004.久右衛門様 登場
「現世の文化は常世にはこないんですね」
「賓がそもそも少ないしねぇ。全く来ないわけじゃあないから、上の方々の中には現世かぶれもいるよ」
洋風かぶれならぬ、現世かぶれ。
「初め、江戸時代かと思いました」
江戸時代知らんけど。めっちゃ時代劇感あったし。
「川向こうはそうでもないよ」
「川向こう?」
「川向こうは帝のお膝元でね、あっちにはミルクホールなんかもある」
「ミルクホール??」
初めて聞く言葉だ。
「喫茶店ともいうねぇ」
「あぁ、カフェ!」
ミルクホール=カフェ。理解した。
「洋食屋や洋菓子店もあるし、映画館やデパート、女学校もあるよ」
左近さんが何かに気付いた顔をする。
「おまえさん、年は?」
「今更?!」
どう見ても大人だと分かると思うんだけど。
「成人してます。それにしても、江戸時代と言うよりは明治? 大正? 昭和初期?って感じなんですかね?」
明治以降の文化が全然分からない。
「気まぐれに神さんが持ち込むこともあるからね」
「そうなんですね」
「おまえさん、うちの共用トイレが水洗なことは何とも思わないのかい?」
「あっ!!」
当たり前のように使ってたけど、確かに!!
左近さんは楽しそうに笑う。
「川向こうはほぼ水洗トイレだけど、こっちはまだそうじゃない所も多いよ」
「私としてはありがたいですが、それはまたなん」
「左近!」
大きな声と同時に誰かが暖簾をくぐって入って来た。
振り返ると、所謂お侍さんがいた。武士ですよ武士。いや、丁髷ではないけど。
「邪魔するぞ」
よく分からんけど、喋り方が武士っぽい。たぶん。腰にも刀差してるし、うん。
邪魔すると言って中に入って来たその人物は、上手に上がってきて囲炉裏の前に座った。
「お邪魔みたいなので、私はそろそろ……」
立ちあがろうとすると、武士が「何故だ」と言う。
何故って言われましても?
「久右衛門、それでは説明が足りないよ」
左近さんは苦笑いを浮かべ、大丈夫だからと言って私に座るよう促す。
「この野暮天はね、おまえさんに会いに来たんだよ」
「私ですか?」
野暮天と呼ばれた久右衛門さんが頷く。
仕方なしに座り直す。
「これでいて御座所に務める役人でねぇ」
御座所ってなんだ。
私の顔に疑問が出ていたのか、左近さんが笑う。
「御座所っていうのは、帝のお住まいのことさ」
えっ! じゃあ久右衛門さん、久右衛門様はお偉い方?!
「賓がこちらに来たことは御座所に報告しないといけないからね。御座所との窓口がこの野暮天になったんだよ」
「あ、そうなんですね。その、お邪魔してます」
「うむ。よろしく頼む」
賓の私が来て、平成から令和になったと知らせがいって、今度年号が変わるんだったな、そういえば。
「それにしても、賓は久方ぶりだ。帝も大変お喜びでな」
「それは良ぅござんした」
「年号を変えた後は、百日の宴を催してはどうかと仰せだ」
「それはまぁ、豪気な」
百日の宴って、宴会を百日やるってこと?
肝臓平気?
「あの、賓は確かに邪気を払うみたいですが、それだけでそこまで喜ばれるものですか? 前にも来たんですよね? 賓」
だから平成になってるんだろうし。
「前に来た賓はね、すぐに帰ってしまったんだよ。家族が現世にいてね」
あぁ、なるほど。
常世にとって賓は永住してほしい存在だけど、賓は元々現世の人間だし、家族がいてもおかしくないからなぁ。一分一秒でも早く帰りたいと思ったに違いない。
「御座所の方々は暇を持て余して百日宴なんて言ってるだけだろうから、気にしなくていいよ。民草には関係ないからね」
「分かりました」
賓なんて呼ばれても、異世界転移みたいにお偉いさんに呼び出されて、なんてこともなさそうで安心した。
左近さんが久右衛門様に煎餅とお茶をスッと差し出すと、すまぬな、と言ってから煎餅をかじりだした。
「ところで兵衛」
「なんだい?」
ひょうえとはどうやら左近さんのことらしい。
左近さんは煙管に葉タバコを詰める。
「きちんと飯は食っているのか?」
「気が向けば食べているよ」
「煙管で腹は膨れんぞ?」
あー、薄々思ってたんだけど、左近さんごはん食べない人なのかー。煎餅も客用だし。
「作るのが面倒でねぇ。火起こしやら火の始末なんて、独り身には面倒の極みだろう」
そうそう、火起こしがまた大変なんだよね。今は現世から持って来たライターを使ってるけど、なくなったらどうしよう。
「自炊しろとまでは言うておらん。店に行くなり、通いの女中を雇うなりしろ」
「女中ねぇ」
うんざりした顔をした左近さんを見て、私は察した。これは昔雇った女中に迫られでもしたんだな、きっと。
「賓殿は食事はどうしてる」
賓殿!
