核の記憶と、その風化の先にある矛盾
被爆からまもなく80年を迎える今、広島駅前では再開発が進み、かつて原爆の傷跡をたどって走っていた市内電車も、今ではその存在意義を失いつつある。市民の反対運動も起きないまま、路線の一部は再開発の名のもとに姿を消し、残された原爆ドームだけが、静かに当時の記憶を伝えている――いや、正確に言えば「伝えているように見える」に過ぎないのかもしれない。
人々の記憶から、被爆体験そのものが薄れていくことは、ある意味では仕方のないことだ。生き証人は年々減り、記録や語り部がどれほど努力を重ねても、「体験」としてのリアリティは、時間とともにやがて風化していく。その過程で、「原爆ドームに行くには便利だから」という理由で整備された交通網が象徴するように、記憶の継承すら利便性や観光の論理の中に組み込まれはじめている。これはもはや、観光資源として「残しているだけ」と感じられても無理はない現実である。
そうした風化のなかで、私はふと考える。核という存在に対して、今の自分がかつてほどの脅威を感じなくなったのは、避けがたい必然なのか、それとも、偶然の積み重ねに過ぎないのか――。
前作「ep.5 静かな破壊者」では、あえて不謹慎な想像を描いた。現代社会を機能的に破壊しうる現実的な脅威として、核爆発そのものよりも、EMP(電磁パルス)による静かな社会的死の方が深刻に思えたからだ。もはや、都市を焼き尽くすような戦術核は、その「わかりやすさ」のゆえに現実から乖離しつつある。逆に、誰にも気づかれぬまま社会基盤を麻痺させる技術の方が、人類にとってはより現実的な“破壊”の形なのではないか。
そう考えた時、私は不思議な矛盾に行き着く。人類は核の再使用を“必要”とするような状況を、もはや想像しにくい。それなのに、世界のどこかでは再び使われるかもしれないという懸念が、常にくすぶっている。倫理的に「使ってはならない」とされる一方で、合理的には「存在して当然」とされる。その両者の間にある矛盾が、私にとっての“被爆国のジレンマ”なのかもしれない。
「使えない兵器」でありながら「必要な抑止力」とされる核兵器。それを保有しない日本は、記憶と倫理を語る責任を持っているはずだった。しかし、その記憶は今、日常の中で静かに埋もれていこうとしている。原爆ドームの向こうに広がる再開発の景色は、そんな私たちの現在地を象徴しているようにも思える。
あとがき
本稿で述べたことは、あくまで個人的な思いや感じた矛盾について綴ったものです。決して広島駅前の再開発そのものを否定する意図はありません。時代とともに都市が変わりゆくのは自然なことであり、それは多くの人の努力と選択によってなされているものです。
ただ、その変化の中に、もう少しだけ――なだらかな「余白」のようなものを残せなかっただろうか、と思うことがあります。記憶や歴史に触れる小さな“気配”のようなもの。誰かが立ち止まり、ふと過去を思い出すような空間。そうしたものが、どこかに、ほんの少しでもあればと願う気持ちが、拭いきれません。
もちろん、今となってはもう遅いのかもしれません。それでも、過ぎ去ったものに静かに思いを馳せることが、未来の誰かのために何かを遺すことにつながると、私は信じています。