『傭兵アカデミー』第一部 1話《死んだはずの少年》
1.墜落
墜落の衝撃は、瞬きをするよりも早く彼の世界を壊した。
機体の軋む音と、断末魔のような悲鳴が耳を裂く。
金属の軋む音、ガラスの破片、誰かの叫び。
少年の意識は、そんな音の渦の中に吸い込まれていった。
そして、静寂。
煙に巻かれた薄暗い機内に、かすかな意識が戻る。
焼け焦げた金属の匂い。喉を焼く煙。
熱で溶けた窓の隙間から差し込む夕陽が、あまりにも静かだった。
傍らに倒れているのは、彼の母親だった。
乱れた髪。半開きの口。首の角度は、もう二度と自然には戻らない。
少年──九条レンは、震える手でその顔に触れた。
「……母さん……?」
頬は、冷たい。まるで、今この場所だけが時間を止めているかのようだった。
「やだ……うそだろ……返事してよ……母さん……」
どれだけ揺すっても、目は開かない。腕は動かない。口も開かない。
それが「死」というものなのだと、この瞬間、彼の中で何かが壊れた。
足元には血まみれのブリーフケース。
天井からはスーツ姿の男の脚がぶら下がっている。
乗客たちは皆、静かに死んでいた。
「……ここ、どこだよ……」
誰も答えない。
そう、ここには、もう“生きている人間”はいなかった。
生存者は──彼だけだった。
2.拾われた地獄
時間の感覚がなかった。
何日が経ったのか、わからなかった。
水の代わりに溶けかけた氷を舐め、食糧は誰かの残した非常食。
だが、それも尽きれば──死体から服を剥ぎ、虫を食べた。
そして、ある夜。
「……銃声……?」
耳を澄ませば、どこか遠くで破裂音が鳴っていた。
パンッ、パパンッ、と乾いた音が連続する。
それはテレビでしか聞いたことのなかった、“本物”の銃声だった。
レンは、機体の割れ目から顔を出した。
瓦礫の向こう、砂埃を巻き上げながら、迷彩服を着た男たちが近づいてくる。
「おい、あそこにガキがいるぞ」
「死んでなけりゃ使える。担げ」
レンは逃げようとした。だが、足が動かない。
空腹と疲労と恐怖で、身体はすでに限界だった。
男の腕が首元を掴む。
泥にまみれたブーツが、ぐしゃ、と血の上を踏みつける。
「やだっ……やめろ……っ!!」
彼の叫びは誰にも届かない。
次の瞬間、視界がブラックアウトした。
3.戦場の中で育つ
──あれから、8年。
「構えるな。撃つ時だけ構えろ。殺すときだけでいい」
その日、少年兵たちに教官がそう言った。
銃を握る手は震えていたが、引き金を引くと震えは消えた。
九条レンは、“殺すことを教わった”。
最初は、敵だった。
次に、裏切った仲間だった。
その次は、命令に背いた子供たちだった。
泣くな。喋るな。感情を持つな。
ただ生きろ。殺せ。生き残れ。
そうして、レンは「死なない子供」として名を馳せていった。
15歳にして小隊を率い、夜襲作戦で敵司令官を始末した。
「“影の将軍”か。冗談にもならんな」
そう吐き捨てたのは、敵方の中東傭兵部隊「ジャッバール」の副指令。
彼との出会いが、彼の運命を狂わせるとはまだ知らなかった。
4.帰還
ある日、戦場にPMC(民間軍事会社)の部隊が現れた。
そして、敵対勢力との交戦の中で、レンを見つけた。
「──日本人の子供がいる。救出対象に該当するか確認を」
血と泥にまみれた少年にDNA検査が施される。
結果は「一致」。
「名前は──九条レン。8年前に飛行機事故で死亡とされた子供です」
彼は“生きていた”。
そして、“日本”という国が、彼を“取り戻した”。
5.アカデミーへ
それから数ヶ月。
少年は、戦場ではなく──“教室”にいた。
だがその学校は、普通ではなかった。
「今日からお前らは、傭兵アカデミーの訓練生だ」
レンは制服の襟を指で弾いた。
タグには「特殊戦技訓練校」という表向きの名称。
──だが、教官の眼光は“本物”だった。
「名前」
「……九条レン」
「経歴に不備がある。何年も記録が空白だな?」
「……死んでたことに、なってただけです」
教官は沈黙した。
周囲の生徒たちは、レンの存在に気づきつつあった。
目を合わせない者。ひそひそと噂する者。距離を取る者。
「誰だよ、あいつ……」
「なんで軍の連中が、あんなガキを連れてきたんだ……?」
レンは机に座り、何も答えない。
ただ、背筋を伸ばし、静かに周囲を見つめていた。
「……ここにも、戦場があるのか」
そう呟いた彼の声は、小さく、だが確かに冷たかった。