「あ、冬泉紬葵といいます」
「うむ。紬葵殿」
下の名で呼ぶんだ? 私も苗字が分からないから脳内で勝手に久右衛門様って呼んでるけど。……下の名前だよね?
「紬葵殿は日々の食事はどうしてる?」
「うちはいつもおなかを空かせたシシとコマがいるのと、現物支給もあるので自炊してます」
鯵の干物は今日で食べ終わる。冷蔵庫だの冷凍庫だのがないから、とにかく早く食べないとなんだよね。干物とはいえ、悪くなってしまうし。
「兵衛、紬葵殿に依頼せよ」
「おまえさん、無茶をお言いじゃないよ……」
左近さんの食生活を心配した久右衛門様が私に日々の食事の世話を依頼してきた。
「依頼されなくても、日頃お世話になってるんでやります、と言いたいところなんですが、私も火起こしとか火の始末が苦手で。ついでにそんなに料理は上手じゃないです」
「瓦斯を入れればいいだろう」
え、こっちってガスあるの? それがあったらお風呂とかも?!
「実用段階に入ったのかい?」
「うむ。とはいえそこそこ値はするがな」
高いんじゃ駄目だ!
「まぁ瓦斯ぐらい入れてもいいけどね」
ガスぐらいだって。左近さんお金持ちだなぁ。
まぁ箪笥持ちだし表通りに面した万屋やってるし、大家だし、床だって板張りじゃなくて畳だもんね。お金持ちなのは知ってます。
左近さんは顎に手を当てて、ふむ、と呟く。
「寒くなれば井戸水も冷たかろうしねぇ」
長屋の住人は長屋の真ん中にある井戸水を使ってる。トイレは男女別だけど共用。長屋の人達がここの長屋は人気が高いと言っていたけど、そうだよね、水洗トイレだもんね。ここは常世だっていうのに、うっかりしてたよ。
「紬葵」
「はい」
「おまえさんが嫌じゃなければ、雇われておくれな。依頼のない時だけでいいよ」
「雇わなくてもいいですけど、やります」
「御足のことなら気にしなくていいよ」
一度でいいから言ってみたい、金のことなら気にするな、って。
「食材の費用なんかも出すからね、おまえさん達もそれで一緒に食べるといい」
「いやいや、それはさすがに」
自分の食べる分ぐらいは払います。
「紬葵殿、賓の作る料理は清めを受けた供物と同じでな」
え、そうなの?
「こやつは御師だからな、本来であれば清められた物を口にせねばならんのだ」
あー、だから左近さんはあんまり食べないんだ。
「だから遠慮せず高価な食材を購入するといい」
「程々にお願いしますよ」
「あの、シシとコマは大丈夫なんですか?」
私と一緒に買い食いしたりしてるけど。
「神獣は己の力で穢れを祓えるからねぇ。私は御師とはいっても無理なんだよ」
「そういうもんですか」
「そうなんだよ」
御師という職がイマイチよく分からないけど、神職らしいってことは分かってる。
「明日にでも瓦斯を入れてもらうよう話をつけておくよ。後は何が必要かね、冷蔵庫もあったほうがいいかい?」
「いいんですか?!」
冷蔵庫! 嬉しい!!
「勿論だよ」
左近さんが笑顔で頷く。良い人だ!!
「そうだ、マッチってありますか? マッチ棒」
「あぁ、あるよ。あれがないと火起こしもままならないだろう。今までどうしてたんだい?」
「ライターで」
「らいたぁ?」
「原理とか分からないので聞かないでください」
二人が頷く。察した、という顔をしてる。
「蝋燭問屋に行けばマッチ棒は買えるよ」
明日買って来よう!! これでライターがなくなっても平気!