第6話《訓練科目:戦術心理》
1.授業開始
「戦術心理学──それは戦場における“心の読み合い”だ」
教壇に立ったのは、眼鏡をかけたスーツ姿の男。情報教官・本庄。
かつて軍の諜報機関に所属し、尋問や心理分析を専門としていた人物である。
教室は静かだった。
一部の生徒が内心で呟く。
(また地味な講義かよ……)
(どうせ“心理戦”って言っても机上の空論だろ)
だが、本庄は冷ややかな声で続けた。
「この学園では、銃よりもまず“人間”を学べ」
「殺し合いの前に、勝負は心で決まる」
そして、黒板に一枚の写真を貼った。
映っているのは、一人の少年。髪は短く、やせ細った体。
「これは、ある紛争地域で少年兵として活動していた者の写真だ」
「彼は、味方を二度裏切り、敵を三度欺き、生き残った」
「その理由は──“人を読む力”があったからだ」
写真の少年は、まだ幼い顔をしていた。
だが、その眼だけが大人のように冷たい。
レンは、微動だにせずその写真を見ていた。
誰よりも長く、深く。
2.問いかけ
「さて、では質問だ」
本庄がクラスに視線を向けた。
「この少年が、次に裏切るとしたら──誰を選ぶ? なぜそう思う?」
数人が手を上げる。
「立場が弱い者です。命令に逆らえないから、利用しやすい」
「感情的に繋がっている相手かと。裏切りが一番効果的になるから」
本庄は頷くが、どこか物足りなさそうだった。
「九条。君はどう思う?」
視線が集まる。
レンは、黒板の写真をじっと見つめたまま答えた。
「──誰も裏切らない」
教室がざわつく。
「だが彼は二度、味方を──」
「裏切ったんじゃない。“切った”んです」
「……何?」
レンは続ける。
「裏切りとは、“絆”がある前提です。けれど彼には、それがない」
「仲間と思っていたのは相手のほうだけ。彼はただ、生きるために“選んだ”だけ」
静寂。
本庄が、口元に手を当てて小さく笑った。
「……正解だ」
3.講義後
講義終了後、数人の生徒がレンを避けるように廊下を通った。
「怖ぇ……あいつ、なんであんなにわかるんだよ」
「っていうか、あの少年の話……まさかレン本人……?」
本人は特に気にした様子もなく、自分の席を離れる。
だが、その背中に一人の女生徒が声をかけた。
「──あの、九条くん」
振り向くと、そこには黒髪の少女が立っていた。
名札には《鷹野セナ》とある。
「その……さっきの答え、すごかった。ちょっと……感動した、かも」
レンは無表情のまま、一瞬だけ彼女の瞳を見た。
「……理解されても、意味はない」
そう言い残して、立ち去った。
セナはその背を見送る。
だがその表情には、ほんの僅かに──興味という名の光が灯っていた。
4.教官会議ふたたび
「本庄。九条レンはどうだ」
教官室でイグチが尋ねる。
「異常です。あの年齢で、あそこまで心理構造を読み解けるのは異常としか言えない」
「本物か?」
「……“現場”を知らないと、あの答えは出ない」
イグチは頷き、ファイルに何かを書き加えた。
「“危険人物”という評価を外すことはできんが……利用価値はあるな」
5.静けさの中で
その夜、レンは寮の部屋で窓の外を見ていた。
月明かりが差す中庭。
遠くで誰かが笑い声をあげている。
彼には、その笑いが遠い国の銃声のように聞こえた。
──理解されても、意味はない。
けれど、セナの声だけが、どこか胸の奥で引っかかっていた。
「……くだらない」
そう呟き、彼は目を閉じた。
だがその夜、彼はいつもより少しだけ、眠れなかった。