第11話
「これが最後のお別れですから、よくお顔をご覧になってあげてください」
母の葬儀は、家族葬専門の小さなところで行った。葬儀司会の女性が、黒い盆に載せた白い百合の花を太一に渡した。
「寂しくならないよう、お顔の周りにたくさん添えてあげてください」
棺の中の母は穏やかな顔をしていた。もともと外傷は少なかったとはいえ、湯灌と化粧で傷は綺麗に隠され、今にも目を開きそうな気がした。
「最後にお声を聞かせてあげてください」
太一は、百合の花で飾った母の頬を撫でた。冷たく、ごつごつとした肌触りで、もうそこに母はいないのだと感じた。
…………ありがとう。
それでも、声は届くと信じたかった。
※ ※ ※
葬儀、通夜、火葬までの手続きは慌ただしかった。喪主である太一は感情を整理する時間も与えられず、通夜振る舞いのメニューから霊柩車の車種まで矢継ぎ早に選ばされ、忙しなくあちこちを奔走した。冷静に判断する暇が無かったので、おそらく無駄な金も使わされたことだろう。しかし、故人を思えば損得を計算するような場ではない──これはそういう心情につけ込んだ商売だった。
棺を乗せて火葬場へ向かう霊柩車の後を、太一は手配した車の後部座席に座って追っていた。火葬場は父母と一緒に子供の頃に住んでいた街にあった。
(変わらないな……)
窓の外を流れる景色を眺めた。建物も、公園も、商店街も。昔からあるものは何も変わらず、ただ古びてゆくだけ。循環しない空気は次第に澱み、いずれそこに住む人間をも腐らせる。高齢化が進み、老人ホームと葬儀場と墓場だけが繁盛する灰色の街。太一は、ここで死ぬのだけは嫌だと思った。
※ ※ ※
母を火葬炉へ見送った後、ロビーのソファで収骨までの待ち時間を潰していると、隣に肉付きの良い初老の男性が座った。母の兄──太一の伯父だった。たっぷりの髪は黒く染められ、実年齢よりも十歳は若く見える。
「おつかれさん。初めての喪主は大変だろ?」
「……ええ」
「あいつ、最近はどんな様子だったんだ?」
「元気でしたよ。……元気でした。本当に、いつも通り、昨日まで」
「……そうか。ところでお前、仕事の方はどうなんだ。ちゃんとやれてるのか?」
「まあ、なんとか」
「これからは一人だからな。しっかりしなきゃいかんぞ」
「……ええ」
太一が引きこもっていたのは伯父も知っていた。だからこそ心配し、激励している。それは分かっていたが、今はまだ、その言葉を正面から受け止める余裕は太一には無かった。
※ ※ ※
「足から順に腰、お腹、胸、喉仏、そして最後に頭を骨壷にお入れします」
火葬を終えた母の骨は細く、脆かった。こんな弱々しいもので体を支えていたのかと悲しくなった。説明を受けながら、太一と伯父は交互に骨を収めていった。
「こちらの大腿骨は大きいので、少し小さくしてからお入れしますね」
そう言って、係の女性が鉄箸でサクサクと骨を砕いていく。宗教という建前が無ければグロテスクな儀式だと思った。しかし、こうして骨壷を作って持ち帰ることの意味が無いとまでは思わなかった。太一は神も仏も信じてはいなかったが、葬儀を行い、墓を建て、火葬をすることできちんと別れを済ませ、仏壇に手を合わせることで故人へ思いを馳せる。そうして心に整理をつけるのだ。
※ ※ ※
葬儀を終えた太一は、自宅に戻るなり疲労で床に倒れ込んだ。しかし、相続手続きや各種カードの解約をはじめとして、これからやらなければならないことはまだまだ残っていた。いや、正確に言えば、何をしなければいけないのかさえ全て把握できてはいなかった。
(何か食事を摂らないと……)
そう思いながらも瞼は自然と下りそうになる。が、なんとか思いとどまった。ただでさえイレギュラーな出来事が続いて生活リズムが不規則になっているのに、今眠ったらますます体内時計が狂ってしまう。無理やり体を起こした。ここ数日、食事は店屋物とインスタントばかりだ。栄養面でも経済面でも、そろそろ自炊に戻さなければ持たないだろう。
「カレーでいいか……」
自宅の食材ストックと、なるべく頭を使わずに済む作り慣れたレパートリーという条件を考慮した。野菜を切り、肉を解凍し、鍋に放り込む。そしてルーを入れる段になって、ふと気付く。いつも最後は母が味付けをしていたのだと。市販のルーをいくつか組み合わせ、何かスパイスを加えていたようだが、今となっては知る術はない。
「………………」
なんとなくで味付けしたカレーは知らない味がした。食べ終わって食器を洗っていると風呂が沸いた。肩まで湯船に浸かって長い息を吐いた。そして、やっと泣いた。
※ ※ ※




