003.現世と常世の関係
万屋の暖簾をくぐると、定位置の囲炉裏前に左近さんがいた。
ちなみに、本来の万屋は地方なんかにある、何でも売ってるお店のことらしい。田舎に行くとあるね、食料品から日用品まで売ってるお店。左近さんのお店は物を売っていない。左近さんところの万は、万承ります、の万屋らしい。
「昨日の報酬ならいただいてるよ。持っていくかい?」
長屋に住む私の家には金庫なんてないし、玄関に鍵なんてものもない。だから左近さんに預かってもらっていて、必要な時に受け取ってる。銀行と同じ両替商というものもあるけど、左近さんが預かってくれるっていうから。
左近さんをどこまで信用していいのかな、と不安になった私に、シシとコマが大丈夫だと言ってくれた。神獣の前での発言は、宇気比と同じ扱いになるからって。そうかそうか。宇気比がなんなのかまだ分かってないけど。
「まだ大丈夫です。今日はお仕事ありますか?」
「今日はないねぇ。明日はあるよ」
「はーい」
「暇なら、この前の問いに答えようかねぇ」
「あっ、お願いします!」
まだまだ常世のことは分からないことだらけなので、左近さんが暇な時に教えてもらってる。意外なことに左近さんはそこそこ忙しかったりする。
「現世と常世についてだったね」
「はい」
初めに教わっておけと言われそうだけど、それよりも前に、まずここでどうやって生活するかのほうが優先だったのだ。住む場所とか、生活全般。なにしろ現世とは全然違うから。
アパートを出ることになって物を減らしたとはいえ、それなりに沢山のものを私は持っていた。限界まで圧縮して持っていた布団とか、スーツやら食器やら。手元に残しておきたいもの以外は売り払って、こちらのお金に変えてもらった。
左近さんは大家をしつつ、万屋や御師もしているらしい。左近さんところの長屋を借りて私は暮らしてる。
「現世と常世ってのは、昔は繋がっていたんだよ。だからこっちにも人はいるだろう?」
「え、そうなんですか?」
人がいるのは知ってる。蝋燭問屋の女将さん達は私と同じ人なのだと教えてもらった。
左近さんは立ち上がると、箪笥の引き戸を開けて、煎餅と急須、湯呑み茶碗、茶筒といったお茶セットの揃った盆を取り出し、囲炉裏の前に座り直す。いいなぁ、箪笥。私も欲しい。でも借りてる長屋の部屋は狭いから箪笥を置く余裕なんてないんだけど。
急須に茶葉を入れると、鉄瓶の中のお湯を注ぐ。
箪笥も囲炉裏もお茶セットも、全部常世では高級品だったりする。
「大地震が起きて世界を繋ぐ道みたいなものが途切れちまってねぇ。それからは逢魔時に極稀に道が繋がるようになったんだよ」
その逢魔時に私は犬の後を追い駆けてやって来たってことなのか。
「神様は好きな時に行き来出来るようだけれどねぇ」
「シシとコマは現世に迷い込んでたんでしょうかね」
煎餅をかじる。固いけど、醤油加減が丁度よくて美味しい。出してきた本人の左近さんは食べないんだけどね。来客用に用意しているみたい。
「神獣は神様を守る力を鍛えるために、現世に行くのさ。常世よりも現世のほうが邪気がたっぷりあるからねぇ」
「もしかして、邪気って現世から常世に流れ込んでるとかですか?」
左近さんがにやりと笑う。
「おや、察しが良いね」
「でも、それならなんで現世から来た賓が邪気を払えるんでしょう?」
むしろ邪気の塊なんじゃないの?
「賓はね」
「賓は?」
「常世に渡ってくる時に、魔物になっちまう者のほうが殆どなのさ」
賓となるか、魔物となるかの分かれ道が何なのか気になる。私の考えてることが分かったのか、左近さんが言う。
「おまえさんは神獣が連れて来たんだから、賓以外にはならなかったよ」
「あー……運が良かったみたいで、良かったです」
苦笑いで左近さんはお茶を飲む。
「道はなかなか繋がらないのに、邪気は流れてくるなんて、厄介ですね」
「道が繋がっていた時のほうが邪気は入り込んでいたのさ」
「そうなんですか?」
じゃあ、今は前ほど入り込んでいないのか。
「それに、現世から流れるだけじゃなく、常世でも生まれるものだからね」
うーん、邪気って厄介だなぁ。
妖と御師しか倒せないっていうし。あ、あとはシシとコマのような神獣。
「妖も現世に行ったりするんですか? 修行とか」
「妖にも色々いるからねぇ。戦いに不向きな者もいる。邪気に対して人より耐性があるにはあるけど、浴び続けりゃ病になってしまうからね」
そうなのか。妖は皆、魔物と戦えるのかと思ってた!
「それにいつ戻れるか分からないから、行くのは物好きぐらいだね」
この話ぶりからして、自由に行き来できるのは神様だけで、常世の人も妖はそうじゃなさそうだ。
初めに妖のことを聞いた時には、人を食べたりするのかと思っていたんだけど、そういうことはしないらしい。じゃあ妖って何かというと、人間とは別の生き物、らしい。常世には神様もいるぐらいだし、そういうものなのかもしれない。
「邪気ってなんなんですかね」
「邪気だけじゃないさ、龍気なんてものもあるしね」
「りゅうき?」
「龍脈ってもんがあってね、大地にも空にも走る力のある気があるんだよ」
龍脈! 聞いたことある!
「滞ることなく流れてくれれば、良いことはあっても悪いことはないのさ。本来は邪気だって正しく流れている時にはなんの問題もなかったんだけどねぇ」
邪気なのに、正しく流れるとはなんぞ?
「水もひと所に留めておけば悪くなるのと同じさ。どんなものもね、流れてこそなんだよ」
「あー、なるほど」
ふむふむと納得して、煎餅をかじる。うむ、固い。
「もう分かっているだろうけど、現世と常世は時間の流れが違う。戻る時には気を付けないといけないよ」
「はい」
戻る気はないんだけどね。ただずっとお世話になっていていいのかな、というのはある。
そんな私の不安が顔に出ていたのか、左近さんの表情が柔らかくなる。
「賓がいてくれたら有難いことは確かだけどねぇ、こうして知り合ったのも縁というもんだ。気の済むまでいればいいんだよ」
「ありがとうございます」
こんなに良い人なのに、左近さんは人からちょっと遠巻きにされてるんだけど、なんでなんだろう? イケメンすぎるから?
「ところで、随分テカテカしてるけど、なんかあったのかい?」
「気づかないフリでいてほしかったです!」
常世に来てから、洋服の生活から着物の生活になった。なにしろ洋服売ってないし。洋服は高値で売れるので全部売り払って、綿の着物を買ったのですよ。
綿の着物を洗って、火のしでしわ伸ばししたら表面がテカテカになっちゃったんだよね!
「当て布しなかったのかい?」
「シテマセン」
火のしかい? と聞かれたので頷く。
火のしというのは柄杓みたいなもので、炭を入れて使う。
「火のしは蓋がないからねぇ、中の炭が飛んで布を焦がすこともあるからね、当て布はしたほうがいいよ」
「そうします……!」
炭が飛ばなくて良かった! 穴が空いたら大変だ! 縫い物全然出来ないし! 火事でもなったら大変!
「最近は炭火アイロンなるものも出回ってるみたいだよ。こっちは蓋があるから炭も飛ばないってんで、人気なようだよ」
「常世には電気アイロンはないんですもんねぇ……」
「電気はないねぇ」
ですよねぇ。
明かりが蝋燭だもんなぁ。