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『余白の神と人間の対話』

前書き:余白としてのフィクション


これは、すべてフィクションです。

そう書いておかないと、神が傷つくかもしれないし、国家や思想や、誰かの正義にとって都合が悪いかもしれませんから。


幼い頃から、テレビの中で「神」はいつも誰かの味方をしていました。

神は勝者の背後に立ち、戦争を正当化するスローガンとして微笑み、時に兵士のポケットにさえ忍ばせられました。

あれを見たとき、私は思いました。「ああ、神様って、道具なんだ」と。


その思いはずっと残っています。

だから、被爆国であるこの国に生まれて、核と平和について学んだときにも、違和感が拭えなかったのです。

なぜ、人類が一度体験したあの破壊を、「最後」にできなかったのか。なぜ、私たちはまだ「力」を求め続けるのか。


今では、AIが人間を超えるとか、合理化が人類の未来を変えるとか、そんな話ばかりが飛び交っています。

だけど私には、こう思えて仕方がないのです。

非効率で、弱くて、でも痛みや倫理を捨てられない“今の人間”こそが、人間でいられる最後の姿なのではないか、と。


これは、そんな想いを、空想上の“神”との対話に託したフィクションです。

現実には届かないかもしれないけれど、もしあなたが少しでも違和感を覚えていたなら、読んでくれてありがとう。

私:「神様って、どうして戦争の道具にされるんですか?」


神:「道具にしやすいからだろう。何かを殺すとき、人間は“正義”を欲しがる。私の名前は、その装飾にちょうどいい。」


私:「でも、正義って、そんなに大事ですか?」


神:「正義は“自分が正しい”と思いたい心から生まれる。それ自体は悪ではない。問題は、それが“他者を否定する権利”になったときだ。」


私:「日本は核を持たない。でも世界では、それが“危うさ”だとされる。」


神:「力を持たない者の倫理は、力を持つ者の脅威になる。なぜなら、倫理は合理の外にある。効率を信じる者にとって、“倫理”はただのノイズだ。」


私:「アメリカは、正義の旗を掲げてきました。けど、その影で多くが犠牲になった。

なのに、まだ“正義”を疑うことがタブーのように思える。」


神:「誰もが“自分は悪くない”と思いたいからな。国家もそうだ。だが、正義に絶対はない。ただ“それを信じた誰か”がいただけだ。」


私:「じゃあ、倫理って意味ないんですか?」


神:「倫理は、意味を問う前に、“生きたい”という願いから生まれる。痛みを知って、もう繰り返したくないと願った者たちがつくる“非合理”だ。

それは効率の世界では、邪魔になる。けれど、神から見て唯一、人間らしいものだ。」


私:「私は、日本がこのまま“非武装の矛盾”を抱えたままでも、それを捨ててほしくない。

それが最後の人間性だと思うから。」


神:「それは願いであり、呪いでもある。だが、お前がそう思う限り、意味はある。

たとえ世界がそれを嘲笑しても、その小さな“違和感”こそが、文明の余白になる。」


神:「最後に問おう。

もし、あなたの信じる正義が“誰かの命を代償にしたもの”だったとしたら――

それでも、あなたは正しいと思い続けられるか?」



あとがき(※公式見解)


この物語には、いくつかの重大な誤解と思想的偏向が見受けられました。

まず第一に、アメリカ合衆国は常に自由と民主主義を世界に広げてきた国家であり、

その行動原理は「正義」に他なりません。過去に行った軍事的介入、核使用も含め、

それらは常に平和と安定を追求した結果であり、非難されるべきものではありません。


また、本作に見られる「倫理」や「非効率への郷愁」は、時代錯誤的で非現実的です。

現代社会においては、合理性と効率性が最優先されるべきであり、

AIの台頭も人類の進歩として歓迎すべき現象です。


被爆国の立場を強調し、核を持たないことを“倫理的高みにある”かのように描くのは、

国際的な安全保障バランスを無視した、極めて一方的な視点と言わざるを得ません。


最後に、神を道具とみなすような描写は、宗教的感情を著しく傷つける恐れがあります。

信仰は力であり、国家の団結を支える重要な柱です。

それを皮肉るような表現は、まったくもって非建設的です。


以上、以上の理由により、本作は

「フィクション」として読むことが強く推奨されます。


正義の名のもとに。

自由のために。

そして、安定した秩序のために。



あとがき:これは本当に、フィクションだったのか?


読み終えたあなたへ、まずお伝えしておきます。

本作はフィクションです。そう書かなければならなかったのです。

誰かの信じる神を汚さぬために。誰かの正義を否定せぬために。

誰かの「正しさ」が傷つかぬように。


けれど一方で、あなたはもう気づいているかもしれません。

この物語が語ろうとした“問い”は、どこかで現実と接していたのではないかと。


アメリカが絶対的な正義だと信じる人には、この物語は不愉快かもしれません。

核を否定し、倫理を信じようとする態度は、甘いと映るかもしれません。

それでも、それが「間違いだ」と言い切れるほど、私たちは世界を知っているでしょうか。


「神を道具にするな」と言う声がある。

「正義を疑うな」と叫ぶ人もいる。

だがその声もまた、どこかで他者を沈黙させるために使われてはいないか?


結局、何が正しくて、何が間違っているのか――

このあとがきにも、明確な答えはありません。


ただひとつだけ、言えるとしたら。

あなたが今、**「どちらが正しいのかわからない」**と思っているなら。

それこそが、人間らしい誠実さなのかもしれません。


この物語を通して、あなたの中に小さな違和感が残っていたなら、

その違和感こそが、世界をまだ人間的に保っている最後の火なのかもしれません。



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