに過ぎない。そして、たとえ他の誰が擁護しようとも、太一ら氷河期世代はそれを責める権利があった。なぜなら、それこそ彼らが上の世代からぶつけられ続けてきた「自己責任」という言葉そのものだからだ。
(あいつら、死ぬまで……いや、死んでも自分たちが悪いなんて思わないんだろうな)
マウスを握る手に力が籠もった。連中を絶対に逃げ切らせたくない。せめて一矢報いたい。そう思った。
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